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知るは楽しいは 馬の鼻先の人参か?
どうでしょう? 知るのは 楽しみにみちびかれているなら 利己志向の自己満足としてある。か?
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之を知るものは之を好むものにしかず、之を好むものは之を楽しむものにしかずとは、孔聖の道を語りし所なり。吟詩も亦然り。ただ其の詩を知り、其の詩を吟ずるのみなるは未だし、之を好むにいたりてよし。ただ之を好むも未だ可ならず、其の意を悟り其の義を楽しむにいたりて完きなり。 楽しめば則ち生ず、詩中の景、詩中の情、油然として其の心に生じ来りて、己れ遂に詩中の人となる、これを同化という。吟詩の妙味ここにあり、修養の道も亦ここにあり。われ諸君とここに従事せん。 これは、私の習っている詩吟の会の初代会長のお言葉です。知るは楽しいというより、知ることを楽しめるようになれば、勉強も楽しくなるということでしょうね。
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>>フクアカをやっているのか? と今度訊いてみます。 その問に、まともに答へたら、サポート担当さんから、お叱りを受けます。おやめください。 >>その証拠のやり取りを見てみたいという場合には 請求してください。 さしさはりがなければ、拝見したいものです。コメントは控へます。 >>あのページ >>どこか深読みなどをされていません? http://questionbox.jp.msn.com/qa8670376.html の「ひきこもり」の件ではなかつたのですか。質問者さんが物理学教授だ、といふ指摘なのかと思つたのですけれど。ただものではない、といふ気はしてゐました。いづれにしても、あの質問者さんの見解には共感させられるものが多く、素直に受け入れるつもりです。昨日、アンケートカテゴリのフクアカ質問の一般人回答を読んだのですが、相手がだれであるかによつて、聞き入れるかどうかを決めるのは、寂しい気がします。やはり、中身で決めるべきです。 またまた、中身のない投稿になりました。これも、私が回答を遅らせる理由のひとつではあるのですけれど。みなさんの意見が出揃つたあとならば、くだらないおしやべりをしても、邪魔にならないでせうから。プラトンの対話編のやうな方式も、哲学の一形式なのですから、こんなことも、ルールで認めてほしいとは思ひます。
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 すっかりやり取りが定着した感があります。 なんですが そしてこの質問は《知ること》ですから 質疑応答という問題の核心にせまり得ることなので それぞれの見解が明らかにされて来るのは 当然だとも思われます。ということなんですが いまわたしは それどころぢゃないと 勝手な言い分を言いたくなるほど 【Q:イ】のほうであたまがごちゃごちゃになって来ました。 今朝も二件回答をもらって やっと何とかまとめたところです。結果を見れば 済ました顔で応答していると思います。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ >>フクアカをやっているのか? と今度訊いてみます。 その問に、まともに答へたら、サポート担当さんから、お叱りを受けます。おやめください。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ん? なんでですか? な○にす氏が 《まともに答えたら》ということですか? あぁ そりゃあそうですね。規約違反をやっているとは 答えられないということでしょうか。 ううーん。ただ これまでわたしが受け取っているかれの性分としてなら ちゃんと答えるのではないかという感触を持っているのですが これが 違っているのでしょうか。つまり サポート担当氏からの叱責を 見くびるというのではないけれども ものともせず正直になるところは正直だと 思っていました。 ☆☆(No.21お礼欄) 分からんお方ですよ。自分の持論に瑕疵があったと気づいたときには 文献を数多く挙げてこれらを読んでみたまえと言って 逃げます。 ☆ その事例です。 【Q:日本人は地球人か。】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6596595.html 88件の回答がありますが わたしの投稿をたどってみてください。No.52から始まります。8件つづくようです。 いま見たら 回答No.44から noname002 なる回答者がおられます。じつはこの人は わたしが《絶交》したひとの三人のほかに四人目としていました。(退会したから のなめ なのではないですよ。そして feminine です)。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【Q:なぜ他のカテから逃避し、哲学カテにのみ引き籠もって】 の「ひきこもり」の件ではなかつたのですか。