- ベストアンサー
江戸時代のソバの値段
落語で時ソバとかが出てきますが、現代よりも高かったのでしょうか。 江戸のいつかにもよるかもしれませんが、誤魔化そうという発想自体が高かった証拠かなと感じます。 江戸長屋では煮炊きは余りできず、露店のソバ、天ぷら、すし、かば焼き、汁粉、などで食事をするのが普通だったらしいので、高いと家計に響くだろうな、と思います。現代なら毎日ファミレスではもたないようなものです。食べ物の物価の比較をお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
丼めし12文 汁8文~12文でしたから、それほど高いものではありませんでした。 感覚的には現在の立ち食いの駅ソバ程度と考えて下さい。 >誤魔化そうという発想自体が高かった証拠かなと感じます 時ソバの噺は値段をごまかして喜んでいるのが趣旨の話ではありません。 粋なイタズラの「粋」の話です。 江戸っ子の言う「粋」というのはある意味で分かり難い部分がありますので止むを得ないかとは思います。 >高いと家計に響くだろうな、と思います。現代なら毎日ファミレスではもたないようなものです 江戸の街の大工、鳶、左官、植木など外で働く職人は、一度にたらふく食べるのではなく、都度少量づつ食べるのが習慣でした。このために屋台の飲食店が無数に軒を並べていました。 にぎり寿司も天麩羅も元々この屋台で一つ二つ口に放り込むだけの食べ物でした。 その場でいくつもむしゃむしゃ食べるというようなことはしませんでした。 噺に出てくるソバ屋も移動しながら売っていました。 現在のファミレスに入る感覚で飲食するのは、いわゆる料理屋に入りましたので、庶民が気楽に使える場所ではありませんでした。 現在のサラリーマンの昼食に相当するものは一膳めし屋かそば屋で済ませました。 そば屋のメニューは現代とあまり変わりません。 若い女性はお汁粉屋に入りました。 >食べ物の物価の比較をお願いします。 ソバでも噺に出ているかけソバは16文でしたが、トッピングで値段は違いました。 しっぽく24文 花まきソバ24文 玉子とじ32文 天麩羅ソバ32文 その他 いなりずし4文/ヶ にぎりずし4~8文/ヶ おでん1品4文 お汁粉16文 団子一皿4文 どじょう汁16文 五目ずし100~150文 鰻丼200文~300文(贅沢品でした) 酒1合(江戸もの8文~10文 上方からのくだり酒20文~30文)酒の肴は12文/皿程度でした 茶店の茶代20文~28文 大工の日当は約500文~600文/日でした。 江戸時代の外食メニューの値段は4の倍数が基本的なパターンです。 当時は補助通貨として1文銭か4文銭の二種類だったことが原因です。 時そばの噺でも「銭はこまけぇ」と言っているのは4文銭であれば4枚ですみますが1文銭を使ったので16枚必要でした。 幕府がスタートした直後は1両=4分 1分=4朱 1朱=250文 ∴1両=4000文と決めました。 銭(文)の上はいきなり朱になっていましたので、庶民は専ら銭を使っていました。 大阪と江戸では大阪は銀使い江戸は金使いと言われますが、庶民は全国共通で銭(文)を使っていました 実際には、小判(1両)と銭(文)の両替は相場で決まっていました。 江戸時代全体として考える場合には1両=6000文と考えられたほうが宜しいでしょう。
その他の回答 (2)
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
銭湯と同じくらいって話を聞いたことがあるが、ほんとうだろうか? 時代によって違うと思うが。 解答ではなくてすみません。
お礼
そうであれば、わりと今と同じくらいでしたね。 どうもありがとうございました。
- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
江戸の初期は「ソバがき」でした。 今のような「切りソバ」ができたのは江戸中期以降です。 当初は一杯12文でしたが、16文になり定着しました。 ソバ粉8割、小麦粉2割、の二八ソバが評判になった ためでしょうか。 値段は1770年当時の1文、は今の15円と見ると 240円位になります。 安いようですが、一杯の量が少ないのでまあまあですか。 種ものは例えば32文という具合です。 蒲焼は鰻丼で並み一杯400文(6千円)でちょっと手が でません。 すしは一個8文(120円)まあまあの値段です。
お礼
明快な回答をありがとうございました。 大体、いまと同じぐらいでしたね。寿司は、回転ずしが「先祖返り」をしたよう。 やはり家で作って食べた方が安上がりでしたね。(笑)
お礼
これは、これは、詳細なご回答をありがとうございました。 廉価で、少量ずつ口に入れたらしいことが分かりました。 ベストアンサーにさせて戴きます。