- ベストアンサー
ゲイの映画には何故必ずゲイ同士の濡れ場が出てくる?
- ゲイの映画にはなぜゲイ同士の濡れ場が描かれるのか疑問に思っています。
- ゲイの映画においては、他のテーマと比べて濡れ場が多く描かれる理由について考えています。
- ゲイの映画には濡れ場があることで、偏見をなくす意図があるのか疑問に感じています。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
理路整然できるかどうか自信ありません。たぶん書いている内に支離滅裂になります。 映画やドラマなど、やはりエンタメであるので、特徴を際立たせて表現することが多いのでしょう。 おじいちゃんに「わしは~じゃ」としゃべらせたり、田舎から出てきた人がすごい訛ってたり、というのと似ているかと。 例えば嫁姑問題をテーマにした作品で、嫁のママ友会での愚痴と姑の老人会での愚痴を流すだけではやはり足りず、そこは是非台所での直接対決のシーンを入れるべきではないかと。 例えばスポコンをテーマにした作品では、スポーツで重要なのは普段の練習とかその周辺の人間関係ですが、最終的には試合で勝つか、負けるにしてもカッコいい負け方をして作品を締めないと、落ち着かないですよね。 「明日の試合頑張るぞ~」→次回に続く→「昨日の試合は惜しかったねぇ」では、聴衆が納得しない。 ゲイのテーマに戻って。 ゲイではないがとても仲が良く毎日のように飲み歩いている男2人と、ゲイの男2人。 これを映像作品の中でわかりやすく区別するには、濡れ場が必要なのでしょう。 あとは監督の好みじゃないですか。
その他の回答 (2)
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
性は、人間の重要な営みの一つですよ。 ですから、人間の真実の姿を描こうとすれば、性も描写しなければならない。 わたしは、当たり前のことだと思いますよ。 ☆確かにそれも世の中で起きている真実であると思いますが、親子愛の映画で親のセックスは見せないし、恋愛映画でのセックスでも、もしかしたら道具とか使ってるかもしれないのにそこは描かれません ◇プラトニックなラブ、精神的な愛の方が肉体的愛・エロス的な愛より善い、美しいという社会的風潮の現われ、反映なのでしょうね。 こういう風に、我々は刷り込まれているから。 これは、実はすごい偏見だよ。 そして、人間の身体(性)を蔑んでいる現われ!! 肉体を徹底的に蔑んだキリスト教からの脱却は、裸の見直し、裸の再発見から始まった。 (ルネサンスの絵や彫像は、人間の真実の肉体、そして、人間の裸を描くことから始まったのだ) まっ、SEXは基本的に秘め事で、ことさら、他人に見せるものでもないのではあるが…。 しかし、だからと言って、これを描いてはいけないことにはならない。 ☆これは逆にゲイの人らが勝手に被害妄想バリバリだからなんじゃないのか?といわんばかりです ◇いわゆる女性解放運動も、女性の性の解放という運動を伴っていますよ。 なぜ、こうした現実に目を背け、ゲイだけの問題と矮小化するのですかね。 異性間、ヘテロセックスの恋愛映画だって、男女間の濡れ場シーンはたくさんあるでしょう。 なのに、何故、ゲイの映画だけのこととするのかな? ではでは。
- kohichiro
- ベストアンサー率21% (306/1447)
私見ですが、そこを見て楽しい人のためにサーヴィスしているのと違いますか。 (そういった人に大勢見てほしいということでしょう。) 撮るひとは、そういった場面を技術的にいろいろ撮りたい気分があるはずです。見るのがいやならそんな世界へは入らなかったと思いますし、見るのが気もい人がいることは知っていても、それで興行的にマイナスになってもプロですから割り切っていると思います。 ピンク映画で男女の濡れ場がたくさん出てくるのと同じだと思います。あれがきもいひともいるようですよ。 私はげぃの映画は(知っていれば)絶対見ません。レズの映画は特に避けません。男女間のセックスを扱った映画は一時好んで見に行きましたw(今はほとんど行きません)。