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日本語を書面に表現する際の漢字使用の必要性について
- 日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須かという疑問があります。戦後、漢字の弱点が指摘され、廃止論も提唱されましたが、現在も使用されています。
- より能率的な表記法があれば漢字の使用を減らしても良いという意見もあります。アルファベットやローマ字に限らず、現存する表記法や新しい表記法のご意見を求めています。
- 日本語の表現には歴史的・文化的・学問的・教育的・芸術的・科学的な要素があり、社会全体のニーズを考慮して意見を募集しています。参考文献『漢字と日本人』も紹介しています。
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質問者が選んだベストアンサー
>日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。 はい、必須だと思います。 理由 ・日本語は発音数が少ない上に、同音異義語が多い ・この同音異義語の多さ、煩雑さを埋め合わせるために「文章を読む際に、読み手が頭の中で漢字を補完して意味を把握している」(出典を忘れましたが、漢字に関する書籍にこう書いてありました。同意します) ・朝鮮語は日本語同様、ハングルであっても漢字で意味を補完していたと思われるが、現在ではほぼ漢字の素養が失われたため、朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる。 例:http://chourakunosaka.blogspot.jp/2013/06/blog-post_7993.html この例でいえば、医療で必要な「陣痛(チントン)」と「鎮痛(チントン)」の漢字由来による違いは重要であろう。 以上が主な理由ですが、さらに文法的な問題も含んでいます。 ・日本語は格助詞を使うことによって、文型から開放された言語であるが、その分漢字に縛られている。 ・ひらがなは日本語の発音則に対応していない。(あくまでも漢字の補完である) 私が中学のときに、英語を習って非常に悩んだのは「なぜ英語には格助詞がないのか」ということでした。日本語は、格助詞があるゆえにどのように単語を配置しても、意味がそれなりに通る、という構造を有しています。漢字の発明国である中国語では、英語同様文型に則らないと意味が異なってしまいますが、日本語は「日本語という、基本文型が中国語と違う言語に、漢字を導入するために」格助詞などを発展させ、日本語として自由に漢字を埋め込めるようにしているといえます。 一例 「うらにわにはにわにわにはにわにわとりがいる」この文章をひらがなだけで表すと 「うらにわにはにわ、にわにはにわ、にわとりがいる」になりますが、まだ「にわにはにわ」が何を言っているのかちょっとピンときません。実は英語などの言語でaやtheなどの冠詞や序数詞が発達したのには、こういう名詞が重なったときのわずらわしさを避ける、という理由があります。 日本語はこれらのわずらわしさをほぼすべて漢字を利用することで回避しているのです。したがって 「裏庭には二羽、庭には二羽、鶏が居る」と表記するのが重要なのです。 これだけでも「漢字が必須」という理由には十分だと思いますが、さらに日本語文をひらがなだけ、またはローマ字などで書いたときの問題点があります。それはひらがな・カタカナは日本語の発音則に十分に対応できていない、ということです。 カタカナは実は複数の発音が表記上に混じる、英語並みに発音と表記(スペル)が不一致な言語なのです。 例 さんにん さんの「ん」は発音記号の(n)、にんの「ん」は(ng)に相当します。 発音について、特に漢字との関連性で言えば、「体育」は「たいいく」と表記するのに実際には「タイク」と発音されるのが普通ですし、「おうさま」は「う」とは発音せずに「オーサマ」と発音します。文字と発音が必ずしもいっちしていないのが、現在の日本語の問題点です。 これらは「漢字で補完しているからゆらぎがあってもよい」というスタンスなのです。ゆえに日本語から漢字をはずすことは困難を極めます。 それでももし、日本語から漢字をなくすとすると、文化的な断絶は覚悟するとして、以下のような工夫が求められるでしょう。 ・分かち書き(句読点またはスペース)の文法の徹底(現在は句読点の打ち方に慣例はあるが規則はない) ・文字と音素の一致と法則の徹底(オーサマと書くのかオオサマと書くのかなど) ・音の高低またはアクセント記号の導入(「橋」「端」「箸」などをアクセント記号で区別する) などです。でも決して「効率的」にはならないでしょうね。 逆に日本語をもっと中国語に近づける方法もあるのかもしれません。というより、今後の日本語を考えたときに中国が13億人もいて、コンピューターコードもほぼ同じにされている現状を考えると、今後中国語が経済的に優位にたったときに「日本語をどのような形で残すか」というテーマを考えざるを得ないと思います。 個人的に考えるに、次の方法が有利であろうと思います。 ・中国語の弱点である、表音文字がない、という部分をひらがな・カタカナで補う(もちろん中国語の四声なども表せるようにようにします) ・日本語の文法をSOVからSVOに近づけていく(元々、四書五経を読んでいた時代の日本語は文語体で、これに近いものがありましたので、不可能ではないでしょう) ・中国語・台湾語(北京語)・日本語・繁体字・簡体字・場合によっては韓国語の漢字も可能な限り、意味や用法を統一して、日本人が読み下し文で中国人は発音を変えて読んでも意思の疎通が出来るようにする。 