質問者さんが物理学教授だ、といふ指摘なのかと思つたのですけれど。ただものではない、といふ気はしてゐました。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ よく分からないのですが あのブログとともに まづヰキぺの記事になっていることを確認することができます。 ▲ ヰキぺ:山越富夫 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B6%8A%E5%AF%8C%E5%A4%AB ★ ひきこもり ☆ とは関係ないと思います。 でも 《ただもの》ですよ。 《おしゃべり》をするときには さりげなくするようにしましょう。ちょいと質問‐回答の調味料をふりかけて。(これまで おそらく驚かれるほど わたしもやって来ていますよ。お叱りも受けていませんし。気にすると サポートさんも刺激されるでしょう)。
おもしろい「お礼」でしたので、もう少し。 >>フクアカをやるとも思っていませんでした。 私と同じ、めだちたがりです。気にしないほうがいいとおもひます。過去の事情は知りませんが、正義感が強く、優しい人だといふ印象です。ただ、職場での苦労が多いのだらうと、心配してゐます。 >>このあいだお伝えした物理学の教授は そのひとりです。 あの「お礼」を読めば、それなりのことはわかります。ここまでの方とは存じませんでした。それなら、ますます結構なことです。今後とも御教示をお願ひしたいとおもひます。あのページを読む限り、意図はともかく、見解は、すこぶるまつとうな内容です。話のわかる方ですよ。あの「お礼」に記されてゐたとほり、(bragelonneさんの側だけでなく)不用意なアナロジーは慎むべきだと、私も考へてゐます。虚数ページにおいてご自身で認めてをられたとほりです。 いづれにせよ、中身のない話は、おもしろくありません。さう言ふ私が、いちばんつまらない投稿をしてゐるわけですが。
お礼
ご回答をありがとうございます。 フクアカをやっているのか? と今度訊いてみます。もうやって来ないかも知れませんが。 ★ 話のわかる方ですよ。 ☆ これは フクアカとは別の人についてですが それは 分からんお方ですよ。自分の持論に瑕疵があったと気づいたときには 文献を数多く挙げてこれらを読んでみたまえと言って 逃げます。 その証拠のやり取りを見てみたいという場合には 請求してください。 すみません。 ★ あのページ / 虚数ページ ☆ が分からないです。これまでのやり取りのことでしたら 覚えていますが さらに別の見方も入って来ているのでしょうか。 質問における具体的なやり取りとして挙げたのは 中国人の英語だったと思うのですが。だから ★ あのページを読む限り、意図はともかく、見解は、すこぶるまつとうな内容です。 ☆ という内容も 分かったようで分からないでいます。どこか深読みなどをされていません? ちょっと鈍感になっているのかも知れません。
回答番号19で最終のつもりでしたが、誤解があるといけませんので、念のため。 >>なすび氏が誰か また分からなくなりました。 自作自演のななにす氏です。私自身も、どれどれがフクアカなのか、わかりかねます。今一番知りたいのは、豚ページのことです。回答者の中にまぎれてゐたことは、確実なのですが、はたして。先日さぐりを入れてみたのですが、無言でした。この無言がまたまた怪しい。純粋理性批判と戯れるところも怪しい。ハゲページの回答者のなかにも、まぎれてゐます。ただ、文章の雰囲気が異なります。これがナスビの腕なのかもしれませんけれど。 >>《ライワル》は いませんねぇ。 宇宙のすべては人参の中にあります。言ひたいことはわかるのですが。たぶん、ライバル関係を感じるのは、私だけではないでせう。はやく、ふつうに話ができるやうになりたいと思つてゐます。
お礼
わんてぃす氏と一緒だということですか。フクアカ。 ご回答をありがとうございます。 ★ 自作自演 ☆ これは あまりそういう感覚を受けていませんでした。つまり フクアカをやるとも思っていませんでした。 ぢゃあ 多面性がありますね。わたしに向かって来るときは その中身は別として きちんと正面から話しかけて来ていました。その姿勢じたいについては うたがったりしませんでした。 なにしろ マチガイを認めたということは 大きいです。 それが手だったとすれば――なぜなら 二度あやまったからですが―― そこまで行くと もう手に負えません。ふつうの理解範囲を超えていると思います。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ >>《ライワル》は いませんねぇ。 宇宙のすべては人参の中にあります。言ひたいことはわかるのですが。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 思い返して こういう問題があります。つまり いくらかのやり取りを通じて もう話をしないと決めたひとが――だから それを承けてわたしも話をしなくなった場合が―― 約三名います。 わたしは 受け身で意志を発することはありますが こちらからライワルとしてのごとく振る舞ったことはありません。 このあいだお伝えした物理学の教授は そのひとりです。 http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/
