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知るは楽しいは 馬の鼻先の人参か?
どうでしょう? 知るのは 楽しみにみちびかれているなら 利己志向の自己満足としてある。か?
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之を知るものは之を好むものにしかず、之を好むものは之を楽しむものにしかずとは、孔聖の道を語りし所なり。吟詩も亦然り。ただ其の詩を知り、其の詩を吟ずるのみなるは未だし、之を好むにいたりてよし。ただ之を好むも未だ可ならず、其の意を悟り其の義を楽しむにいたりて完きなり。 楽しめば則ち生ず、詩中の景、詩中の情、油然として其の心に生じ来りて、己れ遂に詩中の人となる、これを同化という。吟詩の妙味ここにあり、修養の道も亦ここにあり。われ諸君とここに従事せん。 これは、私の習っている詩吟の会の初代会長のお言葉です。知るは楽しいというより、知ることを楽しめるようになれば、勉強も楽しくなるということでしょうね。
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こんばんは。悪魔です。 >>約束どほり、コメントはなしです。 中身のコメントは、なしです。感想のみ。 せつかく、他のカテゴリへの投稿をすすめていただいたので、哲学カテゴリの投稿を減らして、今たまつてゐる質問をあちこちでしてくるつもりです。たいした内容ではありませんけれど。私としては、良い人にお会ひできたと、思つてゐます。フクアカを使用する人はたくさんゐるのですね。もしかすると、ナスビだと思つてゐても、別人なのかもしれません。いづれにしても、私は笑はれるのが好きなので、互ひに好都合です。これからも手の内をすべて明かして、笑つてもらひたいものです。私には、フクアカナスビの笑ひ声がいつも聞こえてきます。
お礼
それぢゃあ おれさまのひょいと漏らす《感想》の中に わるい印象として 入らないように くれぐれも おのれの言葉づかいや振る舞いには気をつけたまえ と言っているゲシュタポみたいぢゃん。 ご回答をありがとうございます。
覚え書きです。 使わせていただきます。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 解読!釈迦遺骨の謎 原題:Bones of The Buddha http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/1167 ペッぺの発見に懐疑的な人々は、他の現場での捏造が証明されたドイツの考古学者アントン・フューラー博士の関与を理由にあげている。 ~~~~~~~~~~~~~~~ Bones of the Buddha http://en.wikipedia.org/wiki/Bones_of_the_Buddha こういう番組もあるのかと思ったら Dr Alois Anton Fuhrer — a German archaeologist who soon became notorious for forging other Buddhist relics あの、本当に、Alois Anton Fuhrerは、仏教徒の遺物を捏造したのでしょうか? Alois Anton Führer http://en.wikipedia.org/wiki/Alois_Anton_F%C3%BChrer というかドイツの考古学者ですよね。 では、日本語のウィキペディアに書いてある釈迦の項目の発見はどうなるのでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、1868年、イギリスの考古学者A・フェラーがネパール南部のバダリア(現在のルンビニー)で遺跡を発見。そこで出土した石柱には、インド古代文字で、「アショーカ王が即位後20年を経て、自らここに来て祭りを行った。ここでブッダ釈迦牟尼が誕生されたからである」と刻まれていた。この碑文の存在で、釈迦の実在が史上初めて証明された。 釈迦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 インドのウッタル・プラデーシュ州ピプラーワー説 1898年にイギリス駐在官W・C・ペッペが、この地から、「ガウタマ・シッダールタの遺骨及びその一族の遺骨」であると書かれた壺を発掘し、また近代に至って、「カピラヴァストゥ」という文字が刻まれた印章などが出土していることから、ほぼこの地ではないかと推察されている[※ 1]。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 日泰寺 本堂 愛知県名古屋市に日泰寺というお寺があります。日泰寺は、1900年にシャム(現在のタイ)国王から贈られた仏舎利、つまり釈迦の遺骨を奉安するために1904年に創建され、「日本とタイの寺院」という意味で日泰寺と名付けられました。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/jpth120/knowledge/temple.html ~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本に釈迦の骨があるなら できるのかどうか知りませんがDNA鑑定でもして決着をつけて欲しいですね。
