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二河白道か二河百道か
世田谷区に九品仏浄真寺というお寺がありそこでの、九品仏 二十五菩薩来迎会という行事について下記のサイトで紹介しています。 http://marukokawa.exblog.jp/9240498 このサイトの開設者か管理人、あるいは掲示板で質問しようとしましたがちょいと見当たりません。 質問したいことはこのサイトで二河白道と二河百道というタームが使われているのですが、その区別あるいはどちらが正しいのかを教えてほしいという事です。 ご存じの方がおられましたらどうかよろしくお願い申し上げます。
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こんにちは。 既に、お答が提示されているようですが。 確かに「白道」(びゃくどう)が正しいです。 「白道」の意味も掲載されていますが、 極楽往生を願う清浄な心・・・つまりは、一心に念仏を唱えなさい・・・と言っているのです。 日本では、 法然43歳の時、中国の僧善導が「観無量寿経」(かんむりょうじゅきょう)に分かりやすく注釈を付けた「観経鈔」(かんぎょしょ)を読み新たな目を開きました。 「観経鈔」には、人の心は散漫であるから、心を定めることはできない。それでも一心に口で念仏を唱えれば、阿弥陀仏の本願によって極楽に迎えられる、という意味のことが書かれてありました。 この一節により、法然の心は定まり、専修念仏の浄土宗を開きました。 法然は専修念仏の教えの中で、 ★口で念仏を唱える以外の修行や学問は不要である。 ★また、当時の人々の心を支配しいた禁忌(女性の月の忌(い)みなど)を一切否定し、仏法には忌みはないと説いた。 ★さらに、僧が戒を守れないないならば、戒にこだわる必要はない。 ★ただただ一心に念仏さえ唱えれば良い。 と、説きました。 その結果、弟子は増え、庶民にまで広く受け入れられることとなりました。 有名なところでは、親鸞が夢告の意味を問いただしたところ、法然は自らが記した「百四十五箇条問答」の中に、 「僧にあらず俗にあらず、念仏を絶対他力の信仰へ昇華させる」 とあり、 「僧が結婚しないと心を定めて念仏を唱えられないならば、結婚しなさい」 おそらく親鸞にそのようなことを伝えたと思われます。 これにより、親鸞は法然の弟子となり、恵信尼(えしんに)と結婚し、僧として初めての妻帯者となったと言われています。 九品仏(くぼんぶつ)浄真寺は正式には「九品山唯在念仏院浄眞寺」と言い、開山は江戸時代ですが、二河白道図に基づき極楽浄土である上品堂(じょうぼんどう)と俗世の娑婆(しゃば)の世界である本堂を模して寺の配置がされており、浄眞寺では娑婆の人々が誰でもが極楽へ行けるように、との願いで「九品仏二十五菩薩來迎会」を執りおこなっているようです。
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- kuma56
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二河白道 サイト中に出てくる奈良国立博物館のサイト見ればわかります。 http://www.narahaku.go.jp/english/mobile/meihin/kaiga/053.html 抜粋 衆生は一心に阿弥陀を念ずることによって迷うことなく白道をわたり極楽往生をとげるという。 抜粋ここまで 読み方として、はくどう ではなく、びゃくどう となるので、変換時に 百道 になったのではないでしょうか・・・・・
お礼
ありがとうございます。 漢字変換の間違いだったのですね。 迷うことなくって、それは難しいことですよね。
- tanuki4u
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http://www.narahaku.go.jp/english/mobile/meihin/kaiga/053.html リンク先の URLが 上記に変わっていうようですが 白道 のようです
お礼
やはり白道でしたか。 意味の深い教えなんですね。 ありがとうございました。
お礼
二河白道図、俗世娑婆に摸しての寺の配置での極楽への導きなんですね。 心して八月十六日はみんなとこの行事に参加したいと存じます。
補足
白道がはくどうでなく、びゃくどうであるのでURLの方も漢字変換が間違ったのですね。この読み方を知りえただけでも最大のありがたさですが、法然から親鸞にわたる信仰の神髄を知ることができてとてもうれしいです。