- ベストアンサー
結局何故、山に登るのか?
そこに山があるから、というのは好きなものに理由は無いということらしいですが、それをキチンと理論付けると何故、山に登るのでしょうか? 山でなくても構いません あなたの好きなことに置き換えて、それの夢中ポイントを教えてください
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
自分は「自称」スキーのアルペン選手で、ダウンヒルが(自称)専門です。アマチュアの滑降大会は、まさにアマチュアでも可能なように十分に安全なコースで行われますが、それでも優勝するような人のトップスピードは100km/hを超えます。 ※ちなみにワールドカップやオリンピックの滑降コースをアマチュアが滑ったら、確実に死にます(リアルな意味で(^^;))。 自分は経験から言っても技術的にも、入賞すらできませんが、コースコンディションが良くて100km/h近いスピードで滑れると、成績とは関係なく嬉しいです。そういう時は他の大会参加者も、レース後に一様に上機嫌(^^)。 ダウンヒルをやりたがる連中は、練習に本番よりハードな斜面を選んじまう事があり、時々スピードが出過ぎて滑走中に怖くて泣きます。しかしこいつらは、性格か精神に欠陥を持っていて、それでもブレーキをかけません。自分は臆病なのか?と思いましたが、出会った人はけっこうみんなそうでした。 自動車レースのF1が好きです。夏にF1中継を見ていると、車載カメラの映像が滑降中の体感と重なり、無性にスキーしたくなったりします(速度は3倍違いますけど)。 結局「そこに斜面があるから、スピード出るから・・・」になるのですが、#1さんの話に強引につなげると、一種恋に似ている気もします。「アバタもエクボ」です。「タデ食う虫も好き好きよ」・・・です(^^;)。 で、この話は別に体育会系に限った事ではないと思います。物理や数学などの非体育会系の中にも(哲学にも)、隠れ(?)体育会系はいます(^^)。 職業として学問にたずさわる人間は、三昧の境地を知らねばならないと、マックス・ウェーバーは言いましたが、究極的には案外正しい気がします。
その他の回答 (5)
#3です。 >山だから聞こえがよいのですね。これが酒だったら、「何故、酒を飲むのか?そこに酒があるから」 ただのアル中ですね・・・。 自分は大酒呑みでもあるので、耳が痛いなぁ~(^^;)。「好きこそ物の上手なれ」と「アル中(厳密にはアルコール依存症)」は、確かに紙一重ですね。大酒を呑み続けると、酒に強くなるし・・・(上手になる・・・とは言わない(^^;))。 どちらも本当ですが、制御戦略をどう立てるか?が、けっこう大事な人生設計のような気もします。じっさい自分はスピード狂で大酒呑みなので(←最悪だな)、免許を諦めました・・・(^^;)。
- majimemaru
- ベストアンサー率25% (32/128)
>あなたの好きなことに置き換えて、それの夢中ポイントを教えてください 脳の中に、快楽物質が出ている実感があるからです。 脳科学的には、幸福汁と呼ばれています。 山に登る人は、頂上に到達した時、脳内にその快楽物質がでるのでしょう。 私はゲームが好きですが、ゲームをしている時は、快楽物質が出ています。 しかしその物質は、時間がたつと分泌されなくなります。そうなると、「また、登りたい(その脳内物質を浴びたい)」と言う欲求が出てきます。ゲームなら、その快楽物質は長くは続きません。その時が「飽き」を感じる時です。そうなると、「他のゲームでもやるか」と思うようになります。 これが重度になると、アルコール中毒やパチンコ中毒、のような健康被害になります。 (私はお酒もパチンコもしませんが) 山だから聞こえがよいのですね。これが酒だったら、「何故、酒を飲むのか?そこに酒があるから」 ただのアル中ですね・・・。
- Epsilon03
- ベストアンサー率24% (868/3495)
征服心と満足感なのかも知れません。 普段手軽に行けるような所では無いところへ行ったと言う満足感と来たぞと言う征服心。 何かを作るにしても出来たと言う満足感と作る事を征服したぞと言う征服心。 そんな所では無いでしょうか。 理由が無い事等無いと思います。 征服したいとか満足したいとかと言う事も立派な理由ですしね。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
生きる事は、惰性(エントロピー増大)に抵抗する事です。 自然環境においては摂食行動になり、社会においては労働 になって、少しく本質が見えにくくなり、お金や虚栄心と いった補助具に依存せざるを得なくなりがちです。 急な坂を汗水たらして一歩一歩無心に登る時、自分の中の 生きる意志を明確に感じられるのです。
- sacco102
- ベストアンサー率41% (90/218)
人の感性というものは 言葉で表すことが出来る部分と出来ない部分があるように思います。 言葉 というのは 便利なツールではありますが 完璧なものではないと思います。 たとえば 「赤」という色を言い表すにしても 微妙な色の差を言い表すことは難しいものだと思うのです 「好き」という気持ちもそうではないでしょうか? ある人を好きになった として たとえば その方の こういうところが好き ああいうところが好き というのはあるでしょうが 深く心を感じてみると 言葉では表せない部分があって それはその理由は分からない ということです わたしは 踊ることが好きですが 身体が気持ちがよく夢中になれるのが好きです わたしは 料理を作ることが好きですが 夢中になって何かを作っている状態 というのが好きです わたしは 海に潜るのが好きですが 海の中でその世界と一体になって 他のことをいっさい忘れている状態が好きです 結局は夢中になっている状態が好きなんですが なんで夢中になるのか?と問われると その状態が好きだから としかいいようがありません 言葉では表せる理由と言うのは 案外 後付けのような気もします。 脳というのは だいたい後付けでつじつまを合わせるものです わたしたちは 選んでいると思っていますが 実はそれさえも思い込みだったりします(脳にそう思わされている) 詳しく話すと長くなりますので こちらを参考に読んでみてください。 http://web-wac.co.jp/program/galileo_x/gx110703