同じ意味を持つ語を並べることの意味
「誤解や誤認はなるべく避けるべきだが、それを恐れていては文章は書けない。誤解から有意義な議論が生まれることもあると思って、勇気をもって筆を進めることこそが、書き手に求められる大切なスタンスだ。」
ネットで上の文章を読み疑問に思ったところがあるので質問させて下さい。
文の最初に「誤解や誤認」とありますがこれらは全く同一の意味を持つ語ではないでしょうか?辞書で引いてもこれらの語の持つ意味に差があるとは思えませんでした。現に二つめの文で「誤解や誤認」を「誤解から有意義な・・・」と「誤解」一本に束ねているように思えます。文章を作るときの基本は、無意味な冗長性を極力削ることだとどこかで読みました。とするなら「誤解」と「誤認」という同義語を並べることは違反ではないでしょうか?それとも「誤解」と「誤認」は、それぞれ持つ意味の範囲が違うのでしょうか?しかし持つ意味が違うのなら次の文で「誤解」と一本にされているのはどうしてなのでしょうか?
実は、ここ数ヶ月ずっと悩まされている問題がこれなのです。上の文章以外にもたくさんこのようなケースに出会いました。つまり、「AやBが~である。(AとBをまとめて)Aは~」という形の文章です。AとBは私の語彙ではほぼ同じ意味にとれる語です。AとBが違う意味をもつものなら当然2文目もAとBが併記されるはずなのにAにまとめられています。ということはAとBは同義語ということになるはずなのですがなぜか最初の文では併記されています。これらはどういった理由によるものでしょうか?
よろしくお願いします。