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人はどうして必要以上の欲をもつのか?
肉食動物は、おなかいっぱいであれば、目の前をエサが通っても食べないと言います。 人はどうして必要以上の欲を持つのでしょうか? デブになるほど過食し、お金ももっともっとと稼ぎ、性欲を制御できず浮気したり。 これらが行きすぎて犯罪になることも多々ある。 もっともっとという欲をもつ理由、源泉はなんでしょうか?
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こんばんは。ryoさん。 ◆1. 人は歴史と瞬間のまじわる点 を生きているからぢゃないかしら。 人は4次元で考えるのが得意です。 だから思いだし笑いや思いだし泣きもするし デジャヴも得意だしトラウマも得意だし、 将来のために貯蓄するのも得意だし 将来の資源のために 割り箸やポリ袋をケチるのも得意。 それで、過去とのギャップや 思い描く未来とのギャップができるから、 つい、もっともっと、 と言いたくなるんぢゃないかしら。 ◆2. 人は「個人」であるということを 幼いころに理解するからぢゃないかしら。 個人と個人のあいだに「違い」があるから、 他の人に憧れ(悪離れ)の気持ちを持つし、 嫉妬や羨望の気持ちも当たり前に持ち、 一時的に自分から離れる ことがあるんぢゃないかな。 でも「違い」を受け入れる能力もあって、 それを「思いやり」というのだと思う。 ではでは。
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- manmanmann
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理性で制御できない感情をもてるものが動物なんじゃないかなと。人にかぎらず。動物でも過食はありますよ。また、動物によく見受けられるマウンティングなどの行為も形をかえれば人のそれです。承認欲求とか、自己顕示欲とか。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ★ 人はどうして必要以上の欲をもつのか? ☆ 《必要としている》とはどの程度かが誰にも明らかであるだろうか? 《中庸》と言っても かんたんには最小と最大との中間を言うのがふつうですから 最大値が《必要以上》に増して行けばそれにつれて上がります。 といった屁理屈は措いておいて なぜもうそれ以上は必要ではないだろうと大方の人が見るときにも それをひとは欲するのか? それは 今度は 人による。と考えられます。 その人は それが必要以上だとは見ないからでしょう。 あるいは しっかりと事態を捉えるならば 一般に必要以上ではないかと見られているところをその人は いや ふつうに必要な水準だと見ている。からでしょう。 その結果が どうなるか? 二分されます。 やっぱし言わんこっちゃない やめときゃよかったのにという場合もあれば どういうわけか《成功する》場合もあります。 しかもその成功によって 多くの人がうるおう場合さえもがあります。 《必要》という水準は 一概には決められない。ゆえに《必要以上の欲を持つ》のだと考えられます。 ★ 肉食動物は、おなかいっぱいであれば、目の前をエサが通っても食べないと言います。 ☆ ひとは《おなかいっぱいであ》っても さらにもっと食べるでしょうか? その人のおなか一杯までは食べるでしょう。それだけのことではないのですか? (少々 揚げ足取りではありますが)。 あとは 倫理の問題としての見方も ご質問には含まれていましょうか。 しかもその問題も 道徳規範や法律だけによっては 解決し得ないと考えるのがふつうでしょう。 つまり 《必要以上》のものを欲することは あり得ます。 これは ひとの持つ自由意志の自由度ですから そのことを想像したりそれを虚構において表現したりすることまでは いくらでもというほど あり得るわけですし あとは今度は境地の問題になる。と思われます。 (知識や知恵があっても 《むさぼり》を侵す場合もあれば 教養がなくても《足るを知っている》場合もありますから 《境地》の問題だという意味です)。
- 雪中庵(@psytex)
