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人間が嫌いで、人間関係がストレスです
私は人間嫌いです。みんな汚くて身勝手に見えてしまいます。愛や友情も、思い込みだけの嘘。思いこめば、ある意味それは真実ですが。 愛や友情なんて子孫繁栄のための本能ってだけじゃないですか。 その本能は、もちろん無ければ困るけれど、それがあるから生じる不幸は世の中に溢れていると思います。 人は必ず心のどこかに汚い見下しや優越感を抱いて生きている。 心のどこかで人の不幸を甘い汁のように啜っている。 いじめ云々があっても無くても。 完全に弱肉強食です。 世に蔓延する綺麗事や立派な言葉は汚い事して勝った強者だけが語れる。強者は自分が汚い事してきたくせに、弱者が同じ事すると容赦無くたたく。 でも弱者が強者になる事はできる。 前置きが長くてすみません、ここで本題ですが、 私は強者になりたい弱者ですが、ストレスを感じやすくて、すぐにイライラしてしまいます。 人の汚い部分が気になって仕方ありませんし、そこを気にするあまり、人当たりも良くありません。でも本音は曲げたくありません。 ストレスを感じないように、人当たり良く人に接する方法にはどんなものがありますか?
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私自身、ストレスを溜めやすい人間でした。 いろんな人を斜めから見てはいちゃもんをつけていました^^; でも、それを他人に言うと「お前は何様だ」と思われるのもわかっていたので 母親にだけよく愚痴っていました。 でも、ある時母に言われました。 「ストレス、ストレスっていうけどストレスが溜まるのはあんたがわがままだからだ」と。 要は「自分の思い通りに行かないからストレスになる」ということです。 言われたときにはムカッときましたが、落ち着いて考えるとなるほど・・と思いました。 自分はわがままでなかったか?他人を思い通りに動かそうとしていなかったか? 自分は何も変える努力をすることなく、他人が変わってくれればいいと思っていなかったか? こういう自問自答はものすごく苦しいですが、見つめなおすということは大切だなと感じました。 これは私の例であって、質問者さんがどういった人柄の方かはもちろんわかりません。 でも、私も同じようなことを思っていたことがあるので少しは気持ちがわかるつもりです。 なんか暗くなる表現ですが、汚い心を持ってるから人間に生まれてくるそうです。 自覚はなくともみんな他人をどこかで見下し、また見下されながら生きているのではないでしょうか? 知らない間に誰かを傷つけ、また自分も傷つけられながら生きているんだと思います。 ストレスを感じない方法ですが、人間なんて欠点だらけだと思います。 だから自分を他人に受け入れられてもらう為に 自分も他人を受け入れなければいけません。受け入れるというと大げさですが 「この人はこういう所がある人だな」とだけ思えばいいんです。それで終わりです。 人付き合いの上で、私はどうしても「他人を利用して自分の評価をあげるずる賢い人」だけは 受け入れることができません。それ以外は「オールOK」としています。 「自分もOK,他人もOK」です。 あと、人当たりは別によくしなくてもいいと思います。 私は個人的にニコニコと人当たりが良い人の方が何を考えているのかわからなくて胡散臭いので;
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回答番号:No.1 お礼文、ありがとうございました! ただ、個人的には「汚い?」人?の方が、奇麗?な人よりも、遥かに“魅力”を感じます。 趣深いというか、重みを感じます。 >ストレスを感じないように、人当たり良く人に接する方法にはどんなものがありますか? 好きなことを、どんどん増やしていくことでしょうか。 『強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない』
お礼
お返事ありがとうございました。 確かに、何も汚れがない人は、あまりいろんな事を経験していなさそうにも取れますよね。 好きな事、少しずつ模索していきたいです。
そんなものはありません。 汚いと思っているものと良い関係を保つことは不可能だからです。
お礼
回答ありがとうございました。 それでも人間関係を築いている人は居ますよね? そんな人の考えややり方って、どうなのかと思って質問してみたんです。
はじめまして! 一つだけ質問しても良いですか? お母さんは好きですか?