タイトルの「人参」のことを書いてゐませんでした。 サナダムシとナスビが表向きは争ひながら、深いところではつながつてゐる。 それと同じなのではないか、と私はつねづね考へてゐます。私だけではなく、このカテゴリの多くの人たちもそんなふうに感じてゐるとおもひます。スローガンは「愛」であり、マニフェストは作成者以外の者には理解できない、イデオロギーには絶対の確信をいだく。基本はすべて、そつくりです。ナスビの指摘どほり、自流試合をつづければ、そのうち一緒になるのではないかと、推測してゐます。 サナダムシとナスビの間には、いくらかでも入ることができましたが、bragelonneさんとライバルさんとの間には、いまだ入り込む余地がありません。3人目が入れるやうに、早く、ライバルさんと一緒になつてください。 他流試合の件は、私自身も反省するところがあるので、真摯に受け止めるつもりです。人間を見るのが、おもしろい。これが哲学カテゴリにひきこもる、そのいちばんの理由なのかもしれません。ほかのカテゴリでは、なかなか本音の議論ができませんから。人への関心を失つてしまつたら、自分自身もおもしろくないとおもひます。階段の存在は確認できるので、安心ですが、おふろはどうしたのでせうか。 >>こういうときこそ くるしめこらしめてやれとは >>お考えにならないのですか? 好機をのがしますよ。 苦しめてやれ、と考へたときには、物理学カテゴリでの他流試合を勧めます。よい方法を教はりました。 >>SPS700さんの獲得ポイント。 以前、好きな音楽の質問のときに引用した人です。アメリカ留学経験をお持ちの外国語堪能な方です。人間味にあふれた文章で、多くのファンから愛されてゐます。 >>『マハーヴァストゥ』 『ラリタビスタラ』も読んでみたいのですが、たちまちは、日本の佛教についてすこしでも学んでみようと思つてゐます。
お礼
さきほど 夕方になったかと思っていたら もうこんな時間でした。こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ サナダムシとナスビが表向きは争ひながら、深いところではつながつてゐる。 ☆ なすび氏が誰か また分からなくなりました。 わんてぃす氏なんですか? 一角獣氏ではないのですか? ★ bragelonneさんとライバルさんとの間には、いまだ入り込む余地がありません。3人目が入れるやうに、早く、ライバルさんと一緒になつてください。 ☆ ん? ううむ。いや やっぱり ん? 《ライワル》は いませんねぇ。いまは 多くの人と相い向かい合っているかたちだと思いますが 互いに前を向いてあゆむ姿になることをのぞみ見ています。 ちなみに それは 誰ですか? ななにす氏? それとも ぷらぽた氏? ★ 物理学カテゴリでの他流試合を勧めます。 ☆ これは 無理です。きちんと理由を述べるとすれば わたしは 物理学の研究成果を だまってこっそり奪って来て 勝手にタトエとして利活用できるものは 哲学としてそうする。だけですから。 理科は高校で 生物・化学が ひどかった。 ★ >>『マハーヴァストゥ』 / 『ラリタビスタラ』 ☆ 学のすすむことを 期待いたしております。 ★ >>SPS700さんの獲得ポイント。 ☆ 気の遠くなるような。・・・あらためてでした。
- fuukakou
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お礼ありがとうございます。 その後また利己について考えてみました。 確かに自己満足っていうのは究極的にはあると思う。ここを満足させないとどうしようもない部分てあると思う。 しかし、厄介なのは…楽しい・楽しみがどの部分なのかが人によって異なる事。 知る事!! これこそが目的で純粋に知る事が楽しくて楽しくてしょうがない。その為にどんどん知ろうとするぜ!! (人間て、そう出来てる部分が結構あるそうです) これだと、全く持って自分の為だけにしてるので、そうだとしか言えないような気がします。 人を助ける事が趣味(ホビー)だぜ!! それが楽しくてしょうがない。 その為に学ぶぜ。 …的な人々もいますから… とっても利己的な理由で学ぶが、利他を行うのが目的。 ちょっと違うな 自分の為! 世のため人のためが巡り巡って自分に還るため! 優越感だったり、よい人になりたかったり、賢いように見られたかったり、尊敬されたかったり、身近な人を助けるとメリットがあるから、ちょっと違って こんな事も有ろうかと このセリフを言ってみたいから などと、目的の形はいろいろあるが最終的には自分のため!! 周りに親切にする為に知識知恵を貯め込みたいその為に学ぶぜ!!知るたびに(今後を思って)楽しいぜ。 だと、本質的には利己だけど 形態は利他。利他が無くしては目的は達しえない。自己満足を得られない。 そーなると、どうなるんだろう? とっても利己的な自己満足だけど、その途中経過に利他が含まれてるよ、ね? 利他を通じて利己的な自己満足を得るというか。 ここは判定が難しすぎて私には判らないです。 利己なのか、利他なのか。 結構こっちの方の人達も多いような気もしますので、余計わからなくなりました。