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そもそも本能は即物的・反射的であって、必ずしも 長期的に適正な発現をするとは限らない。 もちろん多くの野生動物において、そうした抑制が 働いているが、人類の場合は、意識的なコントロール によって硬直した反射的な行動を超え、環境に適応 する事を長所とした以上、本能的なコントロールは 完全ではなくなっているのだ。 季節によってではなく状況に応じて発情したり、お金 や自己顕示欲といった社会的情報に対する二次的な 反射的衝動を発達させたりしたのだ。 特に後者は、自然との循環による 恒常性(一次的情報)とは無縁であり、低認識なまま 社会化させるための“馬車馬の目の前のニンジン”と して、同種内に弱肉強食の疑似ジャングルを生じさせ るものである以上、法規やモラルといった外的権威によるリング(他律) の内ではあるが、過剰な欲求による格闘は必然となる。
- ノーバン(@nobound)
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何だかんだいって、この世界で「自分の思い通りにしたい」欲求の際限のなさのように感じます。 独裁者とか、道を間違えた教祖とか、もしかすると「おたく」も、子供のころ買えなかったものを大人買いできる欲求かもしれません。 自然界の制限や社会の制限があるから、必要量がわかるんでしょうね。制限とは何なんでしょう。意外と重要概念のような気がします。自制心と関連があるのでしょうか。
- urigadai2013
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欲求には限界があるけど、欲望には限界がない。 たとえば食べたいという食欲は、満腹になれば、もうそれ以上、欲しいという欲求はわかない。 それに対して欲望は、果てしがない。 欲望というのは「差異」に基づく。 自分ではそれが欲しいとは思わなくても、他人が持っていると自分も欲しくなります。 たとえば、他人がいい車を買うと、自分はもっといい車を買って他人に見せびらかし、他人よりも自分の方がステータスが上だと「誇示」したくなります。 ソースタイン・ウェブレンは「有閑階級の理論」で、それを「顕示的消費」と言いました。 他人に「誇示」するために商品を買う、別にそれを使う予定がなくても。 資本主義では、商品は「記号」なので、何を買っているかと言えば「記号」を買っているのです。 利用価値があって買っているわけではない。 若い女の子は給料のほとんどをブランド・バッグに投入し、しかもそれを使わずに押し入れに仕舞ったままにしています。 商品が「記号」だということは、それによって自分と他人の「差異」を示すものとして商品が使われているということで、商品を消費するためではなく、自分がいかに時代の最先端を行く人間かを「誇示」するための記号だということです。 ファッションの「モード」はロラン・バルトが「モードの体系」という本でいうように記号論のデノテーションに対するコノテーションなのです。 このほかにバルトには「現代の神話」という本もあります。 資本主義における商品はマルクスが「資本論」の初めでいうように「物神性」を帯びているのです。 つまり何か神秘性を持っていて、神話性を帯びているのです。 私は資本主義は「差異」を消費していると言いましたが、「差異」というのは限りがないんです。 隣りがいい車を買えば、こっちはもっといい車を買う、そうすると隣りはこっちよりももっといい車を買う、さらに今度はこっちは隣りよりももっともっといい車を買う、無限に続いてゆきます。 食べ物ならば、生理的に限界がありますが、「差異」の欲望はお腹がいっぱいになることがないから、限界がありません。 まあ、お金が尽きれば、そこが限界かもしれませんが。 かつて資本主義は生産した商品を売るのに海外の植民地の争奪戦を繰り広げ、戦争にまで発展しましたが、戦後、資本主義は人間の「内なる植民地」を発見し、その欲望を宣伝広告で煽り、どんどん商品を消費することができるようになりました。 商品は売れなければ商品ではありません。 しかも生産は今はほとんど機械がやっていますので、大量生産ができますが、問題は消費です。 人間が生理的に消費する欲求には限界があります。 その代り、「差異」の欲望には限界がないことから、今やデノテーションでなく、コノテーションによって「神話」を生みだし、人々の他人に優位に立ちたいという欲望を操って、「顕示的消費」を利用して、大量消費を実現しています。 問題は地球資源は無限ではないということです。 どこかで限界にぶつかります。 そういう時期が目前に迫っているのではないか?
