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太平洋戦争開戦。最初の攻撃時刻。
真珠湾攻撃より約1時間早く英領マレーのコタバルを攻撃しています。 作戦計画自体、時間差を設けていたのであれば、この1時間という時間差にはどのような意味があるのですか。 同時に攻撃開始する計画であったのであれば、なぜ時間差が生じたのですか。 陸軍が海軍より先に攻撃したという実績(功名心)を残したかった、ということはないですか。 よろしくお願いします。
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NO2です 海軍が開戦劈頭に真珠湾攻撃することは、海軍の極一部の者にだけ知らされていました。 この計画を陸軍に通告したのは、開戦直前です。 陸軍は、一番難易度が高いと思われるシンガポール攻撃の第一歩を築く為、コタバル上陸を重視していました。 開戦日の12/8は、コタバルの現地気象で上陸作戦が困難になるギリギリの日に、決められた日付です。 それほど、この上陸作戦を重視していました。 また、フィリピン作戦では、明け方の空襲を計画していましたが、基地の台湾が濃い霧に覆われ、発信不能になりました。 霧の晴れるのを待って、発信し昼の攻撃となりました。 各地で早期の攻撃を企図していましたが、反対に各地の攻撃で開戦を知られ、コタバルの船団攻撃、上陸作戦中の攻撃される事を一番恐れていました。 理由は、マレー、シンガポールを抑える事により、蘭印作戦、ビルマ作戦に繋がってゆく第一歩だったからです。 これは、言わば国家戦略をかけた作戦目的だからです。 だから、コタバルに第一歩を踏み出さなければならなかったのです。 これは、正式な宣戦布告以前に行われる事が計画されていました。 言い換えると、真珠湾攻撃は、海軍が勝手にやった作戦です。
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- mm058114
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現地時差と、日本陸軍の得意な、明け方の夜襲の為です。 実は、コタバルは、もっと早い時刻に作戦発動が計画されていました。 ただ、当日は波が高く、輸送船から上陸用舟艇への移乗に手間い、1時間前となったのです。 1時間前は偶然であって、功名ではありません。 開戦は、マレー半島への上陸で火蓋を切ることは、計画済みの事でした。
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ご回答ありがとうございます。 >実は、コタバルは、もっと早い時刻に作戦発動が計画されていました。 >開戦は、マレー半島への上陸で火蓋を切ることは、計画済みの事でした。 真珠湾とコタバルへの戦闘開始時刻は、銃撃、爆撃、砲撃のいずれにせよ第一撃は、同時刻で計画されていた、と思っていました。 現地の状況・天候により大きく左右されるので同時刻とすることは困難であるということは分かりますが、作戦計画段階でコタバル攻撃が先であるとする理由が分かりません。 コタバルでの戦闘開始は直ちに英国へ、そして同時に米国へ伝わりますから、ハワイの太平洋艦隊司令部に知れることとなり、真珠湾を目指していた連合艦隊の奇襲作戦は大きなリスクを背負うのではないでしょうか。
- あずき なな(@azuki-7)
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陸軍はマレーを攻撃して開戦 海軍は真珠湾を攻撃して開戦 と言う手はずです 実は陸海軍同時作戦では無かったんですね 時差もあるでしょうし 今の歴史では「真珠湾攻撃をもって日米開戦」と言うことになってます が 実際はコタバルでの戦果を見て海軍は作戦を立て直す事も考えていました で 戦果があったので予定どうり真珠湾をと言う運び そこまで準備とか通信とか大本営からの指示とか色々あって1時間かかってます
お礼
ご回答ありがとうございます。 >実際はコタバルでの戦果を見て海軍は作戦を立て直す事も考えていました あっ!そうなの? それは知りませんでした。 と言うか、コタバル攻撃の情報は直ちに英国政府へ、そして米国へと一瞬に伝わるはずですので、ハワイの太平洋艦隊司令部に知れることとなり、真珠湾を目指していた連合艦隊は大きなリスクを背負うのではないか、と思っていました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 コタバル上陸作戦が最優先・最重要であることは分かりました。 また、真珠湾攻撃が「海軍が勝手にやった作戦」かどうかは知りませんが、南方作戦の支援作戦であることは承知しています。