お礼
★ だと、本質的には利己だけど 形態は利他。利他が無くしては目的は達しえない。自己満足を得られない。 ☆ なるほど。そこまでたどり着きましたか。 こんばんは ふうかこうさん。ご回答をありがとうございます。 この前・ふうかこうさんの前回に もう少し開いていますと書いて そろそろ閉めようと思っていたら こんなに回答群が伸びました。 さて たぶん 行動の全部を或る程度長い期間においてひっくるめて見た姿にあっては 利己にも利他がからんでいるでしょうね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ そーなると、どうなるんだろう? とっても利己的な自己満足だけど、その途中経過に利他が含まれてるよ、ね? 利他を通じて利己的な自己満足を得るというか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 何だか おもしろくなって来ますね。そういうことを考えていると。 たぶんわたしの《思わく》では 基本は 自己にとってよいこと ではないかと思います。そういう意味で利己ですね。 ただし この自己のまわりには たくさんの人たちがいますからね。たとえ直接に接していないとしても どこかでつながっているかも知れませんし。 たぶん――たぶんですが わたしの思うに―― おれは利他を自分の理念とし行為の目的とするんだと 一方的に・またその利他の一面のみを 吹聴するのは あまりいただけない。ように思うんです。ときには 眉唾物に成りがちであると。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ 人を助ける事が趣味(ホビー)だぜ!! それが楽しくてしょうがない。 その為に学ぶぜ。 …的な人々もいますから… ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ こういう場合にも――さっきから 質問者じしんの考えを述べてしまっていますが―― けっきょく助け合いという・あるいは共生という大前提があると まづ思われます。 その上で 《人を助ける事が趣味(ホビー)だぜ ・・・楽しくてしょうがない》という場合 そのときには 助けられる相手がその助けをありがたく受け容れますという同意をしっかりとあたえているなら 文句なしによい。ということではないかと思っています。 押し売りや押しつけであったなら まづい。と考えます。どうでしょう。
「お礼」拝見しました。いつものことですが、私の個人的なおもひつきですので、あまりお気になさらないでください。 >>アリストテレスは 《中庸》を説きます。 アリストテレスは『詩学』以外には、ほとんど読んでいません。しまつた。ここは、ギリシャ文字でごまかして、読んだふりをする場面でした。自慢であらうと、何であらうと、役に立つなら利用すればいい、度が過ぎなければ。私は、資格試験の勉強のときに、こんなのは簡単だ、と言ひふらします。さうすれば、怠け者の私であつても勉強せざるを得なくなります。少なくとも自分にとつては、いい方法になつてゐます。かりに、試験に不合格になつたとしても、私は笑はれるのが好きなので、どちらにしても、好結果になります。 >>女性の方もいるんですか。 回答者のプロフィールをご覧になれば、書いてあります。うそかどうか、ふだん文章を読んでゐればある程度わかります。あちらのかたは、まちがひありません。 >>『犀の角』 有名な言葉ですが、佛教の解釈はむづかしいものです。お相手をどうぞ。 >>『マハーヴァストゥ』 日本語訳は『ブッダの大いなる物語』平岡聡訳で、読みたいと思つてゐるのですが、高価なので、未入手です。
お礼
★ いつものことですが、私の個人的なおもひつきですので、あまりお気になさらないでください。 ☆ こういうときこそ くるしめこらしめてやれとは お考えにならないのですか? 好機をのがしますよ。 まづは ご回答をありがとうございます。 ○ 関根清三『旧約における超越と象徴 -解釈学的経験の系譜-』1994年、 ☆ だったと思うのですが きちんと丁寧にアリストテレスの《中庸》説について吟味検証していました。 だから 良心の呵責なしに《知ったかぶり》で述べました。なかなか 説得力のある議論で 単に《中庸》であったとしても じゅうぶんに倫理的な高さを実践しうるということでした。なおその上に 神学のもんだいもあるという図式ではあります。 外国語カテにおける女性の方。――確認できました。それまでプロフィールは見ていなかったということです。 SPS700さんの獲得ポイント。いったいどうなってるんですか? いま初めて知りました。ほかの人も一万の桁なのですね。おそれいりやの・・・。 あっ。でも その女性の方。思いのほか 挑発的な文章です。どうなってるんですか? ★ 『ブッダの大いなる物語』 ☆ 読んでません。開き直ります。 ★ 犀の角 ☆ は いちどやったんだけれどなぁ。