などでしょう。中国が今後巨大な経済的プレーヤーになることは間違いありませんので、日本人が漢字文化圏に戻るのは必須だと思います。 結局のところ、日本の立ち位置からすれば、漢字を廃止するのは近々の事情だけでもプラスになることはないでしょう。 英語を話している人は実感があまりないかもしれませんが、明治以降覚えるべき西洋語はドイツ語だったりフランス語だったり、英語だったりしました。今でこそ英語が最重要ですが30年前までならフランス語だって相当な力をもっていたわけです。 そして中国語は世界最大の話者を要する言語であり「漢字」として日本語まで含めれば英語話者の2倍になるほどの巨大言語分野です。 歴史的には、アジアの自国や周辺国の資産・遺産という点において 文化的には、自国の歴史と周辺国への理解という点において 学問的には、高等教育を漢字を含む自国語でほぼ完璧に教授できるという点において 教育的には、漢字を廃止した後の無形資産の譲渡が難しくなるという点において 芸術的には、今までの遺産とそれを活用した今後の新しい発展という視点において 科学的には、西洋言語では表現できない、新しい知見への取り組み方という点において 漢字を廃止するのはマイナスのほうが大きいと思います。
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- uuuuu8u8888uuu
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質問の矛盾について: 質問のタイトルには「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か」と記述されています。一方、質問の本文には「より能率的な表記法があれば、漢字使用を徐々になくしても良いと考える方々はいらっしゃるでしょうか」と記述されています。この2つは別の質問であり、混乱の元になっています。どちらを質問したいのか、改めて補足入力していただけないでしょうか。私は質問のタイトルについて回答しましたが、本文の内容とは大きく相違しています。つまり、私は本文には 一切 回答していません。 ---------------------------------------- 質問:「日本語を書面にて『効率的に』表現するのに、漢字は必須か?」 答: いいえ。文字種別を増加させることで言語が効率的になるのなら、あらゆる言語は数千種類の文字を保有しなければいけません。しかし、現実には、そうなっていません。前述したとおり、アルファベット言語圏は 26文字の言語で対応しています。「文字種別の多さ」と「該当言語の効率性」はトレードオフの関係にほかならず、優劣を判別しうる内容には なりえません。なお、個人的には、26種類は少なすぎると考えています。しかし、それなら何種類が適正なのか、という点において、明確な定義が表明できません。ゆえに、漢字の優位性の主張は無意味です。 ---------------------------------------- 質問: 平仮名、片仮名だけでは、同一の文字に多くの言葉が定義され、判別困難で不便になりませんか? たとえば「はし / ブリッジ」には多くの意味が存在します。 答: 不便になります。しかし、漢字文化の肯定には直結しません。前述したとおり、「数千種類の表意文字の使用による判別の容易性」は漢字の長所に すぎません。一長一短の物事について長所のみを取り上げることは無意味です。該当する問題であれば、「ぎし ブリッジ」「はし」「りっきょう」「しゃりょう れんけつぶ」「コントラクト ブリッジ」「セブン ブリッジ」「レスリング ブリッジ」「ネットワーク ブリッジ」「せんたん」「きれはし」「すみ」「かど」「ふち」「へり」「すみっこ」「はしっこ」「てっきょう」「きょうりょう」「まるきばし」「つりばし」「はねばし」「さんばし」などで使い分けるしかありません。
お礼
再度のご回答、ありがとうございます。
補足
こちらの補足で、まず、#2 と #5 の補足にて私の不慣れのために他の補足の言葉を入れてしまったことを謝罪したいのです。ご回答者様には大変失礼いたしました。これから、同じ間違いを繰り返さないように気をつけます。 さて、uuuuu8u8888uuu様の言葉を引用すると: ..... 質問の矛盾について:質問のタイトルには「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か」と記述されています。一方、質問の本文には「より能率的な表記法があれば、漢字使用を徐々になくしても良いと考える方々はいらっしゃるでしょうか」と記述されています。この2つは別の質問であり、混乱の元になっています。 ..... うん、矛盾と言われても仕方がありません。でも、矛盾よりも説明不足かもしれません。戦後の漢字使用論争において、廃止促進者は大体漢字の能率上(場合によって、「効率上」も)の問題(とされた課題)を廃止するべき理由として論じました。私の頭の中では、どうも、漢字の使用が必須ではないと考えている 21 世紀に生きている方々にとっても、能率・効率が最も大きいな問題と勝手に決め付けてしまったように思えます。 ということで、「どちらを質問したいのか」に対して、それはタイトルの通り「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か」の方です。#4 のご回答、そしてこちら #7 のご回答でその質問にご返事してくれて、ありがとうございます。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1686)