お礼
覚え書きですね。 / 使わせてやるよ。 と言われたら まだ模索中であり 新知見にはほど遠く 質問への回答 としてはなおさら遠いのですが ささやかながらこれこれ の情報が得られましたので 掲載させてください。 とうけこたえするものだ。ふつうの人間なら。
II. THE NIGĀLĪ SĀGAR PILLAR AkSāṃSār Nigālī mpill Eng - A ... (A) 1 Devānaṃpiyena Piyadasina lājina codasa-vasā[bh]i[si]t[e]n[a] 2 Budhasa Konākamanasa thube dutiyaṃ vaḍhite (B) 3 ........ sābhisitena ca atana āgāca mahīyite 4 .......... pāpite AkSāṃSār Nigālī mpill Eng - A .. (A) When king Devānāṃpriya Priyadarśin had been anointed fourteen years, he enlarged the Stūpa of the Buddha Konākamana to the double (of its original size). (B) And when he had been anointed [twenty] years, he came himself and worshipped (this spot) [and] caused [a stone pillar to be set up]. http://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=fulltext&vid=378&view=fulltext 昨日言及しなかったもう一つのほうですが Devānāṃpriya Priyadarśinは、アショーカ王のことみたいです。 それで、問題なのはBuddha Konākamanaです。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 碑文によってみると、アショーカ王時代にすでに過去仏の信仰が行われていた。アショーカ王はコーナーカマナ仏(Budha Konākamana)のストゥーパを建てている。この仏はカナカムニ(Kanakamuni 拘那含牟尼)仏ともいわれ、過去七仏のうちの第五とされている。】 P.515~516 http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1820412.html ~~~~~~~~~~~~~~~~ こんなことを書いてもしょうがないような気がするのですが、 ブッダ・コーナーカマナは実在しないでしょう。 実在するなら、シャキャムニ以外にもブッダが実在することになります。 碑文に書いてあるからといって ブッダ・シャキャムニが実在したとはいえない、と思います。 そういう証拠はまだ出ていませんが。 ~~~~~~~~~~~~~~~ それから昨日のルンミンデーイーのほうのメモ書きとして ウィキペディアに書いてあるイギリスの考古学者ですが どうやら Alois Anton Führer http://en.wikipedia.org/wiki/Alois_Anton_F%C3%BChrer という人のようです。 ルンミンデーイーのアショーカ石柱刻文柱再考 ―マヤ堂出土の「自然石」に関連して― 塚本啓祥 http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/1160/1/KJ00004196210.pdf ~~~~~~~~~~~~~~~ あとどうでもいいけれど 7. Rumindei, Nigālī Sāgar minor pillar Edicts. (Māgadhī and English) 思いっきり、Māgadhīとか書いてありますね。Māgadhīがなんなのかわからないよ。
お礼
覚え書きですね。 使わせてやるよ。
