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人間関係の上下関係は消えないのでしょうか?

宜しくお願いします。 人は誰かと出逢った時に心の中で「この人は自分より上か下か」をジャッジしている、それは動物的な本能だとあるサイトに書いてありました。 人によってジャッジの仕方は違うと思います。その人が何に拘ってるのかって事で人の見方はかわってくると思うのです。だから人をジャッジする人=弱い人ってことじゃないんですか?そういう人って自分が過敏に反応しているだけの事(拘り)に関する真意を理解してないし受け入れられてないってことですよね?精神的に優位に立ちたがる人は馬鹿で愚かな人じゃないんですか?そうじゃなくてそれはやはり動物的本能なのでしょうか?

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noname#210533
noname#210533
回答No.9

いやもう、水が高い所から低い所に流れるのと同じで、 バカで愚かだというなら、殆ど全ての人が全員、バカで 愚かですしね。 歳取れば判ります。 必ず人間は皆、 本当に馬鹿だなあ、だけど精一杯生きてて、それでいいなあ、と 思うようになりますよ。 さて、上下関係は消えないか、という問いですが、会社でも 部下が上司を追い抜いて上司の上司になる例はいくらもあり、 政治家が失脚して秘書が政治家になることもあるし、芸能人など 一世を風靡してブイブイ言わせていたのが、売れなくなって 閑古鳥が鳴けば、それまで見下していた若い世代が台頭して 逆に「喰えないんなら仕事まわしましょうか?」なんて上から目線で 言われたりすることなんていくらでもあるでしょうしね。 例えば、あなたが今学生さんだとか若いサラリーマンだったとします。 今あなたに嫌味を言ったり説教したりしてる年上の先輩や上司も いるでしょう。 でも、例えば、あなたが独立起業して成功したり、小説書いて 小説化になったりすれば、疲れたサラリーマン人生を送った彼らの方が あなたに対してコンプレックスを感じるようになることもあるでしょう。 ただ、一つだけ言えるのは、上下関係を疎ましく思っているだけの人は 組織の中で成功することは難しいでしょう。 年下の後輩でも、誰にでも人当たりが良く、理屈っぽくなく、自分の考えや 感情に拘るばかりの人を笑顔でやり過ごし、仕事では上手に上司や先輩に 可愛がられ、相談し、手伝ってもらい・・・そうして知らない間に皆の 評価はブツブツ言ってる人より上になっていく。 そして、ある日例えばあなたの後輩があなたの上司に抜擢されたら、 いや、良くある話なんだけど、そうしたらあなたは平穏でいられなく なるでしょう。 申し上げたいことは、嫌な人、合わない人なんて世間に沢山いて、 その人たちを嫌って疎んじるしか出来ない人は、やはり人間的に レベルが低い。 世の中の人々は、そうやって評価します。 誰だって、良い人と付き合いたいから、こいつはダメだと思うと 人の気持ちも離れていきます。 そして、その裏を掻く様に上手に立ち回る人と言うのが現れる ものなんです。 損ですよねえ? 自分にとっての正義や物事の見方に拘り過ぎる傍らで、他人の 評価や考え方を上手に読み取って社会からの評価レベルを上げて 行く人がいることを、いつも頭の隅に置いとくと、いいかも。 あ、そうそう、言い忘れた。 仕事でも恋でも、「出来る奴」というのは他人を上か下かでは 見ません。 自分にとって有益か無益か、無害か有害か、必ずしも損得勘定と までドライにはなっていなくても、自分が生きる上で、どの程度 関わるべきか否か、で判断しているのです。 だって、自分はこいつより上だの下だの下らないことで一喜一憂しても 給料も上がらないし、生きるステージも上げられなくなるから。 たった今、自分より上だとか下だとか考えるよりも、10年後に この人は自分にとってどういう意味や価値がある人なんだろう、と 常に考えて生きていく。 そう考えている人は存外多いのですよ。 視野を広げて、違う価値尺度を増やしていくと、少しづつ、自分の 拘りを捨てて行けますし、棄てられなければいつまでも同じところで 足踏みしているだけの人生になってしまいますからね。 ご参考までに。

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  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.12

上下のジャッジは本能ではなく、体験からだと私は思います。 >人によってジャッジの仕方は・・・受け入れられてないってことですよね? 確かに。 馬鹿で愚かしい行為と言えるかもしれません。 あるいは、見方を変えると未熟であると言えるかもしれません。 おそらくは、誰しもその過程を経てからでないと 拘りに関する真意を理解できないだろうと思われるからです。 一つだけ言えるのは、対等でいられる関係(友人など)と 社会的集団組織(会社や自治体など)は、関係性が違うということです。 社会的集団組織は運営があるので、立場という関係が生じます。 立場の違いを上下関係とするか、人として(見下すなどで)上下関係とするか どこを見て上下関係と考えるかで内容は変わってきますよね。 質問者様は、人としての話しだと思いますが 受け取り側でどう取られるかは、質問の時に文字として 明確にされてないと誤解が生じるかもしれません。

