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本能寺の変で
信長の遺体はどうなったと思いますか?蘭丸の遺体は光秀にこれは蘭丸だとわかったのでしょうか?
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粉々になったんでしょう 本能寺の地下に何らかの空間があったのは発掘調査でも明らかになっています そこが火薬庫だったと言う確証はありませんが ルイス・フロイスの日本史には「信長様は本能寺の地下に多量の火薬や火縄銃などを備えてある」と記載があります 本能寺が燃えていた時間は30分程度 しかし延焼する前に地下の火薬に引火して吹っ飛んだなら辻褄は合います 爆発すれば燃えずに粉々になりますからね ただ 爆発と言っても小規模で 京都中が大火になった などと言う記録はありません 当時二条御所にいてそそくさと脱出して難を逃れた誠仁親王の記録にも 火の手が上がった本能寺で突然大音が響いた と記録しています とすれば この爆発で信長が粉々になった と考えるのが自然でしょう ちなみに本能寺に居た殆どの従者の遺体が発見されていません (記録では当日本能寺に居た者は100名程度 しかし遺体が見つかったのは10数名です) それから森蘭丸の遺体も実際は見つかってません 安田国継や明智方の記録では蘭丸の遺体を見つけたとありますが 「信長公記」や「日本史」では信長と蘭丸の遺体は発見されなかった とあります ちなみに この2つの資料の信憑性は第一級品です 蘭丸は信長の最も近くにいた小姓です 爆発に巻き込まれ粉々になったと考えても不思議ではありません 蘭丸の弟の坊丸と力丸の遺体は確認されています もしかすると それを蘭丸と見誤った可能性も否定は出来ません
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- shirouuda
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爆発説については、当時の記録が無いので、後世の創作なのでしょう。 今日でも、焼死体の判別には歯医者のカルテが主に用いられます。 要は、当時は焼死体を判別する技術が無かった、ということです。
お礼
単純にそういうことなのでしょうかね?ありがとうございます。
- rikukoro2
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外国人宣教師の記録に、「本能寺には大量の火薬が貯蔵されており、最後はこれに引火し大爆発した」という記述があります。 もし、信長が大量の火薬に囲まれて爆死したとしたら、焼死体どころか、遺体は粉々になって燃え尽き、本当に何も残らなかったでしょう。 本能寺跡の発掘調査では、「焼けた瓦も一部にあるが、焼けていない瓦も大量に発掘されたため、本能寺の炎上は半焼程度だった可能性が高い」ことが明らかにされました。 襲撃した明智方からしたら、信長の首をなんとしてでも持って帰りたいので自分の方から火をかけることはありません。 とすると、本能寺での出火は、信長が自害するにあたって火を掛けさせたとしか考えられませんが、本能寺の襲撃はわずか30分で終わったとされています。大きな寺を確実に燃やすほどの入念な準備をしている時間はありませんでした。 なにしろ木造といえども大きな建物であれば、普通に火をかけても勢いよく燃え上がるには何時間かはかかります。 (また、仮に信長が自害して火をかけた時点では一部の建物しか燃えていなかったとして、数時間して勢いが強まって寺全体に火が回ったのだとしたら、本能寺はそのまま間違いなく「全焼」していたはずです。) つまり発掘調査の「瓦の半分は焼けていなかった」「半焼だった」というのは、炎が急激に燃え上がり、そして急激に勢いがなくなり鎮火した・・・ということを如実に示しているのではないか・・・それはとりもなおさず「火薬」が使われたからではないか・・・と推測します。 蘭丸に関してはで明智光秀配下の安田国継に討ち取られてますので、首はのこってますので見れば分かるでしょう
お礼
自分は信長のファンで本当に光秀に首をとられなくて良かったと思います。本当に信長らしい最後だったんだと思います。ありがとうございます。
お礼
地下の話はしりませんでした。やはり粉々になった、そうなんですかね?信長らしいです。ありがとうございます。