「お礼」拝見しました。 >>ぢゃあ だれが なんですか? ナスビの投稿文には、読みましたよ、といふ印として、投票しておきます。あとは、私の回答履歴をご覧になれば、いくらかは出てきます。それ以外は、感覚でせうか。判断しかねるものも、たくさんあります。 自作自演の中に、「あなたは人間不信なんですね。」といふ文がありました。bragelonneさんの指摘は、ひきこもりページの質問者さんは物理学教授なのだ、といふ意味ではなかつたのですか。意図はともかく、論理的で筋のとほつた見解でしたので、ただものではない、とずつと考へてゐました。 いづれにしても、文章は中身で判断するものであつて、どちらの人も、その他の絶交者も、私にとつては、感心させられる内容でした。 最近、フクアカを疑ふのが、おもしろくて、あちこちで迷惑をかけてゐるのではないかとおもひます。満足した豚ページの質問者さんの正体もずつと気になつてゐます。 佛教への返事はよろしいのですか。ときどき発言なさる方のご意見も、考へさせられる内容が多いですね。 *** *** *** *** *** http://questionbox.jp.msn.com/qa8663346.html ジョージ・ハリスンのページに登場した人生相談の人が新たに質問をしてゐました。「猫の鼻派」の学生さんが、がんばつてゐるやうでしたので、私も投稿しようとしましたが、一足ちがひで、締め切りになつてゐました。いちおう、ここに載せておきます。学生さんが読んでくれるかどうか、わかりませんけれど。 http://questionbox.jp.msn.com/qa8673437.html *** *** *** *** *** こんばんは。またまた、負け犬のplapotaでございます。 >>そのような言い方で正統化するのは負け惜しみなのか? 「負け」犬ですので、当然「負け」惜しみを言ひます。理屈に合つてゐます。正当化の必要などありません。 >>コンプレックスは武器になる、とか言ってる人もいるけど 「負け」犬であること、それは結果であつて、すでに勝負が終了してゐることを明示してをります。したがつて争ひなどありません。平和な世界です。ゆゑに、武器をもつ必要はありません。負け犬としての、あるがままの現実を見つめればよいのです。 私はあちこちで、犬になつたり、豚になつたり、怠け者になつたり、悪魔になつたり、自己チューになつたり、アホになつたり、日本一の嫌はれ者安倍君になつたり、多忙な生活を送つてゐます。 >>何とか「言い訳」しないといけないので 「怠け者の言い訳」については、URLを示しておきます。下記回答番号5。 http://questionbox.jp.msn.com/qa8654330.html 上記のとほり、負け犬は、多忙です。哲学カテゴリだけでなく、外国語、国語、音楽、化学、文学、などなど、そして、ついさきほども、物理学カテゴリへの誘ひを受けました。勝ち組たる人間様は、しもじもを見下して、ゆうゆうと生活なさるのですが、負け犬は、あちこちかけまはつて、忙しくてしかたがありません。これにて、失礼いたします。 お気を悪くなさらないでくださいませ。 哲学カテゴリは、口は悪くても、本音で面倒を見てくれる人たちがいつぱいです。いつでも大歓迎でございます。犬の世界は最高だ!
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ いづれにしても、文章は中身で判断するものであつて、どちらの人も、その他の絶交者も、私にとつては、感心させられる内容でした。 ☆ その内容を説明していただけませんか? ★ 「あなたは人間不信なんですね。」 ☆ と指摘することと 次のように説明することとは 何の関係もありません。 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◆ 人間不信 ☆ とは そういう《現実と想像世界との分離》を持って生きている状態ではないか。 ◆ 不条理 ☆ とは そういう人間不信を起こさせた何らかの出来事でしょう。それは 道理がとおらなかった場合に起こります。上司や相手の会社の態度が 理不尽であったり よほどの詐欺や騙しに遭ったりした場合です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ 佛教への返事はよろしいのですか。ときどき発言なさる方のご意見も、考へさせられる内容が多いですね。 ☆ 《読んでいません。分かりません》と重ねて書けという意味でしょうか? 《動かぬ証拠を出してわたしをくるしめてください》とすでに言ってあります。せめて そういう証拠はまだ出ていませんが・・・とまづあいさつをしてしかるべきです。そのエチケットの無さを知らしめるために 同じ行動の形式で応じています。 一つひとつに意味があります。 ★☆ いづれにしても、文章は中身で判断するものであつて ☆ の実行をねがいます。 からめ手から攻めているという(周辺事情から核心にせまるという)意味合いはあるかも知れませんが いつまで経っても 堀のまわりをまわっているのは 困りものです。《将軍》なら すみやかに天守閣にせめのぼりましょう。 《ゲシュタポ》流儀とうたがった感覚は よみがえって来ています。よ。
補足