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回答No.11

人は誰かと出逢った時に心の中で「この人は自分より上か下か」をジャッジしている、それは動物的な本能だと記載しているサイトを、見つけられませんでした。 そのあるサイトでは、どんな人でも、他人と出会ったときにはいつでも「この人は自分より上か下か」を心の中でジャッジしていると記載してあったのでしょうか。 質問者のrin1017さんは、自分の経験を振り返って、そうしていたと頷けますか。 そのサイトの記載者さんは、「この人は自分より上か下か」をある人物が心の中でジャッジしているのかをどうやって、認識出来たのでしょう。 タマタマそうしたことがあったのを知ったことがあるというのでは、「人は誰かと出逢った時に心の中でこの人は自分より上か下かをジャッジしている、それは動物的な本能だ」と推論するのには、あまりに強引だと思いませんか。  ~~~~ > 人をジャッジする人=弱い人ってことじゃないんですか? そんなことはないでしょう。 昇格試験の試験官や企業の採用担当者、あるいは他人と交渉をする人、これからスポーツなどで対戦しようとする相手に向かう人は、相手をジャッジします。 お店の店頭販売員でも来訪者をジャッジしないと、ただマニュアルにしたがって応対するだけではヤバイでしょう。    > そういう人って自分が過敏に反応しているだけの事(拘り)に関する真意を理解してないし受け入れられてないってことですよね? 相手の状況や力量、意図などを判定することは、意味のないことではないです。対象としている人物の力量に関しては、標準値や判定基準や公的基準、一般的な資格基準に比較してみる場合もあるし、自分の力量との相対レベルでみる場合もあるでしょう。 自分の力量との相対レベルで対象者の力量の上下や程度をみる場合は少なくないです。 そうした状況にある人物が、過敏な反応をしているとは限らないです。むしろ、出来るだけ正確冷静に見抜こうとしていることが多いように思います。  もちろん、もともと猜疑心や恐怖心、不安を抱えている人が、自分に危害が起きないか、自分が損をしないか、弱い自尊心をさらに痛めることにならないかとびくびくしている状況で、他人と相対するような場合には、「この人は自分より上か下か」を気にすることもあるでしょうが、むしろ「この人は自分を見下さないか、この人は自分を馬鹿にしないか、自分が劣位になってしまわないか」を気にすることが多いように思います。   > 精神的に優位に立ちたがる人は馬鹿で愚かな人じゃないんですか? 「馬鹿で愚かな人」の定義あるいは、「馬鹿で愚かな人」の判定基準は何でしょうか。 スポーツで対戦する場合、あるいは討論などで対する場合、さらに事業や仕事などで競い合う関係にある場合には、メンタルなことは案外に重要な要素になります。 精神的に劣位に自分をおいてしまった場合には、良い成果は得がたい方向に向かいます。 精神的に対等の方がまだましです。 精神的に優位に立てると思考や筋肉活動、五感の感覚もよく働きます。 そうしたことを考えると、精神的に優位に自分をもっていくという努力は、馬鹿で愚かな行為とは言えないでしょう。    > やはり動物的本能なのでしょうか? 何かを考える場合、動物的本能なのか、そうではないのかに気を回すのは、無駄というよりも、愚かしい行為です。 そもそも動物的本能の判定方法もないし、動物的本能だとしてだから何だということに繋がらないことがほとんどです。 もっと、具体的な行動レベルで筋道をたてて検討するようにした方が、損やロスがなくて済むと思います。

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  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.10

>人は誰かと出逢った時に心の中で「この人は自分より上か下か」をジャッジしている、それは動物的な本能だと これは至言ですね。よく分かります。その通りだろうと。 >をジャッジする人=弱い人ってことじゃないんですか? そうですね。”あ、こいつには勝てない”と思ったらたちまち卑屈になって、尻尾をふってやにさがる人間ですね。逆にその反対だったら居丈高に威張りちらす、上目線で他人を見て聞く耳をもたない。 >精神的に優位に立ちたがる人は馬鹿で愚かな人じゃないんですか?そうじゃなくてそれはやはり動物的本能なのでしょうか? はっきりいって馬鹿でおろかだから動物的本能以上の思考力を持たない、ということでしょう。人間関係を単純な力関係(何の力を感じているかは知りませんが、いずれ俗っぽいものでしょうw)でしか量れない、多様な価値観を、人間の人格に内在する様ざまな力、それらの多様性を理解しようとしない、その存在を信じない下種な人間です。