お礼
回答ありがとうございました。 母親の事は、感謝はしているし、尊敬する部分も多々ありますが 正直複雑としか言いようがありません。 好きにもなれないし、嫌う事もできないので避けています。 腹の底に、押し込めてきた不満がありますけど、 もうそれについて憤ったり、ぶつかったりする年齢ではないと 割り切って、母親に対する感情的な問題は、 数年前に、ある意味見切りをつけました。
- zeharu
- ベストアンサー率33% (1/3)
分かります(・・) 自分も人間が大嫌いです。2次元の世界の人しか好きになれません。最初自分も愛や友情が何のためにあるのか分からなかったけど、1人きりになって初めて気づきました。結局のところ、人間って1人では誰も生きていけないんですよね。「孤独」にさせないために愛や友情はあるんだと思います。 自分の場合は、人当たりを悪くしてしまっても、その後ちゃんと謝ります。「ゴメン」ってたった一言ですけど。一言謝られただけでも人間、案外「この人そんなに悪い人じゃない」って思ってもらえますから。でも、それでもイライラってするんですよね(--)そんな場合はネットででもイライラしている事をうちあけてみてはいかがですか? ・・・と、いう感じです。少しでもお力になれたら嬉しいです(^^)
お礼
優しい回答ありがとうございました。 確かに、人間孤独が嫌だから、愛や友情はありますよね。 私も一人も友人が居ないという事ではないので、完全な孤独というものは知りません。 関係性が浅いにしろ、友達がいる事は案外意味が大きいのかもしれませんね。 人に謝れることはいい事ですよね。 見習わなきゃいけない所ですが、そうなると私の場合 自分の存在自体悪という意識があるので、極論ですが、 「この場に存在してごめん」になってしまいます。 でもそんなのおかしい。「それなら人間みんな平等なんだから、 そこに同じくいるあなたがたもおかしい」という考えに至った結果、 最低限の事以外謝らなくなりました。 ただでさえ仕事のミスが多くて謝る事が多いのに、これ以上謝ったり 気を遣ってられません。 ネットで怒りをぶつけてます。もっとぶつけてみます。
- shizumo
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人間的にもっと、もっと誰にも負けないよう汚くなれば 自ずと勝者になれます。疑心暗鬼で周囲の者を粛正し恐れられれば良い。スターリンのように。 そして最後に当然裏切られる。
お礼
回答ありがとうございました。 何か一つの事を徹底する、良くも悪くもそれは凄い事ですよね。 スターリンのような精神力は本当にうらやましいです。 もちろん政治的に悪い事はダメですけど・・・ そういう精神力は、昔から欲しくてやまないものでした。 小学校高学年の頃から、カネよりも何よりも欲しいものが、 そのような精神力でした。 今でもずっと、切望しています。
- mathammy
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他の人よりも優れているとか劣っているとかと言うことなら、この分野については得意とか不得意とかありますが、それが強者・弱者にはイコールにはなりませんね。 たくさんの人の中での勝ち負けは、 利益・成果をどれだけ上げたかとか、 数字での比較でしかはっきりしませんよね。 仕事の場合だったら、周りとの相性とか、運のよさとかも含まれてくるから、いつも工夫・鍛錬・コミュニケーションを怠らないことが強者ともいえるのかな・・・。 目標を立てて、そこに向かって行動を起こしてみて、許す(失敗した自分を許せば他者も許してあげられる)・努力・反省のサイクルをしっかりして、 改善できた自分(努力前の自分よりもパワーアップできた自分)こそ、強者に近づいた自分ってことになるのかと思います。 弱い自分か強い自分、それ以外に比較できる基準はないと思います。 結局は、強者って理想の自分ってことですよね。 ストレスを感じているなら、ストレスを解消して、 スッキリして生活すればよいのではないでしょうか? ジムに通ったり、ランニングしたり、運動はうってつけですよ。 運動してない人にとっては苦痛しか感じないと思われるかもしれませんが、 とにかく続けていけば面白いことがおこります。 運動開始してから10~20分間はアスリートでも辛いそうですが、 動き続けて20分間を過ぎた辺りから脳内に快感を感じさせる物質が出るようになって、運動せずにはいられないほどになりますよ。 一週間は筋肉痛になり、ぎこちない歩き方になったりする方もありますが、初心者プログラム(18分くらい)を何があっても毎日続けていけば、 見た目も、体力もアップしますし、気分も爽快です。 なので、 自然と他の人のことが気にならなくなるし、 気分がいいので人にも気持ちよく接することもかんたんです。 理不尽で嫌なことも流せちゃいます。オシャレもできるし、いい事だらけです。 そこに、向上心をプラスして働けば、 強者になれるんじゃないでしょうか。(以前の自分よりも強い自分、そして自分に八つ当たりしようとする人に勝てる自分…言い負かさなくても流せてれば勝ったも同然です。あまりに酷ければ、筋が通ってないことを指摘すればよいのです) 相手は鏡ともいわれます。今、周囲の人の嫌な部分が見えているかもしれませんが、あなたが全力で行動すれば、変わってきますよ。 頭がごちゃごちゃするときは、頭を使いすぎなので、 足を動かしてみてください! 運動を是非試してみてくださいね!!
