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小説の「視点」についてのご質問
- 小説の「視点」についてのご質問です。ご経験が豊富な方、お力のある方、アドバイスをいただけませんでしょうか。
- 小説の「視点」についての疑問を書き出しており、自身が書いた「三人称一元視点」の小説について疑問点があります。
- 書き出しの段落から一人称の小説になっている点や、語り手と主人公の思考が曖昧な表現になっている点について質問しています。また、全体的な視点のブレについても言及しています。
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ご自身で気付かれているとおりまず「三人称」と「一人称」が混在していて視点が今一つ見えません。 三人称としながら「それにしても何て大胆な子だろう。この離れた距離をものともせず雄たけびをあげたのである。」と一人称的「評価」を述べてしまっています。 「大胆な子」はもう少し風景描写によって描き出すべきだろうと思います。それによって「実の母ではない静子を「お母さん」と躊躇なく呼べる」ことになり「大胆な子」が後半に生きてくるような気がします。 登場人物の心情を書くことに先走っているのでしょうか。風景描写が乏しく、美菜と太一、K川、自宅、土手の位置関係が判然としませんし、「まだ家事がある」はずの静子がなぜぼんやりと二人を見ていたのか、そもそもこの場所が「自宅」のか「旅先の宿」の2階なのかも「まだ家事があるため」まで読まないと見えてきません。「洗濯物を取り込もうと2階のテラスに出ると土手の向こうのトラス橋から美菜と太一がK川に釣り糸を垂らしているのが見えた」とでもすれば位置関係とその場の状況がわかりやすくなるかと思います。 最初から「餌」を出してしまうと違和感がありますし、後半の「トカゲを餌にしていた」ことと「自らの命を投げ出すことができるだろうか」という気持ちの伏線としてはあざといという読後感になってしまいます。 「一つ上の長女の言動を真似る癖があり」も「長女」というのが静子の視点ですし、これは「姉を真似る弟」をはっきりさせるため「長女」ではなく「姉」の方が「兄弟」ということを明らかにする意味でも良いような気がします。 「釣糸、どこで拾ったの?」のセリフも唐突です。なぜ拾ったと決めつけられるのか、また拾ったことにすることの意味をどこにおいているのか、そもそも「魚もトカゲを食べる」と聞いて釣ろうと思い立ったなら釣り糸は家から持ち出すのでは? 『吊るしてる物によっては叱ってやろうかしらん』の心情もしっくりきません。冒頭に「餌らしきもの」と言っているのですからその内容で叱ってやろうという考えに共感はしにくいです。 これは「何を餌につっているの?」「学校で友達がね、これを餌にすると大きな魚が釣れるって言ってたの!」と美菜が糸を手繰るとその先にうごめくものが括り付けられていた。やがてそれは胴に糸をきつく結ばれ苦しそうにもがくトカゲであることがはっきり見えてきた。」という風にすれば静子が嫌悪感を抱いて起こる理由にもなるでしょうし、無邪気で残酷な子供の行動も描けます。 そうすれば静子の目が悪い、ということも物語にかせます。 ちなみに静子は「近視」でしょうか、「老眼」でしょうか? 眼鏡をかけることによって度が進むのは初期のころですから「近視」ならかなり若い年齢になりますし、老眼なら40代以降になります。どちらの年齢設定にするかでも三人の関係が変わってきます。 ちなみに普段眼鏡をかけなくても生活できる人は外に出るときはむしろ眼鏡をはずし、細かい作業などをするときに眼鏡をかけるものです。眼鏡をかけずに二人のところへ行って何を餌にしているかはっきりみえなくさせたほうが描写しやすいのでは? 小学校1・2年の子供がすでに「お母さん」と呼んでいるとなると「実母の記憶がない」か「ある程度年月を経て母親と認めている」かと思います。その設定をどこかに匂わせないと子供がすでに母親と慕っているのに静子は「わが子のように命を投げ出せるか」という疑問を持つ気持ちが生きてきません。 どうも二人とも静子の子供ではないようですがそれならば「年子」という設定もあまり生きてきません。美菜は養子、太一は実子の方がよいのではないでしょうか。 血のつながりのないことをトカゲの命をとおしてその心理を描くというのは面白いと思いますが、アイデアと筆が先走りすぎて十分に処理しきれていません。