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  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

rin1017様、こんにちは。 英国では、「「コレコレの「資格」を得た者」については、就職上、差別を許さない」」って。

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回答No.7

上下関係には、2つの側面がある。 たとえば「会社の経営」という場合に、経営のビジョンを 持って将来の方針を決定し、その計画に基づいて指示を出す、 企画者としての面と、単なる情報としての指示ではなく、 利己的だったり怠慢だったりする社員を、叱咤して使役する 権力者としての面だ。 国会議員は本来、主権者たる国民の代理で、国のかじ取りを 分担する「企画者(公僕)」であるべきだが、うまく国民を だまして使役し搾取する、権力者になってしまっている。 たとえば人体の細胞のように高度に分業化し、一体の生命体 として活動する場合に、「脳は神経を通じて腕を動かして いるから、腕より脳がエライ!」と言う事に何の意味もない。 腕のない脳だけの存在など、アメーバ1匹にも劣る無力な物 だからだ。 日本のように集団主義社会では、言葉使いに敬語、謙譲語、 丁寧語など、人間関係や状況に応じて同じ意味でも変化する 語彙が存在し、常に上下関係を確認し、あるいは敬っている 事を表現している。 それは先述の2つの側面で言えば、対等な(1つの生命体の 構成員として)立場の企画者としての分業=上の人間の企画を 評価して従うのではなく、無批判に隷属する権力者としての 確認なのだ。 それは、動物における同等な機能を持った個体の強弱の比較 ではなく、不完全な分業化における非自覚的社会行動の結果 である(助け合うために集まっているはずの社会において 競争意識を抱く)。

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  • nitto3
  • ベストアンサー率21% (2656/12205)
回答No.6

子供のころの優越感は、何十年後かに出くわした場合、一瞬で表われてしまいますね。 毎日意識させられていた勤務時代の上下も案外残るような気がします。 再会の一瞬に起こることで大概は現状が支配していきますよ。

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noname#205097
noname#205097
回答No.5