お礼
回答ありがとうございました。 運動は確かにいいですよね。 ただ、私の場合、何か努力している事があっても、すぐに無意味に 思えてくる癖があって、それに費やした手間暇や成果を、 ふとした瞬間に顧みると、とてつもなく空虚になったりします。 達成感というものが得られにくいんです。 そういうものを乗り越えてさらに、何か得るものがあるんでしょうから、 私も持続できたらしたいとは思います。 持続できない理由の二つ目として、すぐにほかの事に注意が行ってしまうか、それに過集中してしまうという悪癖があるという事です。 運動していても、途中で、他にもっとすべきことがある、と思いつめてしまうか、現実逃避的にはまってしまうかのどちらかです。 この不器用さにもたまらなくイライラさせられます。
汚い、とは、具体的に、どういうことを言われるのでしょうか? ただ、 >世に蔓延する綺麗事や立派な言葉は汚い事して勝った強者だけが語れる。強者は自分が汚い事してきたくせに、弱者が同じ事すると容赦無くたたく。 これは、真実っぽい。 『汚い!汚い!』と他人に向かって言う人物が『最も、人間として汚いという真実』
お礼
回答ありがとうございました。 「汚い」とは、例えば、「自分の欲求を果たすために他人を陥れる」ところ、「人間自分の非を反省しない、本当に悪いとは実は思っていない」ところ、 「人間は結局えこひいきしたり、好みで人を評価している」ところ、 「陰で何を言っているかなんて分からない、約束を守っているなんて、結局は見えない所では分からない、自己保身のなら自分にとって都合の悪い人間ならどうなってもいい、笑いのつまみにして人をおとしめる」 「悪気が無くても、人を“いじる”ことで、優越感を搾取すること、人が傷ついていることに気付かない、知らない、知ろうとしない、見ようとしないこと」 ・・・ もっとありますが、だいぶ主観的にもなってくるし、書ききれません。 そして、私は間違いなく汚い人間の一人です。 >『汚い!汚い!』と他人に向かって言う人物が『最も、人間として汚いという真実』 私的には、人間やっぱり誰でも汚い部分は持っていて、人が陥る状況によって、取る言動は違うはず。どんな人間でも、状況によって「良い人」にも「悪い人、汚い人」にもなると思います。 因みにここでいう良い人、悪い人、というのは、 自他共に、良く見える人か、悪く見える人か、という事です。 人間良い悪いの二元論では分けられないと思うので。 ただ良い悪い別として、やはり汚いとは思います。
お礼
丁寧な回答ありがとうございました。 私も、「ストレス、ストレスっていうけどストレスが溜まるのはあんたがわがままだからだ」と言われたら、内心憤慨しまくると思います。 人間なんてみんなわがままだから。 ストレスを感じにくい人は、いろんな人がいますが、 うまく自分のわがまま(欲求)を貫ける人が、そうなのかなと思います。 人をうまく仕向けたり、自分の問題は棚上げしてしまったり、 自分の非を他の人の問題に話をすり替えてごまかすなど。 そのような人たちの踏み台に自分はなっているのかと思うと いても立っても居られません。 そして、私のひねくれた意識の問題からか、他人に受け入れてもらう事 イコール、他人に媚びへつらう事、という図式があるので、 他人を受け入れたくないし、受け入れられるつもりもないと思ってしまっています。 こういう考えのせいか、仕事で目上の人のほとんどは苦手か嫌いです。 人当たり・・・結局良い人の方が確実に得はしてますよね。 複雑です。