- ベストアンサー
黒人と白人の命や尊厳に違いはあるのか?
- 黒人と白人の命や尊厳について、日本でも評価が異なることがある。
- 日本人は様々な保護を受けている一方、他のマイノリティは軽視されることがある。
- 黒人や白人、黄色人種や褐色人種など、人権は同じとは言えないのかもしれない。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
人類発祥の地、アフリカを勝ち取ったのは黒人である。 白人は、その暮らし良いアフリカを追われ、寒い北方に 追いやられて、そこで生き抜くために道具~機械文明を 発達させて、逆上陸しているだけに過ぎない。 当初の「発祥の地を勝ち取った優位」は、オリンピックに おいて(特に単純なフィジカルが要求される競技において) 証明されている通りだ。 彼らが貧しく、虐げられているって? 確かに工業化=経済発展は遅れ、治安が悪く内戦も多い。 だが、どちらにも暮した人間として、ある意味、日本人ほど 「虐げられている」人たちはいないと言える。 こう言うと、「日本ほど平和で豊かな所はない」と反論され るが、その事自体が“表層的な観点による思い込み”、 いや“思い込まされている”洗脳に過ぎない。 精神において日本人ほど不自由で苦しい生活を過ごして いる人たちはいない。 「平和で豊か」でありながら、世界でもトップクラスの自殺率 な事が示している(それも西欧の「トップクラス」は老い先 短い老人の自殺なのに、日本は若者~働き盛りの自殺)。
その他の回答 (11)
誰一人として、同じ命はない。 そのことはそのまま、扱われ方も一つとして 同じものはない、ことを意味する。 生存も含めて個体の欲求を満たす保障が 暴力や経済力を含む「力」であるならば、 その量の違いはアリとクジラよりも大きい。 そして、明確なカテゴリーで分類された「群」も 個と同じ命や価値の不均等性を持つ。 だから、個が力をふるえばその個だけの正義と なるだろうし、群が力を備えてそれをふるえば 「政治活動」にも「人権運動」にもなるだろう。 持てる者は、それを守り、更に増やそうとする。 持たざる者は、集まって群れをなし、少しでも 持てる者から奪い、分け合おうとする。 しかし、持たざる者の中から力ある者が育ち、 やがては群の中でも不均衡を生み出す。 力を身に着けてからは、それまでの敵に取り込まれ 裏切るものも出てくる。 まるで対流を繰り返す大鍋の中を覗いているようだ。 命の尊厳、人間の価値が不均一で、綱引きを繰り返し、 離合集散を繰り返す、その力で恐らく、人類は社会を 進化させているのだろうと思う。 社会が進化すればするほど、持たざる者も豊かになる、 はずなのだが、雨風が入らない家の中で、蛇口を捻れば 水もお湯も出る、電気も通じるテレビもネットも繋がる。 でも、「そんなことは当たり前」と持たざる者は思う。 そして、持てるものを糾弾する。 明確に言えるのは、ご質問のような気持ちを持つ人々が 大鍋の中でせめぎ合いながら、少しづつ世の中をよくして いる、ということだけ。 結局、大したことが書けませんでした。 最近不調です。
お礼
人間の原動力 社会力学 経済力学を考えれば 色んな事が言えるでしょうけど 先人の残した教えや 自分の体験から考えた哲学に照らしてみるならば 人間が虫けらのように殺されることぉ許せば 我々も何時かそういう目に遭うのではないかと思います。 イエスの 汝の隣人を愛せよ という言葉が それでも多くの人を救ったのでは愛でしょうか? 哲学も長い目で見れば力になると思います。 不調だそうで 大丈夫でしょうか?私も不調ですが なんとか年の瀬を乗り切りましょう。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
NO.9 です。補足要求をいただいたと解釈しましたので。 >ソマリアの人と日本人に同じ命の尊厳があるのなら世界的に力を合わせて 助けに行かなければならないと思います。 こういった使命が人類の心に存在することは私も認めます。ですから現にアメリカが動き、国連も動き、「国境なき医師団」のメンバーが実働しているのは見られるとおりです。 そこで哲学がどんな役割をしなければならないのか?もっと積極的な、大々的な活動ができないのかということですが、現実として世界一金持ちの大国でも他国のために動こうとしたら、国益との兼ね合いでそれを国民に訴えて承認されなければ動かないしくみになっているということです。大国の大金持ちが個人の立場から金を出したり、自分で動くのは自由ですが、より実効のある行動力はやはり国家単位のものに限られます。 そういったものを可能にするためにはまず国単位の法律整備が必須であり、その法律の精神の骨格をなすのが人道哲学といったものです。国連の人権宣言とか憲章は各国民にとっては単なる努力目標であって、日本の不戦憲法とは違います。 >エボラ熱のある地域の人は隔離されアメリカ人や日本人程 丁重には扱われません。 現状の世界で是を解決するためには、やはりソマリアなどの国内での法整備しかないと思われます。同国人が同じ同胞を日本人が日本国内の国民を救うというように、ソマリア人同士の助け合いが最終的に世界的レベルでの医療サーヴィスを可能にするのです。 哲学には限界があると思います。
