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アメリカのレインボー作戦とは?
元海軍中将の福留繁氏の真珠湾攻撃を読んでいるのですが、1つ分からない事があります。それは、戦前、日本がレインボー第5作戦を知っていたなら真珠湾攻撃をやらなかったであろう、という一文です。一応、レインボー作戦に目を通しましたが、分かりませんでした。どのような意味なんでしょうか?
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ああ、そもそもレインボー作戦つうのがどういうものかピンとこなかったってことですね? 島の始まりは淡路島で、スケベの始まりはそこのおじさんですが、事の始まりは第一次世界大戦後にアメリカが策定した「カラーコード戦争計画」です。アメリカは世界中のありとあらゆる国と「もし戦争になったら?」を考えて戦争計画を立てていました。その対象には一般常識的には考えづらいカナダとの戦争も(念のため)想定していました。 このとき、相手の国をそれぞれ色に例えていたので「カラーコード戦争計画」と呼ばれました。 そのカラーコード戦争計画を基にして、日本、ドイツ、イタリアの枢軸国との戦争を想定して立てた戦争計画が「レインボープラン」だったのです。 そのレインボープランは5つの状況を想定してそれぞれに計画されていたのですが、実際の戦争はそのうちの「レインボー5」に基づいたものとなっています。 福留氏がどのような文脈でそれをいったのかは前後の文章を読んでないので分かりませんが、私が想像するに「アメリカは元々戦略があってそれに基づいて粛々と戦争をしていた。それでなくても国力差が著しいのに、それだけしっかりした計画があったなら最初から勝てるわけがない」ということだったのではないかな、と思います。 対する日本はこれといった計画や戦略はなく、迷わず行けよ行けば分かるさの猪木イズムで対米戦争を始めました。 なお、よくいわれる「日本は明治38年の小銃で第二次世界大戦を戦った」ですが、それはまあ事実でもあるのですが、外国の軍隊はもっとモダンなのかというとそうでもありません。 ドイツ軍が使っていたKar98kは第一次世界大戦で使っていたGew98を短くしたものですが、そのGer98は明治31年に作られ始めたものです。 イギリス軍のリー・エンフィールドは明治28年に採用されたものですし、ロシアのモシン・ナガンは明治24年に設計されたものです。 それに日本軍も、昭和14(1939)年に九九式小銃という新小銃を採用しています。ただ小銃というのは何百万丁も作らないといけないので、そう簡単に全軍に支給できません。新しい銃の弾薬も作らないといけないし、旧銃の弾薬の在庫もありますからね。 三八式は6.5ミリの弾丸を使っていて、反動もマイルドなので兵士の評判は上々でした。けれど九九式は7.7ミリの弾丸になりまして、反動が強いので160センチくらいしかなかった当時の人たちには「反動がキツくて肩が痛くなる」とあまり評判が良くなかったのです。Wikipediaには「兵士の評判もよかった」とありますけど、私が読んだ元日本兵のインタビューや回想録では評判は良くなかったですね。 で、実はアメリカ軍も海兵隊はガダルカナル戦当時はまだ半自動銃のM1ガーランドはいきわたってなくて、明治36年採用のスプリングフィールド小銃を使っていました。 意外に思うでしょうが、分隊・小隊レベルの火力では大日本帝国陸軍もアメリカ陸軍もそんなに差はありません。日本軍には擲弾筒という手榴弾を迫撃砲にするような武器がありましたからね。迫撃砲による火力支援が得られる中隊レベル以上になると、日米の工業力の差が火力差となります。 「戦争は火力だ」というのは、日本陸軍も実は気づいていました。でも第一次世界大戦を見て「日本にはとてもこんなカネのかかる戦争はできない」と思ったのです。そしてノモンハン事件が起きて「怖れていたことが遂に現実になった」と震えあがる事態となりました。ソ連軍の重砲の火力に圧倒されたからです。 「でもそんな戦争はできない」のが現実だったのです。理由は主に二つです。ひとつはそんなに大砲とその弾薬を大量に用意するカネがない。