昨日、okwaveで質問をしましたが削除しました。 あと、犀の角を調べていると、ダンマパダも気になってくる。 それはともかく、ブッダのことばは、たぶん、わからないというのが正確で あるのはそれなりに古い写本とかなんでしょうね。 それからアショーカ王碑文はほとんど話題にしていないし。というか全然知らん。 『ブッダのことば』として売られている本もあまりあてにならなくて。 あと、ブッダのことば探しに、夢中になりすぎだろうと思われるかもしれませんが、 個人的に、中村元をどう考えるかという問題と関わってきますので、調べているようなものです 利己志向といえばそうなのかもしれませんが、知識欲も過ぎれば毒というか、 楽しいというよりは、苦しいとかいった要素もあると思います。 ただ、世の中には反知性主義とかもあるんでしょう。 なるべくそうならないようにと思います。 以下は昨日投稿した質問です。調べるのが面倒だったので ついでに投稿しておきます。めいわくでしょうが・・・問題があれば削除されるでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ スッタニパータの『犀の角』について 何の意味があるのかと思いつつ ネットで検索したところ下のブログがありました。 The Rhinoceros Sutta in Three Parallel Versions http://jayarava.blogspot.jp/2010/04/rhinoceros-sutta-in-three-parallel.html それでたぶん、Gāndhārīの『犀の角』はこれだと思います。 違っていたら教えてください。 British Library Fragment 5B http://gandhari.org/a_manuscript.php?catid=CKM0007 それで、パーリ語のほうですが suttacentral http://suttacentral.net/ Suttanipata (Pali Text) PTS Version (Andersen/Smith) http://www.shemtaia.com/BU/DL/suttanipata.shtml Niddesa (Pali Text) PTS Version: http://www.shemtaia.com/BU/DL/niddesa.shtml たぶんCullaniddesaの56ページからKhaggavisānasuttaの注釈のようです。 それで、 スッタニパータの『犀の角』についてどう考えればいいのか? またどう解釈するのか? あと、British Library Fragment 5Bの41から44の詩句は何の詩句なのでしょうか? uddはどういう意味ですか? British Library Fragment 5B http://gandhari.org/a_manuscript.php?catid=CKM0007 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 以下は追加。 それと、上記のブログ The Rhinoceros Sutta in Three Parallel Versions http://jayarava.blogspot.jp/2010/04/rhinoceros-sutta-in-three-parallel.html ではマハーヴァストゥも比較対照されているのが気になったのですが そこまで私は調べられないので、話題にもしなかったのですが、マハーヴァストゥはウィキペディアにこんなことが書いてあって ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 説出世部の思想は、現存する数少ない大衆部のサンスクリット文献『マハーヴァストゥ』から知られる。『マハーヴァストゥ』はブッダの伝記であり、本文中に説出世部によって書かれたことが記されている。また、本書は説出世部の律の校閲の拡充した部分だったようである。『マハーヴァストゥ』のサンスクリット文はネパールの大乗仏教の経典の中に保存されている[6]。 大乗経典の『無量寿経』は1世紀-2世紀のクシャーナ朝の時代にガンダーラに栄えた化地部の比丘たちによって編纂されたと信じている学者もいる[7][8]。しかし、『無量寿経』が編纂されるうえで多くを説出世部に負っている可能性も高く、この経典には説出世部の『マハーヴァストゥ』と共通する要素が多い[7]。この経典の最初期の翻訳によって、プラークリットの一つで北西部で使われたガンダーリー語から翻訳されたことがわかる[9]。 説出世部 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E5%87%BA%E4%B8%96%E9%83%A8 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 古いものを探していたら、まさか、無量寿経へとつながっていくのだから面白いとは思います。