【Q:神とは何か?】 回答No.8 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6057191.html をごらんください。(投稿日時 - 2010-07-22あたりのものです。四年前になりますね)。 この一件のみは くだんの教授氏が はじめて・そして最後に すなおになった事例です。 わたしの持論に賛同しているからそう考えるのではないかと言われかねませんが まぁ あとはぜんぶツッコミを入れるなどという程度ではなく 突っかかって来る投稿なのですから その点 きよらかなおそれから見放されてはいないことをもお伝えしておくべきであろう。こう思いました。 たぶんこういった点・つまりわたしがその思想を批判する人びとについての 反面でのよい点 こういったことがらは 何ごとよりも先にお伝えしておくべきだと思っての書き込みです。 ▲ (マタイによる福音書 5:22-24 ) ~~~~~~~~ 22: しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。 兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。 23: だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 24: その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ いづれにしても、文章は中身で判断するものであつて、どちらの人も、その他の絶交者も、私にとつては、感心させられる内容でした。 ☆ というふうな評言を 次のように一たん控えると言ったあとに言うものですから ややこしくなるのですよ。 ★★ (回答No.24) ~~~~~~~~~~ >>文献を数多く挙げてこれらを読んでみたまえと言って 逃げます。 約束どほり、コメントはなしです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 《悪魔》ぶりは なおりませんね。
- fuukakou
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お礼ありがとうございます。 お互いにこっそり親切にし合う社会。それはそれで良さそうですよね。これもありだと思います。中間だけでなく。 あの後考えてみました。 ”自分の中で既に決まってる自分の良い評価” を周りに 自分と同じように評価することを求める のがマズイのかな?と。 これがダメな気がします。 イコールになる訳ないものを求め続ければ周りからは嫌な人に… 評価されることそのものを目標にしちゃうと似た罠にはまりそう。 自分が求めるところに行かないと(自分がされたい評価は既に決まってるわけですから)イライラしたり、逆にこれでもかこれでもかとエスカレートしたり、とってもオドオドしたりしそう。 自分の評価は自分自身がくだすものと、周りがするものがあって、イコールにはならんがな。どれも合っててどれも外れてるのが普通じゃね? が判んないと苦労しそうですよね、自分も周りも。そして常に変動するものだという事も。 自己満足で完結すると、成長しなかったり周りからの評価の低さ気が付かないで暴走されたり問題がありますね、自己評価…でも自己完結してくれた方が安全な方もいるからなぁ。難しい… 陰でいい事…可能性の一つを思いつきました。 ひょっとしたら、お返しをされてしまうの嫌なのかな?と思いました。 お返し文化があるから。これ始まったらどこで区切っていいかよく判らず、延々と続き、イーブンでありながら借りが出来てるように感じる世界… ちょっとした親切心がこのサイクルに入るのを防止したいとか。 お返しをされると、そんなつもりでは…相手に迷惑をかけたのでは…と、行い評価がマイナス方向に行きそうな気もするし。 親切にしたい、でも自分が心苦しい気持ちになりたくない。ならこっそりと。陰で。匿名で…と言うのもありそうな気がしました。 有名になってその後生きづらいっていうのもなんか正しいような気がします(笑)
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ ”自分の中で既に決まってる自分の良い評価” を周りに 自分と同じように評価することを求める のがマズイのかな?と。 ☆ いや それは 《求める》のではなく 《問えばよい》のではないですか? きちんと 相手にたいして 《どう思いますか?》と問うてみるとよい。 ということは そのように互いに問うて対話しあうその前に 自分だけで 自分の考えやおこないは良いものであると決めつけるのが のぞましくはない。となりませんか? もっとも 誰もが 自分のことがかわいい。ので 自分をひいき目に見てしまう。 ★ 自分がされたい評価は既に決まってるわけですから ☆ すでにかなり自信を持って 決まっていると思っている場合には なかなか自説を曲げないようです。人間は。 それに わたしはいま ○【Q:赤っ恥ぢを厭うなかれと 哲学の門に書かれては】 ~~~ いなかっただろうか? 哲学の門をくぐるとき あらゆる赤っ恥ぢを覚悟して進み入れと書かれていなかったのだろうか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ という質問を挙げていますが 人は 自説が批判をされることを嫌いますから。批判が当たっていると 赤っ恥ぢを掻きますから これを避けようとします。 だから 考えてみると 自分の自己評価を ひとに話してこれを問うというのも あまりしないのかも知れません。