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なぜ仏教は北伝と南伝で異なっているのか?
仏教の初心者です。そもそも なぜ北伝と南伝で異なっているのでしょうか? あと結局、日本にいるのだから北伝にしろというのであれば 調べる意味などないのでは?
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北伝は多くの民族を伝来してきたことで変遷したと思います。異民族のインド人の釈尊個人へに崇拝の念も薄れたと思います。釈迦如来を大日如来の化身とまで言っている。中華思想の強い中国では結局は根付かなかった。日本でも空海、最澄、法然、日蓮、親鸞などへの宗派の開祖への崇拝の念の方が釈尊よりも強いと思います。南伝ではインドは身近で釈尊への崇拝の念が強く、釈尊を一段上の位置に置いている。
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- 雪中庵(@psytex)
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北伝仏教=大乗仏教(ネパール~ブータン~中国南部・ベトナム北部~日本)、南伝仏教=上部座仏教(小乗仏教)において、大乗仏教は、マントラ(真言)を唱える事で誰でも救われるとするのに対し、上部座仏教は、厳しい戒律を持ち僧侶の修行によって悟りをひらき、庶民は僧侶に功徳を積む事で救われるとするものである。 文化的には、大乗仏教の伝播地域は、温帯モンスーン(梅雨)&ジャポニカ米稲作農耕地域であり、季節に拘束された労働集約的な農耕(=強い地域コミュニティ)において、集団主義的性格が強いのに対し、上部座仏教の伝播地域は、南アジアの熱帯~亜熱帯で年間を通じて収穫でき(三期作も行われている)、直播きで粗放的な栽培が可能であり、インドからカンボジア、タイなどの平原=大陸的性格と合致して、大乗仏教に比べると個人主義的であり、それゆえ我の強い性格を押さえて社会性を持たせるツールとして広まったので、厳しい戒律や僧侶への従属、一家に子供の1人は僧侶に出すといった、タガをはめるものなのだ。 元々集団主義であり、勝手にまとまるため、冠婚葬祭の儀式宗教としての性質の強い大乗仏教とは異なる点だ。 同じ大乗仏教の系統でも、遊牧文化圏の(別の要因で個人主義的な)チベット~モンゴルに伝わったチベット仏教が、別名「ラマ教」と呼ばれるほどラマ(輪廻転生を続ける特別な僧侶)への従属(一神教的側面)や、五体投地での聖地巡礼など、厳しい戒律を持っているのは、そうした原因の所在を窺がわせる。
お礼
回答ありがとうございます。 ~~~~~~~~~~~ ガンダーラ語文献[編集] ガンダーラ語の文献はカローシュティー文字で右から左に書かれる。アショーカ王の磨崖詔勅が古く、ほかに貨幣の銘文、中央アジアのニヤ遺跡などで発見された文書、および主に1990年代以降にアフガン内戦にともなって大量に流出した仏教文書などがある。特に大英博物館が入手したものは、調査を行ったリチャード・サロモンによると1世紀前半の法蔵部のものであり、仏典としては現存最古である。「仏教界の死海文書」と呼ばれることもある[3]。 ガンダーラ語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A9%E8%AA%9E ~~~~~~~~~~~ いつの間にかガンダーラ語の項目が日本語のウィキペディアのページにできていました。 >アショーカ王の磨崖詔勅が古く とか書いてあるのが気になります。
補足
もう仏教について調べるのはうんざりです。