気持ちの移り変わりと書かれていますが、なにが変わっていっているのかも不十分です。結局静子は美菜と太一と血のつながりがないことを実感するだけで終わってしまっています。最後も「三つの影を横目に見ながら、橋の縁へ向かってそのまま歩いて行った。」と非常に冷めた目になっています。この終わり方だと静子は美菜と太一の本当の母親にはなりきれないとも「三つの影」というところで「本当の母親になる決意」ともどっちつかずです。 美菜と太一が静子に対してどういう思いでいるのかも不十分です。小学校1・2年生くらいだと親に「いつまでもそうしてなさい」なんて言われたらすねるか泣くか、駄々をこねるかです。ところが美菜と太一は素直に静子に謝っている・・・・というところみると美菜と太一は静子が実の母ではないことを知っていて気遣っているのだろうか、でもそれなら素直にお母さんと呼ぶのは、ともやもやとします(笑)。 もう少し人物像を作りこんだ方がよいのではないでしょうか。
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- mp20palpunte
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主人公から一歩引いた視点で書きつつも、主人公の心理を代弁するというのは、よくある形式だと思います。 こういった印象の物語だと、中学の国語の教科書に載っていると思うので、見直してみてはどうでしょうか。 ただ、特定の人物の心理を深く書けば書くほど、その人個人の視点に近づくことになります。 バランスの問題でしょうが、その場合、別の視点や別の人物の心理にはあまり踏み込めなくなります。 >1 >二階の窓から眺めていた。 いきなり眺めていた、と言われても誰が?となりますね。 静子は、トラス橋の~とした方が良いと思います。 >2、3、4 上にも書いたように、「視点」がわかることというのは、全体のバランスがとれていれば、多少踏み込んでも良いと思うので、この一点だけ見てもなんとも言えません。 >4 文章や描写に違和感を感じるところがいくつかあります。 どちらかというと、そちらの方が気になるので、視点に関してはこのくらいはそれほど気になりません >「釣糸、どこで拾ったの?」「川辺の草むらのなか」~~ のやりとりについて、全体的にセリフの少ない物語においては、語りの妙がものを言います。 セリフの連続はあまり好ましく感じません。 また、あまり重要ではない(本筋に影響しない)描写に、結構ボリュームが取られていると感じます。 橋へ曲がる直前に+それには乗らずに、~それより餌何つけてるの?まで、 「釣糸、どこから持ってきたの?残念だけど届いてないわよ」 ひょいと手すりから顔を出してのぞき込むと、糸の先に結びつけた何かが、水面に届かずブラブラしているのが見える。 「そこの草むら」 そう言って、美菜は川べりを指差した。だが、そんなことよりも、静子には気になることがあった。 「それより……餌何つけてるの?」 このくらいで済んじゃうと思います。 >彼らは悪いことに快感を覚えながら、それでいて叱られたくないといった顔をならべている。 >待って、引き上げる、引き上げてる。 子どもや、子どもに対して親が思い浮かべるセリフにしては固すぎるように思います。 リアリティというか、不自然さを感じるとテンポが悪くなります。 >作品のテーマ テーマとして、内面の移り変わりとありましたが、あまり感じれませんでした。 どちらかというと、普通の子どもと、ちょっと素っ気ない母親だな、ああ血がつながってないからか、というサプライズを与えたい話なんだなという印象です。 たぶん、トカゲを餌に→命に対する罪悪感→自分は命をかけられるかという流れにしたいのかなと思いますが、ちょっとトカゲから子どもの命に対する覚悟を想起させるのは飛躍した印象を受けざるをえません(そこだけ急に重い)。 まあ、後半は質問の視点についての話ではないですけどね。
お礼
いろいろな面においてのご指摘ありがとうございます。 具体例まで示していただき、とても勉強になりました。 推敲のときに、照らし合わせて、修正していきたいと思います。 本当にご親切にありがとうございました。
お礼
たくさんのご指摘ありがとうございます。 難しい内面のことも詳しく拾い上げていただきましたので、印刷して、赤線を引っ張りながら、読ませていただきました。 しっかりと纏まりをもたせられるように修正していきたいと思います。 本当にご親切にありがとうございました。