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さらさらに
東歌の「多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの児のここだ愛しき」の「さらさらに」は、序詞であるトドの本にもあります。しかし、「サラサラ」という擬音語と、「更に更に」の副詞とを兼ねているならば、掛詞ではないでしょうか。大意を書くときも、そう書くはずです。
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次の本では、「同音の序」であり、「同時に…サラサラとした感じ」の擬態語でもあると触れています。 「さらす手作り─サラスは布などを洗い乾かすこと。テヅクリは手織りの布。以上二句、サラの音を起こす同音の序。同時に、テヅクリの触感のサラサラとした感じをも兼ねる。」(岩波版「日本古典文学全集版 万葉集」頭注3373) この場合には、多摩川に晒して仕上げたこの手織りの布=まっさら(真更)なサマであり、そのすべすべした<感じ>として、様態限定修飾ですからここでは擬態語にあたります。 つまり、ここでの「さら」は、「晒(水洗いと日干しの反復)」と「更(ことさら)」と「新(新品)」の「同音反復の序詞(ジョシ/ジョことば)」と見做せるわけです。 あるいはまた、多摩川という川の流れの擬音語「サラサラと」との連想での「サラ(晒す)」であり、そこから「サラサラ」が「さらさら(更更)」との「掛詞(/懸詞;かけことば)」であり、内容補足修飾としての擬音語としての掛詞の序詞なのではという、ご質問の方向もあり得るものでしょう。 実際「古語大辞典」(小学館)での「さらさら【更更】」の項の「語誌」中には、「「に」を伴った形もあるが、それは歌に限られる。上代からみえるが、その数は少なく、序詞を受け、さらに擬声語「さらさら」と掛け詞になるなど、用法が固定化している。」とあります。 この歌がそうであるように、少なくとも「さらさらに」と遣った歌の例限定では「序詞を受け、さらに擬声語「さらさら」と掛け詞になる」と言及してはいますから。 以上から、現代訳をしてみます。 多摩川さらしで仕立てた、その川の流れのさらさらとばかりに、このさらな手織り布の手触りのさらさら感ではないが、わが心中もさらさらに、今さらながら何とこの人がこんなにひどく愛しいのだろう。 この恋歌の前段には、<「同音反復」と「掛詞」の要素を兼ねた序詞>が遣われている、と。
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- OKAT
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おっしゃるとおり掛詞になっています。序詞の「多摩川にさらす手作り」が「さらさらに」にかかるわけですが、「さらさら」という擬音語との結びつきであり、それが「さらさらに」という副詞と掛詞になっています。枕詞の場合は訳することが難しいことが多いのですが、序詞は訳せるなら訳すと考えていいでしょう。 ……さらさらと水に流れるように、更に更に(ますます)どうしてこの児が…… という感じでしょうか。
お礼
そうですよね! なぜ、どの解説書にも序詞だという指摘だけして、掛詞の要素を書いてないのでしょうか? 不思議です。踏襲や孫引きをして自分の頭で考えていないのか、とさえ思います。 序詞でもあり、掛詞にもなっている、とちゃんと解説してほしいですね。訳出するとき(大意理解)にも関わるわけですからー。
お礼
書いてある本には書いてあるのですね。しかも、まっサラと、そのスベスベ感と更々と殊更といろんな意味が籠っていたのですね。限られた本しか見ないで結論を出して恐縮です。ありがとうございました。