- wakaranyo2
- ベストアンサー率8% (81/940)
金貸し文化は、楽をしました。その為、犠牲を求めるのです。インディアンは、殺され黒人は、奴隷にされてきました。アジア圏は悟り文化なので本質を求めます。その上で対応します。欧米文化で教育されて、新しい事を学びました。科学技術は、勉強になりました。そして、合理性を身につけたのです。人権は、ルールを守れて備わるものと認識しています。
お礼
人権はルールを守れて備わるのですね。 そのルールとは? 確かにルールを破って犯罪を犯せば 人権は一部守られませんね しかし外国で戦争や病気で苦しんでる人がルールを破ったのでしょうか? それでも人権は守られていません インディアンは殺され 黒人は奴隷 と言うのとさして変わりはありません。 資本主義の行き過ぎも人権には良くないようですね どうもありがとうございます。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
NO.8 です。 お礼をいただきましたので少し捕捉を >現実はそうなっているんですね。 しかし哲学的にはどうでしょうか?それでいいのでしょうか? 思想信条的に いや・・・という人はいないのでしょうか はい、 >もしソマリアの人と日本人に同じ命の尊厳があるのなら世界的に力を合わせて 助けに行かなければならないと思います。 思想、信条の問題ですね。人道的見地から世界人民はお互いに連携して人権を守りあわねばならないという考えですね。哲学的にはどうなりますか。生物学的にはシステムとしての共生生物的連帯思想といったものが近いかと思われます。 要するに、一般に犠牲的精神というのは利己的遺伝子の基本からは導けないのです。国連だって単純に世界連邦的な考えではなく、先の大戦の勝ち組がその勝ち取った体制をより堅固に固定するためのものですから、現在の平和維持軍だって経済援助だって基本はその延長です。ぶっちゃけ繁栄する先進国にマイナスに影響したり脅かすものを予防的見地から抑えておきたいというのが本音でしょう。チャリティ的精神はあくまで余剰力のおすそわけであり、犠牲的な考えはないのですね。哲学はそういったものにいかに論理的合理性を見つけるかということになります。無理なものはあくまで無理なので、一般人の普通の常識に共鳴する思想が必要なことはどの時代でも変わらないのです。もちろん途上国が悪いままでは腐ってきて臭いがもれるし危険なばい菌が飛んでくる、テロがはびこり平和部隊はいつまでたっても必要になる。 先進国の重荷になることはたしかですから、彼らには自立して国内で処理して欲しい。感染症は最悪でもそこから出さないで欲しい、そんなところが原点でしょうか。冷たいですか? 日本の平和憲法は必要です。
お礼
冷たいというより その様な現状で満足ですか? 政治のトピとかに行けば現実論でいかもしれませんが ここは哲学の質問コーナーなので それで仕方ないと言ってたら哲学の敗北のような気はしますね 哲学が黙っていてはこの世は良くならないと 僕は高校の時から思っていました もうちょっと国連も在るべき姿になって欲しいですね どうもありがとうございます。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
要点を書きます。 人間は遺伝的に皆同じだそうです。愛し合うことも、子供を作ることもでき、話もおおむね通じ合います。 なので(とおもいますが)人間は皆平等の人権を持つのだと決められたのでしょう。これは法律によってです。 その人権をどう守るかですが、現状ではその国の政府が国内の人民の人権を守る義務を負っています。 その国の国民が国外に出れば、行った先の国の政府にこいつを守ってくれるようにと政府が依頼しています。 なので、ソマリアの国民がひどいことになっても、日本国政府は自国民をうかうか自国政府の責任でその国の国民を助けに行かせることに躊躇します。まず、自国民の安寧が第一なのです。 自衛隊員はその例にあらずということにあべという政府のひとがきめたようですが。
お礼
成る程 よく分かります。現実はそうなっているんですね。 しかし哲学的にはどうでしょうか?それでいいのでしょうか? 思想信条的に いや・・・という人はいないのでしょうか どうも大変ありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
ソマリア人も日本人も人権は同じ。 しかし、ソマリア国と日本国では、人権を守るべき政府の財力・技術力・使命感が全然ちがう。 先進国の国民であることを感謝しましょう!