お礼
むつかしいですね。 まづは ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 利己志向といえばそうなのかもしれませんが、知識欲も過ぎれば毒というか、 楽しいというよりは、苦しいとかいった要素もあると思います。 ただ、世の中には反知性主義とかもあるんでしょう。 なるべくそうならないようにと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 特に問題なく みなさんの思っているところでしょうか。 《反知性主義》というのが どういうものか。よく分からないので そう言ってしまったのかも知れませんが 《知るは楽しみ》なる命題に 特に問題はないと見てよいのだと思います。 さて ブディズムのほうは どうなりましょうか。 欲を言えば・あるいは わざと最初に物言いをつけるなら ★ 古いものを探していたら、まさか、無量寿経へとつながっていくのだから面白いとは思います。 ☆ というその面白さの内容を 具体的に明らかにしたご回答だと みなさんも よろこびますと思います。(よろこびますは にゅうとさんからのパクリです)。 そういう目で見てみると 総じて 輪郭や紹介としての情報ですよね。 それに こちとら ★ マハーヴァストゥ ☆ なんて読んだことないですから。ぷらぽさんが 答えてあげてと言っているようですが 無理です。自慢ぢゃないけれど 知らないです。 それに ゴータマは まれにみるペテン師だと言ってる男に向かって 読んでみろはないと思います。 これこれこういう新知見があるのだから 読めという言い方でなければ 申し訳ないけれど 腰を挙げません。 ★ 個人的に、中村元をどう考えるかという問題と関わってきますので、調べているようなものです。 ☆ これは いい主題ではないでしょうか。やりがいがあるように見受けられます。 《動かぬ証拠》を つきつけわたしを苦しめてください。
「お礼」ありがたうございます。 >>知るは楽しみとするときにも >>知識欲は案外その得た教養をひけらかすためであったり 私は、ひけらかします。先日外国語カテゴリで、どんな文字を覚えたらいいか、といふ質問があつたので、ギリシャ文字と答へました。英語やフランス語の語源をギリシャ文字で書いて自慢したり、アリストテレスを読んでゐなくても、ギリシャ文字でごまかして、読んだふりをすればいいのです。便利な文字です。私の考へ方に賛同する回答者もゐました。どんなやりかたであつても、身につけば、それでいいのではないかと思つてゐます。少なくとも、この外国語の例のやうに、覚えることを目的にするのであれば、そのための手段にはあまりこだはる必要はないやうに感じます。家でひとりもくもくと勉強するよりも、周囲に人がゐて自分はこんなに勉強してゐるんだぞ、と自己主張したほうがやる気になります。 >>素人のほうが よく分かる。 >>あたらしい世界を感じ取っている。 たしかにさういふ面はあります。もちろん、基本は、知識の側ですけれど。 知識は、豊かさと同時に制約をもたらします。知識が邪魔になつて、発想や発言の妨げになることがあります。 私は、先日宗派の質問に対してトンデモ回答をしたのですが、日本佛教の知識がないから、好き勝手できます。逆に学生時代に専門にした法律については、恐しさも解つてゐるので、回答する勇気がありません。 >>外国語カテに《他流試合》に行きました。 おてやはらかに。特に女性の方には。中立さんのやうな人ばかりではありませんから。
お礼
☆☆ (No.14お礼欄) ~~~~~~~~~~~~ 知るは楽しみとするときにも 知識欲は案外その得た教養をひけらかすためであったり 好奇心にしてもあらぬ方向へ脱線してしまわないとも限らなかったりしますから アリストテレス(?)のお墨付きであっても鵜呑みにすることは出来ない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここに対する――やぶにらみのようでもありますが――反論ですよね? まづは ご回答をありがとうございます。例によって土曜の朝は用事を済ませて来ました。 つまり ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (あ) 私は、ひけらかします。 (あ‐1) 先日外国語カテゴリで、どんな文字を覚えたらいいか、といふ質問があつたので、ギリシャ文字と答へました。英語やフランス語の語源をギリシャ文字で書いて自慢したり、アリストテレスを読んでゐなくても、ギリシャ文字でごまかして、読んだふりをすればいいのです。便利な文字です。 (あ‐2) 私の考へ方に賛同する回答者もゐました。 (い) どんなやりかたであつても、身につけば、それでいいのではないかと思つてゐます。 (い‐1) 少なくとも、この外国語の例のやうに、覚えることを目的にするのであれば、そのための手段にはあまりこだはる必要はないやうに感じます。 (い‐2)≒(あ‐1) 家でひとりもくもくと勉強するよりも、周囲に人がゐて自分はこんなに勉強してゐるんだぞ、と自己主張したほうがやる気になります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そうですね。 (う) アリストテレスは 《中庸》を説きます。これは そのまま《中間》です。つまりガリ勉と怠惰との中間としての勤勉が よしとされることなのだと思います。 (え) だとすると 《ひけらかし》は 極端に近い状態ではないかと思われ アリストテレスのお墨付きというのではないとなります。――それでも そんなことは関係ないということですね? (お) アリストテレスから離れまして どのようなたのしみ方があるか? どんな勉強の仕方があるのか? (か) ところで次のご主張ですが: ★ (い‐2)≒(あ‐1) 家でひとりもくもくと勉強するよりも、周囲に人がゐて自分はこんなに勉強してゐるんだぞ、と自己主張したほうがやる気になります。 ☆ これは よく考えると それほど突飛なことでもないようですよね。《周囲に人がゐて》というのは――勉強する時間はひとりでいるとしても―― ふつうのことです。あとは いま何を家にこもってやってんだい? と訊かれて(あるいは 訊かれなくとも) ギリシャ語の勉強だよと言うということですよね? ふつうにあることではないでしょうか? アリストテレスにこだわらなければ ひけらかしもありでしょう。書棚の蔵書は 隠してないなら ひけらかしでしょう。 (き) つまり その同じような見解の: ★ (あ‐1) ・・・( a )英語やフランス語の語源をギリシャ文字で書いて自慢したり、( b )アリストテレスを読んでゐなくても、ギリシャ文字でごまかして、読んだふりをすればいいのです。便利な文字です。 ☆ (あ‐1-a )の《勉強の成果を自慢すること》は これも ふつうのことです。 (く) 問題は (あ‐1- b )の《アリストテレスを読んでゐなくても、ギリシャ文字でごまかして、読んだふりをすること》でしょうか。つまり 例によって《うそ》の問題です。相手が 見過ごしてくれるとすれば 自分の内面のもんだいになるかと思います。 (け) すなわち 自分の心の内における或る種の秩序にかんしては 何もいまの問題・つまり知るは楽しみとその実行の仕方の問題とは 一対一の対応はしていません。何ごとにかんしてもヤマシサ理論はあてはまります。 (こ) 結論です。 基本として: 知る楽しみをそのあとのひけらかしに置いていても かまわない。ふつうである。 副次的な事情としての条件: ただし 何をおこなうにしても みづからの内にウソ・イツハリがあっては それとしての問題がある。 (さ) 副次条件は みづからの領域を超えて 基本論を侵すことはない。それ独自の問題にとどまる。 どうでしょう。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ >>外国語カテに《他流試合》に行きました。 おてやはらかに。特に女性の方には。中立さんのやうな人ばかりではありませんから。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いや わたしのほうこそ たぢたぢなのですが 女性の方もいるんですか。ネームで 女性かと思う人が むかしいたような。なかの・・・とか。 よく見ると いわゆる常連の方々であるとも言えそうですね。
補足
重大なへまをやってしまったようです。 お礼欄での議論は けっきょく自家中毒になったようです。 ☆☆ (No.14お礼欄) 知るは楽しみとするときにも 知識欲は案外その得た教養をひけらかすためであったり〔するから よくない部分もある〕。 ☆ と言ったことは マチガイであったようです。 つまり 《ひけらかし》そのことには 問題はほとんどない。と言わねばならず 問題は 知ることやそのひけらかしには無くて そのとき別の事情で派生するかのような《知ったかぶり》や《生兵法》や要するにウソ・イツハリにある。 こういう議論でした。 かなりの矛盾を露呈してしまいました。 あしからずご了承いただければさいわいです。 つつしんでお詫びします。
こんばんは、ブラジュロンヌさん。 >>知るのは 楽しみにみちびかれているなら >>利己志向の自己満足としてある。か? 私の場合は何でも自己満足なので、おつしやるとほりです。 それから、もうひとつ、知らないことも楽しみです。知らないからこそ可能な発想があります。私の投稿分にはときどき小学生の手紙からのパクリがあります。大人にできない発想に驚かされることがしばしばです。論じられる主題に関して、深く知る人と、知らない人が、ともに話せることが、このサイトの魅力なのではないでせうか。
お礼