お礼
周りに誇示したくなるからですか。 たしかにキリがないですね。 商品=記号? なんかわかるようなわかんないような表現ですね。 物理的ではないということでしょうか? いわゆる情報価値みたいな。 ありがとうございます。
- raiden787
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>肉食動物は、おなかいっぱいであれば、目の前をエサが通っても食べないと言います。 人間もお腹いっぱいなら目の前にどんなご馳走があっても食べませんよ。 >デブになるほど過食し 動物もエサがいっぱいあればデブになるくらい過食します。 エサがいっぱい食べられる環境では動物も肥満になります。 >お金ももっともっとと稼ぎ お金ではないですけどエサを保存するタイプの動物はもっともっとと自分では食べきれないくらいエサをいっぱい取ります。 >性欲を制御できず浮気したり。 動物の大半は乱交タイプです。繁殖期では異性と見れば交尾しまくる種類の動物が大半です。 イルカの雄が雌をレイプすることは有名ですね。 嫌がる雌を複数の雄が咬みついて押さえつけて順番に交尾していきます。 >これらが行きすぎて犯罪になることも多々ある。 群れの中で暴れすぎて群れを追い出されるサルや狼なんかもいますね。 >もっともっとという欲をもつ理由、源泉はなんでしょうか? 本能的な脳のシステムでしょう。人間も動物ですからね。 野生で生きていくためのシステムです。
- titelist1
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生きるということは欲を持つと言う事です。子孫を増やすこと。お腹一杯食べることです。動物のテレビ映像を視ていると動物のしていることはこれだけです。これをしない動物は絶滅するのです。 お腹一杯で食べれなくなったらリスでも鳥でも腐らないものなら貯蔵しています。ライオンは主食の生肉を腐らせないで貯蔵することが出来ないからです。 その点で人間は貯蔵する方法を知っているのです。定住することで貯蔵しやすくなり欲も強くなります。定住することで物欲も増えるのです。また便利なお金を貯蔵するようになります。邪魔にならないからです。 欲を持つことを否定しないことです。お金にも淡白にならないことです。お金の無い人ほどお金なんかと言ってお金を軽視したりします。その一方でお金さえあればと思うのです。また、お金が無いのを社会や親のせいにもします。
お礼
ありがとうございます。 貯蔵をいくらしても邪魔にならないから、もっともっととなるわけですね。 欲は別に否定していません。 お金は大事ですから。
- kamisenbon
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人は将来のことを想像する力があります。 それに対し、動物は今を生きることしか考えていません。(もちろん食料を蓄える動物はたくさんいますが、理性で考えての行動ではなく本能ですのでここでは触れません) 必要以上のものとはつまり、「今日を生きるために使う以上のお金や食料」ということだと解釈します 今を生きれればいい動物と違って、人は「今」と「将来」の両方を考えているから今日が安泰でも明日や、その先のことも同時に心配します。心配だから、今日必要なもの以上のものをため込むのでしょう。死ぬまで先の将来までの不安を満たすことを考えると、いくらため込んでもキリがありませんよね。 食料は腐るし、お金はぜいたくをして使う気になれば無制限に使えますから。 だから必要以上のものが必要なのだと思います。
お礼
将来を考えるからですか。 なるほど。 そう聞くといいことのようですが、一方で不安がなくならない生き物だとも言えますね。 ありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>もっともっとという欲をもつ理由、源泉はなんでしょうか? もっともっとという欲をもつ理由、源泉は無知です。 「知足按分」を知ると、もっともっとという欲をもつ事は無くなります。
- zkxzm4kz
- ベストアンサー率11% (601/5075)
人類はその始祖のころから飢えとの戦いでした。 エサが豊富な地域にだけ住んでいれば貯めようと言う 要求は薄いでしょうが、極寒の地域、猛暑の地域、 飢饉干ばつなど食料がない=死という環境で生きてきた経験が 遺伝子内に存在しているんでしょうね。 エデンを追放されてからは食糧を自力で得るしかないわけですから。
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お礼
ありがとうございます。 たしかに人は過去や未来を考えますね。 ほかの動物は今しか考えず、今の欲求のみを満たせばそれでOKですね。 だから、不安になったら、将来への希望から「もっともっと」となるのかもしれません。 個性についても、なるほどです。 成熟してから、個性というものを知ったほうがいいかもしれませんね。