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知るは楽しいは 馬の鼻先の人参か?
どうでしょう? 知るのは 楽しみにみちびかれているなら 利己志向の自己満足としてある。か?
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之を知るものは之を好むものにしかず、之を好むものは之を楽しむものにしかずとは、孔聖の道を語りし所なり。吟詩も亦然り。ただ其の詩を知り、其の詩を吟ずるのみなるは未だし、之を好むにいたりてよし。ただ之を好むも未だ可ならず、其の意を悟り其の義を楽しむにいたりて完きなり。 楽しめば則ち生ず、詩中の景、詩中の情、油然として其の心に生じ来りて、己れ遂に詩中の人となる、これを同化という。吟詩の妙味ここにあり、修養の道も亦ここにあり。われ諸君とここに従事せん。 これは、私の習っている詩吟の会の初代会長のお言葉です。知るは楽しいというより、知ることを楽しめるようになれば、勉強も楽しくなるということでしょうね。
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- kusirosi
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いいえ、 「“知るは楽しみなり”と申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。私は、本日の講師・・・でございます」 最近、こういう口上で話し始める人が多い。 鈴木健二先生の弟子私淑してる人多いんだなー\(^^;)...マァマァ
お礼
あっ そうなんですか。鈴木健二は 知っていましたが 最近も流行っているのですか? くしろしさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ところで お答えは ★ いいえ。 ☆ ということなのですね。 つまり 《たのしみ》に誘われてまなぶことをおこなったとしても それは 利己ではなく自己満足というほどのものではないと。 でも ちょっぴりは やはり自分の趣味嗜好としてやっているだけのようにも見えたりします。が・・・。 知るは楽しみというのは わたしもよくは知らないのですが ひょっとしたらアリストテレスの言葉なのかも分かりません。しっかりと読んでいないのですみません。
お礼
びぢーえむ38489さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 知るは楽しいというより、知ることを楽しめるようになれば、勉強も楽しくなるということでしょうね。 ☆ 馬と人参といった言い方にこだわるなかれ。でしょうか。 たのしいを通り越したたのしさが あるのでしょうか? ● 其の意を悟り其の義を楽しむ ☆ こういう場面も ぜんぜん無いというわけではないと思うんですけれど。一般の場合にもです。 部分的な・一時的なものなのでしょうか。 そう言えば 《勉強》というものについて いろんな思いが現われてまいります。試験を抜きにすれば それほどはいやぢゃなかったのですけれど。