もうひとつは、当時の日本人の貧弱な体格では、重砲を扱えなかったのです。大砲は口径が大きくなれば弾薬も強くなり、その火薬の爆発に耐えられるように頑丈に作らないといけません。必然的に重くなりますが、当時の日本人の体格ではそれが動かせる筋力がない。おまけに軍馬も貧弱で重い大砲を曳けない。代わりにトラックを使いたいんだけど、モータリゼーションがソ連に比べても遅れていてトラックの大量生産ができないし、そもそも車を運転できる人がいない。トラックだけ沢山あっても動かせる人と整備できる人がいないと運用できません。当時の日本ではトラックに対する民需がまだなかったのです。 なので陸軍は軍用トラックを発注することで当時のトヨタやいすゞに生産能力を与えて、民需を喚起しようとしたのです。悪名高い日本陸軍ですが、結構涙ぐましいことをしてるんですよ。 「貧乏日本陸軍がどうやってカネがなくても世界一流の軍隊であろうと努力したか」って結構面白いのですが、話が長くなりすぎるので。
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- nagata2017
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日本側の思惑は 米軍の海軍兵力を叩いて弱体化すること レインボー2は 枢軸国側と大西洋、太平洋の二正面で戦うもの。太平洋側の対日戦争を優先する・・・・ハワイに海軍を集めている それに対して レインボー5は 大西洋側への攻勢を優先するもの。海軍作戦部長ハロルド・スタークの「プラン・ドッグ」メモ(Plan Dog memo)における、「ヨーロッパ優先戦略」(Europe first)に基づく。・・・・ハワイに海軍が少ししかいない というちがいですね。 叩きたくても そこに相手がいない。
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- eroero4649
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「分からなかった」というのは、どういうことなのでしょうかね? 福留繁氏はWikipediaによるとコテコテの艦隊決戦主義者で、真珠湾奇襲作戦に対しても、また航空主義に対しても懐疑的であったそうです。 そんな福留氏にとっては、真珠湾の成功で山本五十六提督が軍神と祀り上げられるのが純粋に気に食わなかったというのがあったと思いますよ。自身は海軍大学校を首席で卒業した「恩賜のエリート」ですしね。 以前にも書いた気がしますが、そもそも真珠湾攻撃そのものが「あまりにリスキー」で一度却下されてるのです。山本五十六が通常は一期のみ勤める連合艦隊司令長官を二期連続で引き受けてかつ対米戦争を指揮するように求められたときに出した条件が「真珠湾攻撃を行うこと」でした。 福留氏の著作は読んだことはありませんが、1955年に書かれたものですから、あえて当時のリアルタイムの雰囲気や当事者の言葉を知りたいというのでなければ、現代では資料的価値は低いと思いますよ。 国民を塗炭の苦しみに追い込んだ当事者のひとりですから、自己弁護が入るのはやむを得ないと思います。
お礼
- gunsin
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レインボー・プランで検索すると、ヒットします。 戦争を知らない世代の勝手な推測ですが著者の記載に異議有りです。 彼を知らず、己も知らず、大和魂頼みの大本営では、考えられない 事柄です。 どこの国でも、机上で侵略を想定して、迎え撃つ作戦を想定 した上で、軍事予算を決めます、当時の大本営には、その様な 事を検討していたとは思えないのです。 検討していれば、戦艦大和などの無用な長物は作らないし、 三八式歩兵銃から自動小銃に、装備を変えていたはずです。 山本長官が米軍の待ち受けで殺された時に、暗号が解読されている のに気づくべきだったのに、なされなかった、情報分析の貧弱な 大本営がレインボー・プランを知った処で大和魂を持って 蹴散らしてくれるが大勢を占めたでしょう事が推測出来ます。 結果を見てからの、勝手な推測でした。
お礼