お礼
そうですね 私は感謝していますが ソマリアの人たちは人権を持たないのと一緒ですねえ 人権を守るのに日本も他国も協力しなければならないのではないでしょうか? どうもありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"もしソマリアの人と日本人に同じ命の尊厳があるのなら世界的に力を合わせて 助けに行かなければならないと思います。" ↑ 生命に同じ価値があるかどうか、という問題と 助けるかどうか、という問題は違います。 区別すべきです。 ソマリア人と日本人の生命の価値は同じです。 しかし、ソマリア人を助ける義務、責任は日本や 日本人、世界にはありません。 ソマリア人を助ける義務、責任があるのはソマリア という国家、政府であって、日本や世界では ありません。 ”ナショナリズムで鬼畜米英と言ってた日本人です、 その辺の認識は必要なのではないでしょうか?” ↑ ハルノートで有名なハルは、日本人のことを猿と 蔑んでおりました。 フランクリンルーズベルトは、アジア人を 劣等アジア人と呼んでおりました。 韓国人は日本人を卑しい動物みたいな人間だ と非難しておりました。 猿の惑星の猿は、日本人がモデルでした。 ”黒人と白人の命や尊厳に違いはあるのか? ” ↑ 理念的には違いはありません、というか あるべきではありません。 しかし、現実の運用において違った扱いを している、ということです。
お礼
理念的だけじゃあ 同じじゃないのと一緒じゃないですか。 世界人権宣言を元に人権を追求し実現しようというのだから その国だけが守ればいいというのでは片手落ちです 東日本大震災の時も海外にも助けてもらったじゃないですか どうもありがとうございます。
人種や民族による命の軽重はありませんが、私の命とみなさんの命では価値が違います。私というものは世界に一匹の珍獣ですからみんなで大切にする必要がありますが、みなさんは60億もいますから5~60人死んでも大勢に影響がありません。
お礼
>みなさんは60億もいますから5~60人死んでも大勢に影響がありません。 ここがやはり引っ掛かるんですが、60億の皆さんにとってあなたはその一人に過ぎないのですよ。 5~60人死んでも の中にあなたが入れば一巻の終わりです まあ宝くじに当たるより低い確率ですが 実際には死亡や病気、怪我などを合わせると 貴方も他人事ではいられなくなります。 しかし面白い答えですね どうもありがとうございます。
- atomonados
- ベストアンサー率31% (55/174)
yuniko99さんこんばんは。 >もしソマリアの人と日本人に同じ命の尊厳があるのなら世界的に力を合わせて助けに行かなければならないと思います。 理想論ではなく、現実問題としてあなたは助けに行く気があるのですか? >果たして黒人と白人と黄色人種と褐色人種と他マイノリティの人達の人権は同じと言えるでしょうか 違うでしょうか? 同じです。不条理だと思われても、人権を犯すような決断をすることが世の中にはあるのです。その決断の是非が問題なのではないですか。たとえば、 >政府も国民も外国では、まず日本人の命を最優先します この決断が妥当なものなのかどうかとか。自分は妥当だと思いますよ。外国人の人権を後回しにしたとしても。
お礼
私のような病人がソマリアに行った日には、足でまといになるばかりです。 不条理が当たり前なら人権は名ばかりになりませんか 早く世界が理解し合って協力し合う時代が来るといいですねえ。 どうもありがとうございます。
- rex33
- ベストアンサー率11% (15/135)
http://blogs.yahoo.co.jp/yuniko99 https://twitter.com/yuniko99 http://twpro.jp/yuniko99 病人なら こんな事しないで 早く治して下さいね
お礼
ははは 何ですかね、これは? 病気で時間があるので書いています。 デカルトも病気で学校を遅刻して考えてたとか どうもわざわざありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
確かに 私も日本は生き辛いなと思いました。 今ではそれが当たり前と思うのですが 外国に行ったことがないので分かりません そう言う所はお互いに助け合うことはできないのでしょうかねえ 日本人の人間関係は 裏があって 無視とか差別とか当たり前ですねえ なるほどと思いました。 つまり日本人も人権は守られてない という事ですね。 どうも大変ありがとうございます。