ただ 哲学だという場合にしか 人間の内面にかかわる話は しないのかも知れません。 ということは 自己診断したものが そのまま自分の中でとどまり 何かと膨張しがちになるのかも知れません。自分がかわいいですから。 ★ 陰でいい事…可能性の一つを思いつきました。 / ひょっとしたら、お返しをされてしまうの嫌なのかな?と思いました。 ☆ なるほど。一般に贈与を受けると お返しをしなくてはと思うのが ふつうですね。これが ややもすると《負い目》に感じられてしまうことさえあるようです。 そういう感じを持ってもらうことのないように 陰でいいことをする。なるほどですね。相手に知られずに ことを済ませる。そうかも知れないですね。 ★ ちょっとした親切心がこの〔* お返し合戦のような〕サイクルに入るのを防止したいとか。 ★ 有名になってその後生きづらいっていうのもなんか正しいような気がします(笑) ☆ まあまあまあ。・・・
Mahāvastu http://en.wikipedia.org/wiki/Mah%C4%81vastu English translations[edit] Jones, J.J. (trans.) (1949–56). The Mahāvastu (3 vols.) in Sacred Books of the Buddhists. London: Luzac & Co. volume1 volume 2 volume 3 ~~~~~~~~~~~~~~~~ マハーヴァストゥの英訳はウィキペディアにリンクがありましたら 興味ある人はどうぞということで。 無量寿経との関係は浄土真宗の人にまかせよう。 知っていたら教えて欲しいところ。 それはそうと、 ウィキペディアの釈迦の項目に書いてあるこれがなんなのかわからなくて気になっていたんですが ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、1868年、イギリスの考古学者A・フェラーがネパール南部のバダリア(現在のルンビニー)で遺跡を発見。そこで出土した石柱には、インド古代文字で、「アショーカ王が即位後20年を経て、自らここに来て祭りを行った。ここでブッダ釈迦牟尼が誕生されたからである」と刻まれていた。この碑文の存在で、釈迦の実在が史上初めて証明された http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ アショーカ王碑文も一応チェックしてみようかなと思って、 こちらのサイトにThe Ashoka Projectとかあったから The Ashoka Project on the Bibliotheca Polyglotta http://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=library&bid=14 なんとなく見たら もしかしてこれ、シャキャムニが生まれたとか書いていませんか? ウィキペディアに書いてあるのと関係があるのかどうか知らないけれど。 7. Rumindei, Nigālī Sāgar minor pillar Edicts. (Māgadhī and English) AkSāṃSār Rumindei mpill Mag - C I. THE RUMMINDEI PILLAR AkSāṃSār Rumindei mpill Eng - C ... (A) 1 Devāna[pi]yena Piyadasina lājina vīsati-vasābhisitena 2 atana āgāca mahīyite hida Budhe jāte Sakyamunī ti (B) 3 silā vigaḍabhī cā kālāpita silā-thabhe ca usapāpite 4 hida Bhagavaṃ jāte ti (C) Luṃmini-gāme ubalike kaṭe 5 aṭha-bhāgiye ca (A) When king Devānāṃpriya Priyadarśin had been anointed twenty years, he came himself and worshipped (this spot), because the Buddha Śākyamuni was horn here. (B) (He) both caused to be made a stone bearing a horse(?) and caused a stone pillar to be set up, (in order to show) that the Blessed one was born here. (C) (He) made the village of Luṃmini free of taxes, and paying (only) an eighth share (of the produce). http://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=fulltext&vid=378&view=fulltext ~~~~~~~~~~~~~~~~~ II. THE NIGĀLĪ SĀGAR PILLAR AkSāṃSār Nigālī mpill Eng - A ... (A) 1 Devānaṃpiyena Piyadasina lājina codasa-vasā[bh]i[si]t[e]n[a] 2 Budhasa Konākamanasa thube dutiyaṃ vaḍhite (B) 3 ........ sābhisitena ca atana āgāca mahīyite 4 .......... pāpite (A) When king Devānāṃpriya Priyadarśin had been anointed fourteen years, he enlarged the Stūpa of the Buddha Konākamana to the double (of its original size). (B) And when he had been anointed [twenty] years, he came himself and worshipped (this spot) [and] caused [a stone pillar to be set up]. http://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=fulltext&vid=378&view=fulltext ~~~~~~~~~~~~~~~~~ THE RUMMINDEI PILLAR で検索したら日本語でヒットしたのがあったのでそれも。 どうやらスッタニパータの古い層よりは古くないみたい? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ II 層においてはbuddha が複数形で現れる27。すなわち普通名詞としても使われ始める。これを穴埋め するかのようにII 層以降ブッダの呼称として現れるのが釈迦牟尼sakyamuni28 である。なおsakyamuni の呼称がアショーカ王碑文(Rummindei Minor Pillar Inscription, 3)に見えることは、同碑文がII 層 以降の制作であることを示唆すると言える。 RINDAS 伝統思想シリーズ 17 ブッダの認識論、 あるいはこころの可能性について ―「闘諍篇」中核部(862-874)訳注 中谷 英明 http://rindas.ryukoku.ac.jp/research/upfile/RINDAS%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA17.pdf ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お礼
ご回答をありがとうございます。
このページはおしまひにするつもりでしたが、トラブルになるといけませんので。 >>maiko0318 氏が かれですか? たぶん、ちがふとおもひます。
お礼
ちがうって返事がはっきりと来ました。 ぢゃあ だれが なんですか? まぁ どうでもいいですかね。 ご回答をありがとうございます。
>>そう言えば 五人目のゼッコウ者がいました。 どんどんふえてゆきますね。思ひ出せないくらゐの人数なのですか。 >>プリゴジンがお分かりになるのですか。 わかるわけではありません。広い視野に立つた革命的な発想は、やはり天才なのだとおもひます。少し宗教的な匂ひもします。わからないなりに、そんなふうに感じてゐます。 >>STAP細胞については どちらとも言えません。 知識のない者の意見にも、価値があるのではないか、それを言ひたいがための投稿文でした。それが、このページの質問への回答でもあるわけですが。もちろん、現時点では、あるのか、ないのか、だれにもわかりません。すくなくとも、ない、といふ証明は不可能です。それこそが、小保方さんの強みです。いくらでも言ひ訳ができます。さういへば、「怠け者の言ひ訳」の人を見かけないのですが、おもしろさうな人なので、ぜひお話したいと思つてゐます。 >>ブログは素敵です。 >>その理由がわかりにくいのですが >>他人のよい手をほめるというところからなのですか? 特にさういふ意味で書いたわけではありません。全体的に、素敵な人だ、とおもひました。あへていへば、世界のありさまを、子どもにもわかるやうに、伝へようとする姿勢でせうか。このサイトでも、人参の主張を、わかりやすく説明していただけると助かるのですけれど。知識を得るための能力と、得た知識を伝へる能力は、別物です。 >>話の通じる一面を持ち合わせていると考えています。 アンカテにゆけば、いくらでも話ができます。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ どんどんふえてゆきますね。思ひ出せないくらゐの人数なのですか。 ☆ ほんとですね。