神様から見れば全て貴重な命だとは思いますが人間は優劣で人を判断してしまう性があると思います。

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回答No.4

 こんにちは。    りんさんという方を――右翼についての情報をお持ちでよくおそわったのですが――存じ上げていましが 質問者さんは お若い学生さんということで 人違いだったようです。  さて ご見解について おおむね趣旨を同じくする見方を持ちます。  ▼ 誰かと出逢った時に心の中で「この人は自分より上か下か」をジャッジしている  ★ 〔それは〕精神的に優位に立ちたがる  ☆ といった大筋についてです。  いくらか細かくわたしの見方を説明します。  ★ 人間関係の上下関係は消えないのでしょうか?  ☆ 消えます。  ただし消えた場合にも 相手によっては 消えていないぢゃないかとつっかかって来る場合はあります。    相手はその人の人間関係観によってこちらをジャッジしており優位に立ちたがっているならば その心的現象が こちらの心にミラーニューロン現象として投影されて来ます。ですから その投影された絵は こちらの心が言わば鏡のようであれば そのまま写りますから 相手は――こちらではなく相手は―― やはりこちらにも上下関係がある(つまり 相手は自分自身と同じようにこちらも 他人(ひと)より上に立とうとしているのだな)とあやまって認識することになります。  ですが その錯覚は遅かれ早かれ ただされます。自分の心の中が こちらの鏡に映っただけだと やがて気づきます。(年齢が若いときには へたすると長い時間がかかるでしょう)。  1. この上下関係は 《アマテラス( A )・おほやけ(公) ‐ スサノヲ( S )・わたくし(私)》の連関性として捉えられます。  2. ひとなる存在は・そして自分自身としてのわたしは つねに《 A - S 》なる構造の全体としてあるという人間観であるならば 他人とのあいだに 上下関係は出来ません。  3. けれども ひとは往々にして《アマアガリ》を欲します。アマテラス公の単独分立です。他人より高いところが好きなようです。その限りで 《動物的な本能》のようなものも一枚噛んでいます。噛んでいますが このアマアガリを 本能だけでおこなうわけではありません。それには はっきりとした《ハカラヒ》があります。  4. 要するに 人と人とが相いまみえたとき そこには互いのまなざしが行き交います。このマナザシが水平であれば――もしくは先ほどの《公的と私的との構造的なあり方》をつねに心がけている人間であるならば―― 上下関係は出来ず アマアガリ志向もあまり起きないのでしょう。  5. けれども 中には根っから高いところが好きという性質のひともいるようです。あるいは逆にそういうタイプというのは  ★ 人をジャッジする人=弱い人ってことじゃないんですか?  ☆ という一面があるとも捉えられます。たぶん子ども(赤子や幼児)のときから親から受けた扱いによって影響をこうむっているのだと考えられます。だから つねに何かにおびえていることがナラハシになってしまうなら その人は いちばん高いところへ上がりたいという欲求を持つようになるのかも分かりません。  6. すなわち幼いころからのこのアマアガリ志向(欲求)がやがて顕在化し 高じて来ると 他人とのあいだのマナザシ関係において 当然のごとく自分が上に立とうとします。いわゆる上から目線です。むろんなおもアマアガリ欲求がはげしく アマアガリ・シンドロームに罹ったときには ぎゃくに――人びとから認められなければなりませんから―― この上から目線は引っ込めます。隠します。そういうすべを身に着けて行きます。  7. ★ 人によってジャッジの仕方は違うと思います。その人が何に拘ってるのかって事で人の見方はかわってくると思うのです。  ☆ そうでしょうね。しかもおそらく基本は どんな具体的なコダハリであっても アマアガリ症候群に罹ったという点は同じではないでしょうか?  8. ★ そういう人って自分が過敏に反応しているだけの事(拘り)に関する真意を理解してないし受け入れられてないってことですよね?  ☆ そうですね。本人は 自分がアマアガリ症候群に罹っていることを承知しているか? 承知しているようないないような。おそらく知っていても 《その症候群(病気そのものではない)に罹っていることを 受け容れられない》のでしょうね。  9. ★ それはやはり動物的本能なのでしょうか?  ☆ (3)に記したように それだけではないでしょうね。  10. ★ 精神的に優位に立ちたがる人は馬鹿で愚かな人じゃないんですか?  ☆ どうでしょうか。いわゆるトラウマとして直らないものとすれば バカで愚かだけれども その経歴じょうの原因や理由について惻隠の情を寄せる余地はあります。  11. 直ります。その深く深く傷つけられたかのような・痣やシミソバカスのような痕跡をまづ投影しようと思う相手を見つけたいと思っているでしょうね。意識せずとも。  12. 出会ってそのような人間だと思ったときには 確かに身の上話とそしてやがて心の内を述べて 自己表現するでしょうね。要するに言葉で表に出そうとします。  13. そのようなふところの深い人間は 鏡となって受け留めてやるでしょう。やがてそのように受け留められていると分かったなら アマアガリ《患者》は 直りたいと思うでしょう。  14. 相手となっている人間は それは けっして直らないトラウマなのではない。ただの蒙古斑だよと伝えるでしょう。精神や心は 外からのものごとによっては傷つくことはあり得ません。内からみづからの意図的な故意にする意志行為のあやまちによって傷つきます。それは 傷をつけてもよいからこれこれを欲するのだと言っておこなった行為なのですから。  ですから たとえ相手が親であろうとその外から受けたことがらは おのれの精神を傷つけることはありません。心は大海のごとくです。つまり 傷つけられたと錯覚したのは 海の上に波風が立ったというだけのことです。《精神》と《心理》とは別です。  15. あとは 本人の自覚と努力と《運》によって直ります。死んでも直らない場合というのは 本人がそう望んだ結果であるに過ぎないと言ってよいと考えます。  これでどうですか?

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回答No.3

こんにちは。 > それは動物的な本能だとあるサイトに ↑ 動物園の猿山を視るまでもなく、質問者さんが暮らす今は 福沢諭吉の言葉は無視をされて、人の上には人垣が山積み ですね。 動物である!と、人として!の間の生き物が人間と言えます。 ──と或るサイトに書いてありました。──明らかに質問者 さんより肉体的・精神的に下に感じる相手のタメぐちは容認 しないのでは?──だから人をジャッジする人=弱い人。 ──にはなりません。と思います。 ここで、動物的か?の判断をしないとなりませんが、 かなり危ない!人間を想えばサルに近いし、自分の判断が サルでは受け入れ難いし、人間で居る為の判断をして、 次に人間としての上下関係に基ずく行動を起こす。 かなりギクシャクした行動をその場で採る、変な奴を 晒す事になり得策とは思えない。 人のモノをかすめ取るなど、サルと同じに進化したと、 あきらめたら動物的である事に感謝出来ます。

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回答No.2

>人間関係の上下関係は消えないのでしょうか? 消えません。 しかし、関係はこの世の「仮」のものですから、変わります。上下逆転、下剋上ありですね。 このような考え方は仮観(けがん)と呼ばれる、仏教哲学の基本思想です。 また、人間に関係があり、上下があると言えども、その上下を露骨に表してはいけません。 これは仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌という日本の武士道の基本のうち、「礼」を重んじて、人の上下・重軽を表面に出さないのが上等な人間ですね。

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