お早うございます。ぷらぽたさん。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ >>知るのは 楽しみにみちびかれているなら >>利己志向の自己満足としてある。か? 私の場合は何でも自己満足なので、おつしやるとほりです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いえ。この質問は 問い方がよくありませんでした。 あるいは 問い方の以前に ひとは 自己を一般に判断の物差しとしその意味で自己中心志向にあり これは利己でないとは言えない。また 自己を利することの成果を求めるとき 自己満足であることをまぬかれない。うんぬんと 一般論としてすでに言って来ています。 知るは楽しみとするときにも 知識欲は案外その得た教養をひけらかすためであったり 好奇心にしてもあらぬ方向へ脱線してしまわないとも限らなかったりしますから アリストテレス(?)のお墨付きであっても鵜呑みにすることは出来ない。 ただし いづれにしても にんげんを全体として受け留め 自己自身としても世界を受け容れているとき それら欲望や利己的満足だけではなくそれ以上のよきものがついて来るのではないか。――こういった全体観に立って 知る・まなぶ行為をおこなって行けばよい。 このように だいたいみなさんからのご見解と感慨のような思いを総合して受け留めています。 ★ 論じられる主題に関して、深く知る人と、知らない人が、ともに話せることが、このサイトの魅力なのではないでせうか。 ☆ これは 意外と〔であるのかどうなのか〕 大きなことではないでしょうか。 広く社会のどの分野においても現代としては けっこう素人の時代であると言ってもよい側面が見られるというのが わたしはよく考えるところです。 社会の仕組みが変わりつつあるとしたら 一般に既成の学問ではなかなか対処するのが 遅かったりむつかしかったりする場合が出て来るのではないか。このとき素人のほうが よく分かる。あたらしい世界を感じ取っている。のではないかと。 かなり狭く絞って《論じられる主題に関して》も 《深く知る人と、知らない人が、ともに話せる》ところが出て来るのではないでしょうか。中途半端でもいいわけです。そしてただし 中途半端でおれは知っているんだぞというのは 困りものです。 外国語カテに《他流試合》に行きました。
- kohichiro
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こんばんは、ブラジュロンヌさん。 命題を読んで、ちょっと以前読んだだれかのエッセィを思い出しましたね。 古本屋で珍しい本を見つけたある文人が、店主からその本はすでに売約済みであるといわれ、その当人の名を聞いて文人の知人だったので気安さと利己主義から無理やり自分のものにした、という実話でした。 まあ、 まさしく”利己志向の自己満足としてある。”例ですが、あとそれがどうなったのか、不幸な結末になったのか、どうかはわすれてしまいましたのでなんともいえませんが。 ”馬の鼻先のにんじん” ? 知識欲自体はまず平和な人間のささやかな楽しみとして許されるものだと私は思います。確かに私の解釈としては食っても食っても実際は空気を食っているようにたいした腹の足しにもならず、さほど賢くなっているわけではない、かってに功名心から難しいものばかりを渉猟して下痢ばかりしているという馬鹿さ加減という現状ですからおっしゃることが必ずしも的外れではないのかもと思ったりします。ぜんぜん哲学論議にならず失礼いい足しました。
お礼
こんばんは こういちろうさん。ご回答をありがとうございます。 ★ おっしゃることが必ずしも的外れではないのかもと思ったりします。 ☆ いえいえ。このしつもんは すでに反省しています。 知識欲や好奇心の欲があってもよいし ただしそれだけではない。ということ。 欲求や欲望を満たすことだけでは ないものがあるからこそ おもしろい。 といった全体観に立ちたいという話になって来ています。 ○ ”馬の鼻先のにんじん” ? ☆ これも 馬は必ずしもその人参を食べることが出来るとは限らないとか いろんな話も添えられて タトエとしてやや出来損ないでもあり またそれゆえに笑って済ませると言えるかも知れない。 こういった情況になって来ていると思います。 《文人の知人》のお話も 知り合いどうしということで おもしろいものがあります。 知るはたのしみをめぐるエピソードをつのってもよかったかも知れませんね。 ほかにも さらにこれはどうしても言いたいというお話がありましたら ふるってどうぞ。 みなさんも どうぞ。
お礼
びぢーえむ38489さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 知るは楽しいというより、知ることを楽しめるようになれば、勉強も楽しくなるということでしょうね。 ☆ 馬と人参といった言い方にこだわるなかれ。でしょうか。 たのしいを通り越したたのしさが あるのでしょうか? ● 其の意を悟り其の義を楽しむ ☆ こういう場面も ぜんぜん無いというわけではないと思うんですけれど。一般の場合にもです。 部分的な・一時的なものなのでしょうか。 そう言えば 《勉強》というものについて いろんな思いが現われてまいります。試験を抜きにすれば それほどはいやぢゃなかったのですけれど。