いえ いちど やり取りがむつかしいという話題で ねこさんたちと話していたとき そう言えば 数えたことがありました。たぶん その書き込みも残っていると思います。(容易に思い出せなかったということは さがすのに一苦労だと思います)。 つまり 十人ほどでした。まぁ 客観すれば 《ゼッコウ》になりますね。 そしてただし わたしからそうしたことはありません。いえ もっと精確に述べねばならないのですが 先に言葉で言ったかもしくは態度で示したか(つまりこれは 応答しなかったという意味です) なのですが むろんその原因となる情況はすでに相手のところで醸し出されていた。というふうに答弁してはばかりません。 言っておきますが そのように離反するまでには 並々ならぬこちらの側の話しつづける努力がありました。つまり 同じことを何度も何度も説明しつづけています。たいていは はぐらかしによって そのことを余儀なくされています。 まぁ 自慢ではないですが ひとりの人にそういう堂々巡りのこちらからの説明を そうですね 十回か二十回ほどおこなっています。いま思い出しても ki・・・氏については 百回を超えています。ですから 削除になったものもあれば 残っているやり取りもあるわけです。 なぜその場合 百回にもなったか。このひとは 決して逃げません。はぐらかしを延々とつづけます。自家撞着なり自己矛盾なりに落ち入っても するりと交わして行きます。つまり 交わせたと思い込んでいるわけです。 例のマッチポンプの問題を言い出したのも このひとです。ただし この言葉は p氏がどこかで(つまり わたしとは別の質問で)使った言葉を な○にす氏がさっそく《活用》し ki・・・氏のわたしへの物言いは それだと言いふらしたわけです。 ところが 要するに ki・・・氏の場合には はぐらかしでも何でも わたしの見解をことごとく否定するわけです。わたしが 自分の質問で 趣旨説明に答え〔らしきもの〕をすでに初めに書いている場合はもちろんのこと 書いていない場合にやり取りの中でおおむね解答となるような見解をわたしが出したときにも これを否定します。それは(わたしの見解は) マチガイであると言い続けます。 ということは 一般に《ポンプマッチ方式》だったということまでは こちらも認めますが その《ポンプ》としての解答についても 否定するわけです。だったら マッチポンプにもならない。というのが ki・・・氏の見解としては成り立つ。と同時に 《ぶらじゅろんぬは 自分で分かっていることを質問に挙げている。だから 回答者は いやな思いをする》と言って 同じki・・・氏が わたしをとがめるということにも成っている。 明らかに自家撞着になってしまった。な○にす氏も 弱ってしまった。 maiko0318 氏が かれですか? 投稿してみました。 ★ プリゴジン / STAP細胞 / ブログは素敵 ☆ それぞれ そのままの内容を受け留めました。かみ合う議論になれば 何か言うことも出て来るかも知れないのですが。 ★ このサイトでも、人参の主張を、わかりやすく説明していただけると助かるのですけれど。 ☆ いやぁ これは 主張ではなく そういう現状・現実があるということですが。 むかしの話としてなら その土地への経済効果をねらって――人参をぶら下げられた恰好において―― 発電施設を誘致したものと思われます。そういう現実のことではないのでしょうか。 知識欲やまなびについて 人参のタトエを使うのは ふさわしくありませんでした。
>>【Q:イ】のほうであたまがごちゃごちゃになって来ました。 あちらは、外野から拝見してをります。 >>な○にす氏が 《まともに答えたら》ということですか? あまり気になさらないほうが、よろしいかと。 >>文献を数多く挙げてこれらを読んでみたまえと言って 逃げます。 約束どほり、コメントはなしです。 >>あのブログとともに まづヰキぺの記事になっていることを >>確認することができます。 先生が「プリゴジン」ですね。なるほど。お立場に、納得です。 この先生は、評価の極端に分かれる方です。基本的な部分については(わからないまでも)魅力を感じますが、あちらの先生と同じく、広げすぎではないか、と文系の無知な私は考へます。 ブログは素敵です。さかなくんのお父さんは、囲碁棋士、つまり勝負師です。勝負師なら相手が良い手を打てば、悔しがるものですが、さかなくんは「すばらしい手ですね」とほめるのださうです。当然プロ棋士にはなれません。ひとそれぞれ道があるものです。 STAP細胞の質問にも投稿したのですが、このブログを読んで、理系の人は、研究者への同情心があつて、それが発言に影響してゐるのかな、とおもふやうになりました。
お礼
そう言えば 五人目のゼッコウ者がいました。その同じ質問で ki・・・です。女性です。 ご回答をありがとうございます。もうお昼になったのですね。 プリゴジンがお分かりになるのですか。さすが。 散逸構造とか言いましたね。 ★ ブログは素敵です。 ☆ その理由がわかりにくいのですが 他人のよい手をほめるというところからなのですか? STAP細胞については どちらとも言えません。ためらいつづけるだけです。ので 何ともしゃれたコメントも出て来ません。 な○にす氏は 何か蹉跌というような出来事があったんですかねぇ。という憶測を持ちました。なければ 話の通じる一面を持ち合わせていると考えています。