No.5さんに一票。 No.4さんのご意見によると、たとえばご意見中の 「一切の客観的要素が排除されているいじょう、反論は物理的に不可能と想定されます。」 という文もひらがなとかたかなで「より能率的」に表記できる、ということになります。私にはできませんが、もしできると言うなら見てみたいものです。 No.4さんがおっしゃるように、可能と言えば可能かもしれません。ただそのためには文字数が膨大なものになるでしょう。英語にしても、アルファベットだけで表記されていますが、同じ内容を表すのに日本語よりも多い文字数が必要な場合が多いのではありませんか。 というわけで、「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。」という質問に対する私の答えは「必須ではない。しかし現代と同等に能率的に表現するには必須である。」
お礼
バランスの取れたご回答、ありがとうございます。参考にさせてもらいます。
- 中京区 桑原町(@l4330)
- ベストアンサー率22% (4373/19606)
- uuuuu8u8888uuu
- ベストアンサー率28% (64/227)
「日本語を書面にて表現するのに、漢字は必須か。」 答: 必須では ありません。かな文字だけで表現可能です。 日本語は平仮名 (片仮名) で 50種類前後の文字を扱っています。これで「世界中のあらゆる森羅万象の全部を表現することが可能」です。 アルファベット言語圏では、アルファベット 26文字だけで「世界中のあらゆる森羅万象の全部を表現することが可能」です。よって、アルファベットより種類の多い平仮名で表現できないことは矛盾を発生させます。ゆえに表現可能です。 これは客観的に導出された論理的事実であり、主観的要素の及ぶ範囲は残されていません。 具体例: このはしをつくるきじゅんをめいきしてください ↓ この ブリッジを つくる きじゅんを めいき してください。 この チョップスティックスを つくる きじゅんを めいき してください。 わたしはせいかてんではたらいています。 ↓ わたしは はなやで はたらいています。 わたしは かしやで はたらいています。 わたしは やおやで はたらいています。 こうえんにひとがあつまっている。 ↓ パークに ひとが あつまっている。 じょうえんに ひとが あつまっている。 じつえんに ひとが あつまっている。 レクチャーに ひとが あつまっている。 そのきかいがあればせいこうするでしょう。 ↓ その チャンスが あれば サクセス するでしょう。 その チャンスが あれば セックス するでしょう。 その マシンが あれば サクセス するでしょう。 その マシンが あれば セックス するでしょう。 なお、ふてぶてしさをかくさずに申しますと、私は あらゆる反論を熱望しています。しかしながら、一切の客観的要素が排除されているいじょう、反論は物理的に不可能と想定されます。「1 + 1 = 2」に反論することが不可能であることと同一です。
お礼
ご回答、ありがとうございます。
補足
「私は あらゆる反論を熱望しています」 私もそうです。どうなるか、楽しみにしています。ありがとうございます。
- s4330
- ベストアンサー率14% (8/56)
漢字を捨てると言う事は、韓国人と同じ過ちを犯すと言う事 ハングルで この人を고문にします 漢字で書くと この人を拷問にします この人を顧問にします 貴方の성명を教えてください 貴方の姓名を教えてください 貴方の声明を教えてください ・・・・日本語でも混乱する キム・ヨナは연패した キム・ヨナは連覇した キム・ヨナは連敗した 貴方は이상です 貴方は理想です 貴方は異常です
お礼
ご回答、ありがとうございます。
補足
「漢字を捨てると言う事は、韓国人と同じ過ちを犯すと言う事」 これがどうして過ちだったか、詳しく述べてくれるとありがたく思います。
- papabeatles
- ベストアンサー率15% (316/2083)
日本語は漢字がないと成立しない言葉だと思います。 あんぽじょうやくって、ひらがなで書いたら何のことかサッパリわかりません。 疑問に思われたら会社の文書をすべてひらがなで書いてみてください。 会社の同僚でもいったい何のことか分からないと思います。 新聞などきっときっと今の10倍ほどの紙面になるでしょうね。 今の日本語は明治以来、外来語を日本語に翻訳しながら完成した言葉です。これを簡単に変えることは不可能だと思います。 自由、平等、社会、経済、法律、会社、国家、憲法、議会、全て明治時代に訳された言葉です。(韓国でも中国でもこの言葉を使っています。) これらの言葉をどう表現するか?不可能だと私は思います。
お礼
早速のご回答、ありがとうございます。
補足
はい、他のご回答の方向性を見てから補足します。
- 中京区 桑原町(@l4330)
- ベストアンサー率22% (4373/19606)
このはしをつくるきじゅんをめいきしてください さて、貴方は何をしますか?
