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君が代の原曲
ある人の話では既に19世紀中ごろには「現在歌われる君が代の原曲-特に君が代の最初の部分が同じ」が日本(または中国)に存在したようです。 その「原歌」はおそらく大昔中国から入ってきた唐樂、清樂などが日本の「邦楽」になって定着したと思われますが、どなたか何か(例えば「君が代によく似た日本の古い旋律」ご存知ですか?
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- tarohkaja
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回答No1です。 最初のご質問にはない、「日本行進曲」の楽譜が発見されたという情報、その出所、 また、音楽好きな士官が・・・という推察は誰の推察か、 そういう情報がない当初の御質問には、No1のとおりのお答しかしようがありません。 補足されたお話には、通説にはないことがありますので、私も知りたい=調べてみたくなります。 ですから、そのお話のでどころや、音楽好きな士官がという推察は誰が推察したのかを、ぜひお教えください。 通説では、君が代の元歌は「催馬楽」です。
- tarohkaja
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検索すればすぐ出てくると思いますが、 君が代は最初お雇い外国人に作曲させ、それがあまりよくないと判断されたので、伶人(今で言う「宮内庁式部職楽部」にあたる、明治初期の宮中楽人です)に作曲させました。 雅楽の楽師ですから、独自の作曲つまり新曲であっても、雅楽っぽいものになるのは当然です。演歌はどんな新曲でも演歌っぽい特徴があります。 雅楽にはなじみのない現代人は、雅楽はどの曲を聞いても同じ曲に聞こえます。能だって何の能でも謡はみんな同じに聞こえます。 どこかに君が代に似た旋律があると、似ているように聞こえても、別な曲です。 「ある人の話」というのがどういう根拠に基づくのか、疑問ですね。越殿楽と黒田節の話と混同しているのではないですか。 で、明治の伶人が作った曲に、「和音」をつけたのは、最初とは別のお雇い外国人です。 「君が代」で検索すれば、その名前もすぐ出てくるはずです。
お礼
回答ありがとうございます。 実は1862年8月の文久遣欧使節団のサンクトペテルブルグ訪問の歓迎の為に作られた「日本行進曲」(ロシアのみで出版)の楽譜が最近発見され、その中に2曲日本・1曲中国の「歌・メロディ」が引用されており、その第2主題(日本)の最初の部分レドレミソミレが1880年に作曲?された「君が代」と全く同じなのです! 1862年以前に既に「君が代」の原曲らしきものが存在したわけです。 恐らく音楽好きのロシア帝国海軍士官が長崎に滞在中に聞いて、採譜してロシアに持ち帰ったと考えられます。 この曲は最初の部分が「君が代」に似ているというのではなく、全く同じなのです!! フェントンの君が代やグレゴリア聖歌とは関係ありません。 曲が引用されているので、間違えなく「君が代」の本当の原曲が存在したと考えられます。 その曲名が解ると大変有りがたいです!
お礼
私はアメリカ在住のピアニストで現在日英シュトラウス協会の協力でシュトラウス・ピアノ・エディション・CD (www.StraussPianoEdition.com) の録音プロジェクトを行っております。 最近ウィーンでこの「日本行進曲」楽譜(見つからないと諦めらめていた)が偶然に発見され、Disc 7 (3月末発売予定)に私の録音を収録する予定です。 今CDの「解説」(英語)を書いておりまして、この曲の背景を調べております。 作曲者は有名なウィーンのワルツ王ヨハン・シュトラウスの弟ヨーゼフ・シュトラウスです。 偶々兄の代理でロシアで毎晩の演奏会の指揮をしてました。 第2主題にヨーゼフは次の短い6小節の旋律を「日本の旋律」として引用しております: レドレミ(全て4分音符)|ソ(全音符)|ミレミラ(全て4分音符)|ソミレ(全て4分音符)ド(8分音符)レ(8分音符)|ミ(付点半音符)レ(4分音符)|ド(全音符)| 日本の旋律はレから始まりレで終わるのが普通なので、最後のド(全音符)はヨーゼフが付け加えた可能性があります。 更に、第2小節のソ(全音符)もともとは4分音符の可能性があります。 私の本当の質問は「この日本の旋律の曲名を知りたい」です。 ロシア村まであった長崎の稲佐の芸者さんが琴で弾いた曲かもしれませんね。 最初の部分が「君が代」と同じなので、この日本の旋律が「君が代」の原曲(こういう質問の方が回答が多いと思った次第です)であった可能性もあるわけですが、私は別に「君が代」の原曲に拘っているわけではありません。 (私は日本の古い音楽・歌には全く精通しておりません(解りません)) なお第1主題は「茉莉花」で、既に18世紀に日本にも伝わっており、「日本の旋律」として引用されてます。 ヨーゼフは(1862年以前のウィーンでは聴いたはずがまずないので)これらの旋律を(1)図書館(ロシア国立図書館に問い合わせ中)で調べた、か(2)長崎に滞在したことのある音楽好きのロシア帝国海軍士官から直接教わったかのどちらかしか私には考えられません。(当時のロシア帝国外務省に「日本人?」がいたという記録もありますが) この旋律のidentityが解ると大変有り難いです。 皆様のご協力に感謝いたします。 小田川隆朗 工学博士 メール: wldczardas@yahoo.com