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”お東”といっても真宗のことではありません。
”おひがし”と読まず”おとう”と読みます。 畏きあたりのご不浄で処理するもののことです。 質問; 1、どうして”お東(とう)”というのでしょうか? 東にはそんな意味がないと存じますが。 2、禅寺でもお便所を東司(とうす)と呼称します。これはお東(おとう)と関連があるのでしょうか。 ネットの検索で様々な解説を読みましたが、どうも理解や整理ができませんので、質問させていただきました。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
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1.発祥の元は御東場(おとうば)です 宮中で使われている言葉です。 御東場にある、あるいは御東場(おとうば)で処理されるものということでしょう。 元来の御所の配置図がよくわかりませんが、トイレが建物全体の東側に位置していたのでしょう。 御東場(おとうば)は厠を直接的に表現しないために用いられたのかと思われます。 物事や物を直接的に表現しない女房言葉というのがあります。 現在の丁寧語のなかに沢山残っています。 女房言葉 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/女房言葉 2禅寺の東司の語源そのものはよく分かりませんが、禅寺の伽藍の配置ではトイレを全体の東側に配置していました。 禅寺でトイレを大切にするのは、日本曹洞宗の始祖である道元の正法眼蔵の「清浄」と呼ばれる巻きに述べられている禅思想に由来します。 ただし、この書では既に東司という言葉が使われていますので、道元が修行した中国発の言葉であるのかもしれません。 東司の前には東浄(とうちん)と呼ばれていたようです。浄をちんと発音するのは唐時代の音です。 東浄を司るというように変わったのでしょうかね。 詳しくは分かりません。 いろいろ薀蓄をかたむけているようです。 禅寺のトイレ:なぜ東司、西浄か www.y-morimoto.com/haisetsu/hougaku.html 以上の点から、禅寺の東司と御所の御東場に直接の関係はないもと考えます。 敢えていえば、いずれも建物の東側に位置していたということぐらいです。 尚、トイレの守護神としては、密教に烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)というのがあります、烏芻沙摩とも表記します。 この烏枢(烏芻)を「とすう」と読み違えたと考えるのはやや無理があるかとおもいます。 禅宗にせよ密教にせよ不浄を清浄に変えるという基本的な考え方は同じです。 詳しくは下記のサイトをご参照ください 身心清浄-正法眼蔵洗面・洗浄の巻をよむ- h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-161.htm
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- Postizos
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質問1について 婉曲語法・いいかえであろうと思います。 直接に言葉にするのを避けるために「そんな意味が無い」から使われたわけです。
お礼
ichikawaseiji氏のご解答でよろしいのではないかと存じます。 ありがとうございました。
- Postizos
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初めて聞きましたので岩波古語辞典で「東司」を引いてみました。以下引用。 【禅宗の寺院で、東序(とうじょ)すなわち仏殿・法堂〈はったう〉の東側に列する僧が使用する廁(かわや)。のち、かわやの通称となる。】 だそうです。 ですので僧が「東司」と称していたのが伝わって「おとう」となったと考えるのが自然ではないかと思料いたします。 音の響きからは女言葉のように感じます。
お礼
わざわざご調査までいただいてありがとうございました。 ichikawaseiji氏のご解答でよろしいのではないかと存じます。
お礼
明確的確にして該博詳細なるご解答にとても充足して感謝しております。
補足
単に共通性を想像させる用語であり、何故(東ーおとう)なのかに関心を持ったのです。 言葉表現とその生活は文化と心性を理解していく上でとても手がかりになりますね。