お礼
早速のご回答、ありがとうございます。
補足
同音異議語の使い分け問題は大きな課題ですね。この点に関しても、他の回答者が指摘してくれるだろうの課題に関しても、後で纏めて補足します。
- 1
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お礼
非常に詳しいご回答、ありがとうございます。中身をちゃんと把握して、補足を用意するのに時間がかかそうですが、必ずアップします。 私の問いに関してこれほどご時間と労力を割いていただき、誠にありがとうございます。
補足
本質問に回答してくれた方々の殆どが、同音異義語の多さが(漢字廃止において一番大きな)ネックだ主張しています。やはり、重大な課題ですね。 文法的な問題について、例の 「うらにわにはにわにわにはにわにわとりがいる」・「裏庭には二羽、庭には二羽、鶏が居る」ですが、 うらにわ に は にわ、にわ に は にわ、にわとり が いる のように、空白を入れることによって、漢字を使わなくても例文の言葉が持つ意味を把握するのが著しく速くなると思います。 それに、他の回答者が挙げた例文もそうですが、上記の紛らわしい「にわとり」の文には脈略がないことこそ問題です。 机上の例、問題集のためにわざわざ作られた例をおいといて、実際の言葉だと話しには文脈(背景・前後関係など)が存在します。 文脈(一つ前の文章ではなく、話し全体)が分かったら、「あめ」、「はし」、「おこる」など大和言葉を混乱する恐れはあまり大きくないでしょう。 大和言葉より、むしろ漢語に由来する熟語が誤解を招きやすい言葉でしょう。 例として、「きかん」、「せいか」、「しんせい」のようによく使われている同音異義語がそれぞれ約 15 個あって、少し珍しい慣用語も入れたら 30 個になり、 死語に近い言葉も計算に入れたらさらに膨大します。 それでも、文脈さえあれば読者が読んでいる文面に出る「きかん」が「機関」、「期間」、「帰還」、「気管」、「器官」など、どの熟語を指すか、それほど躊躇することはないでしょう。 多くの方々にとっては同音異義語が(漢字廃止論において)致命的な問題だと考えているようですが、本当にそうでしょうか。 次、「朝鮮語は日本語同様、ハングルであっても漢字で意味を補完していたと思われるが、現在ではほぼ漢字の素養が失われたため、朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる。」 Blog を紹介してくれて、ありがとうございます。中身はとても面白かった。ただ、 「朝鮮語の文化的根幹が危うくなっているとされる」 を断定するのに、本 blog が紹介する逸話が足りない気もします。 勿論、若い医者が「陣痛」と「鎮痛」の区別が出きなければ大変ですが、今のところ実害の例は本当にあるでしょうか。後は、どんな社会においても、意思疎通がスムーズに行wられないことが重大な課題だと思います。しかし、同音異義語いがいに意思疎通がうまく行われない原因は数多くではないでしょうか。 文化的な面に関しては、なにも還元主義的な議論をするつもりはありませんが、古典初め漢字と関係のある文化的なことに興味のある人達(専門家・一般読者)が それぞれの興味・活動が必要とする漢字を自らで獲得すれば宜しいではないでしょうか。もし官僚と政治家が望ましいと思えば、漢字学習に援助金を注げば宜しいかと思います。 一方、「文化」を御大儀掛け、日常生活には漢字を必要としない国民に(漢字と縁のある)文化と触れさせるために、無理やり2・3千もの漢字を親しませようのもどうかなぁと思います。 それに、「文化」は流動的な生き物です。いくら漢字が昔の文化において必要だったとしても、現在は違うようであれば、昔からの遺産を強制的に押し付けなくても宜しいではないでしょうか。 次は、phj様が指摘してくれた文法的な話しです。 「にわとり」の例に見られた煩わしさは「ほぼすべて漢字を利用することで回避しているのです」とされます。 確かにそうです。しかし、上記に述べたように漢字がここで果たす機能の代わり、空白・文脈だけで同じ役割を果たしてもらうことが可能です。漢字を使う文章と比べれば多少働きが悪いことは否定しませんが、一方、漢字を習得するための時間・苦労と、他方、漢字を使わずことが生じる若干の不便さを天秤にかけて量ってみますと良いではないかと思いますが、いかがでしょうか。 最後に、「ひらがなは日本語の発音則に対応していない。」 これも、確かにそうです。とはいえ、文字と発音が多少一致していなくても、仕方がないことだと思います。文化と同じく、言葉は生き物ですから。 長くなりましたが、本補足に関して疑問に思われるところがあれば、是非、再回答をよろしくお願い致します。