- fuukakou
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お礼ありがとうございます。 >押し売りや押しつけ おお!ポイントはソコか!!と納得しました。 迷惑かどうか 自分が偉い人物なんだ、素晴らしい人物なんだとアピールしたい、だと 確かに…嫌ですよね。 押しつけがましかったり、自分にとっての正論を言うだけで助けになってないとか。 ホビーは、もっとなんというか…暗い喜び的なものを想定して書きはじめたので気が付きませんでした。 愛されたい・好かれたい だったり、自分が嫌な奴だと判ってるからこそ簡単にできる親切をして自分の中だけで良い事も出来る!!とバランスを取るとか、傍から見ると良い事なのに本人は ”悪い魔法使い的気分” で、くっくっく、助かってる助かってる と心の中でキルマークっぽいものを増やしてたり…ほんとうに相手が助かったり、良い結果になって初めて目的達成なので…愛されたり好かれるためにはもっともっと努力が必要そうだけど。 うっしゃ!!と手応えがあるのが重要パターン 利他が出来て初めて満足を得られる 何せ余暇に行う趣味ですから。 自分の負担にはならない程度に行う、期待され過ぎないようにする。 これを最初に想定してました(苦笑) でもよく考えると、”評価されたい”って気持ちが強すぎると、ダメそうですよね。 しかしなんで日本では、親切はこっそりと。辻斬りならぬ辻親切。自分である事はバレたくない。っていうのが割とよくあるんだろう? シャイでは片づけられない何かもありそう
お礼
ふうかこうさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ 自分にとっての正論を言うだけで助けになってないとか。 ☆ これは いやですね。これが いやですね。はっきりものを申せば。そしてさらにこちらの問いに答えず 言いっぱなしにされると 余計 なんだい おまえ? というふうに思ってしまいます。 ★ キルマーク ☆ も知らなかったので: ●(放逸見聞録:キルマーク) ~~~~~~~~~~~~ http://srhblog.blog47.fc2.com/blog-entry-546.html …“キルマーク”というものがある。 これは例えば、戦闘機のパイロットが、自分の愛機に撃墜した敵機の数を、他者に分かるように刻印していくようなもの。 星のマークだったりドクロのマークだったり、愛用武器に刻んだり戦車の車体にペイントしたり、戦争だったりスポーツだったり遊びだったり。 シチュエーションを問わず、概して自分(達)の実力を誇示する事で味方を鼓舞し、敵には恐怖を抱かせるのがキルマークの目的。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ まぁ あかるいラブマークで ★ うっしゃ!!と手応えがあるのが重要パターン ☆ ということだといいのでしょうね。 とは言うものの ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ しかしなんで日本では、親切はこっそりと。辻斬りならぬ辻親切。自分である事はバレたくない。っていうのが割とよくあるんだろう? シャイでは片づけられない何かもありそう ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ という問題に行きますか。 おおやけに人に対して親切にし よいことをすると あの人はちょっと偉い人だと多くの人から思われるぢゃないですか。そういうふうに 或る意味で有名になります。そうすると かんたんにはもうわるいことが出来なくなる。だから 有名にならないように 陰でいいことをする。 ってのは 冗談ですが 日本人は 名を伏せることが好きですね。見返りをもとめない親切をすることを好むようです。好きなものは 好きなんでしょう。 というのは どうでしょうかねぇ。 ★ でもよく考えると、”評価されたい”って気持ちが強すぎると、ダメそうですよね。 ☆ という場合との中間が よいのでしょうか どうでしょうか。
お礼
びぢーえむ38489さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 知るは楽しいというより、知ることを楽しめるようになれば、勉強も楽しくなるということでしょうね。 ☆ 馬と人参といった言い方にこだわるなかれ。でしょうか。 たのしいを通り越したたのしさが あるのでしょうか? ● 其の意を悟り其の義を楽しむ ☆ こういう場面も ぜんぜん無いというわけではないと思うんですけれど。一般の場合にもです。 部分的な・一時的なものなのでしょうか。 そう言えば 《勉強》というものについて いろんな思いが現われてまいります。試験を抜きにすれば それほどはいやぢゃなかったのですけれど。