他人の痛みはわからないはずなのになぜ悲しくなる?
ある小説を読んで罪もない人々が無残に殺される描写を見て涙が出そうなほど悲しくなりました、
その小説では「目の前でどれだけ死んでも私達には痛くもかゆくもない」
「だってそうでしょ?現に今、私達の二百メートル先で内蔵をはみ出しながら唸っている人間いるのに、私達のお腹は焼けるように痛いですか?腕が破片でグズグズになって叫んでる人もいますけど、私達の腕はちょっとでも痛みますか?誰だって他人の痛みなんてわかりません」とあります
これは間違いなく全てその通りですよね、なのになぜグレネードランチャーで虐殺される人々の描写で悲しくなるんでしょうか?今まで色んな作品を読んで疑いもなく悲しんだりしてましたけど、なぜ他人の痛みなんて全くわからないのに悲しくなるのかと考えさせられました。
自分と親しい人間なら自分にとって大切なモノだから、喪失感からと悲しいのは当然のことですが、この上記の人々は全く無関係の他人でいくら大切でもなんでもないからいくら失われようが関係ないので無関心なはずです。
ただ単にストレスで脳に負荷がかかったから涙を出してストレスを発散させてるだけなんでしょうか?
だとすると傍目から見てとても滑稽に思えますね、涙目をして他人のために悲しんでるように見えて実はストレス発散してるだけだとしたら。
ん?他人のために涙を流す?どっかで聞いたような言葉が思い浮かんだので使ってみたのですが、意味を考えると変な言葉ですね、いくら涙を流そうが全く他人のためにはならないというのに。
ああ、だから滑稽に見えるんだ、これは間違いで正しくは自分の為に涙を流すですね、泣いたらストレス発散できてスッキリしますもんね。
お礼
確かにww そう考えると気が楽になりました♪ ありがとうございます!!