スマホ向けアプリの企画を立ててみました。
今回の投稿は、スマホ用アプリの新規アイデアに関わりますが、私は売り込みのつもりはなくて、写真研究の成果の実用的アイデアの提案として学術的に述べたものです。
このアイデアは研究者からの提案として公開しており、誰かが実用化を検討しても私は名誉以外の報酬は受け取りません。
タイトルは視野の主観認識における、注視する効果の、カメラという機会への応用です。
くだけた文章で説明するけど、気にしないで聞いてくれ。
中世の絵画における遠近法の発見に匹敵する、写真工学の革新がテーマだ。
カメラはもうデジタル時代の情報機器の一つで旧世紀の特別な品物ではないよね。
そんな現代でも旧世紀手法である、ピンボケ《ボケ味》が写真の魅力としてあこがれの的だ。
ピンボケは情報密度を縮小する。ボケない方が情報伝達では有効だ。
ところが、化石的設計思想の一眼レフタイプがいまだにカメラの最高峰だ。
スマホで済むのにね。
これはまさにボケ味のコントロールが目当てだからだろう。
ボケ味の良さは、主題のみにピントがあって浮きたち、主題以外は輪郭がぼやけることだ。そして主題が明白になる。
この旧式技術が表現したかった事が何か説明しよう。
今、PCの前でこの文章を読んでいるなら、ちょっと目線をずらして、キーボード脇のボールペンでも見てくれたまえ。
軽い注視なら、ボールペンとその周辺のキーボードとか机周辺の品物が視野の中で認識される状態だろう。より強くボールペンを注視知ることが出来れば、認識できる輪郭はボールペンのみとなり、見えていて当たり前のその周辺の景色は輪郭を認識できない色彩となる。
試した人はなるほどと思うだろう。この認識から外れて、輪郭を失った色彩が旧式カメラの表現でボケ味に相当する技法だ。
スマホでみているなら、スマホの画面を見ている間、その周辺の輪郭が認識できているかどうか意識して確認したまえ。
さて、人は古来から視野を忠実に認識することに取り組んできた。
中世の絵画における遠近法は実に画期的だったが、19世紀末に写真技法が確立して、視野の認識において、機械が投影した写真という成果が認識の全ての回答であるという結論が、まかり通ってきた。私が異論として、この論述をする現在までそれは続いてきた。
機械的な写真は、心に反映された個人の主観的視野と一致していない。
だからこそ、その意味もわからないで従来はボケ味が珍重されてきた。
その答えは、注視する効果による、認識の集約だ。
人がそれぞれの心で受け取った景色は、機械的写真とは一致しないよ。
この分野は哲学から派生した認識論、言い方を変えれば認識学とかもあるよね。
このように学問で20世紀中から研究されてきた事なんだが、だったら話は簡単だ。
ピンボケが出ないスマホカメラで、写真を撮影して認識学の応用アプリを作成して、人間の注視する効果に相当する写真編集をすればいい。
そのようにして、人間の視野における認識により近づいた写真作品を作成可能にして、アプリと共に、写真投稿サイトなどを立ち上げれば儲かるんじゃないかな。
今回はこういう話だ、私は研究者なので、実用化されたら喜ぶけど報酬は期待しない。今回は一般に公開して周知してもらう形だから、独占的企業が一人占めしようとしたら、裁判の際には証人に立ってあげるよ。
ここまでが質問主文です。
私は学問カテゴリーで普段質問を立てていて、こうした自分で質問を作ることになれていますから、意見表明の意図とは別に研究テーマとして投稿しました。
このようなアイデアについてご意見等およせください。
お礼
朝来たばかりのとても新鮮な論考をありがとうございます。 >「自分史額(じぶんしがく)」 >昔のアルバムはしまい込みがちになる。それを取り出し、物語風に仕上げ、身近に飾って、いつも眺める。 自分史額を眺めるという行為。 切なさもあるだろうけど、自然と笑いもこみ上げる。 記憶を残すということは、それを役立てるという以前に もっと人間の本質的な部分がある、そう感じました。