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宗派も多く形式作法も違う、私なり先祖の送り方、自分の心の安らぎが出来れば、自分なりの形式作法で良いと思っています
- 私は若輩ながら71歳のフリーで、仏教や神教には属さず、ただ先祖との関係を大切にしています。
- 宗派や作法形式は人間が考えたものであり、心の安らぎを感じるためには自分なりの方法が大切です。
- 他の人の意見や枠に縛られず、自分の心に従って先祖を送ることが一番心地よく、形式や作法にとらわれる必要はありません。
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質問者が選んだベストアンサー
それはどこにも所属していないのではなくて、自分教の信者なのですよ。違法な事をしてなければ、それでいいのではないでしょうか。
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- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15945)
質問は「これで良いと思いました。」これで良いと思いますか? で、いいんでしょうか? それでいいと思います。
お礼
有難う御座いました。
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同じ考えの回答を頂きました。しがらみから抜ける 事は、世間(昔の部落)がうるさいので、次世代に 任せるつもりです。
- nihonsumire
- ベストアンサー率26% (843/3157)
賛同致します。葬儀は、お坊さんの糧として、そして生存している者のためにあるのですから。ご自分が納得する方法で、良いと思います。 共に、充実した日々をお送りされますように。
お礼
有難う御座いました。
補足
先祖のお墓やお寺とも縁を切るには、まだ時が 必要です。私の代では墓が幾つも有るので、整 理しました。次は、墓を無くし納骨堂などを考 えています。
- mekiyan
- ベストアンサー率21% (865/4001)
死んでいく、死んでしまった本人は、どうでもいいんですが、残された者が、どのような葬儀をすればいいのか困ってしまいますな。 お経とかミサがなければ、集まったお方らが、ただただボヤッと故人を偲ぶだけで、時間がきましたので焼き場へ出棺ですと。そうかといって、ごく身近な親戚だけのお通夜から焼き場に運ばれ、オーブンのふたが閉められ点火するだけでも、やはり、手を合わせて成仏してくれよ、と思うだけでも仏式になるし。まあ、それでもいいか。 わたしゃ、家族ともども形式的なカトリック教徒なので、神父さんに支払いのお布施は、5000円ほどなので安上がりです。それに49日もの長い喪服期間ではなくたったの12日。その次の礼拝も1年後で、500~1000円ほどを包むだけです。
お礼
有難う御座いました。
補足
宗教や神教のやり方は色々、最後は自分自身が 送り人として、満足してお別れできるかです。 私は、しきたりより、物故者と向き合い静かに 過去を思い出し、火葬場へ送り出したい。親戚 も2世に成り顔も解りません、仕事も忙しく、 ご無礼が多い、迷惑をかけるので全てが終わっ てから連絡するようにしました。
お礼
有難う御座いました。
補足
いつでもどんな時でも、立ち直る気力根性は長年の 人生で培った経験で、心を強くしてくれています。 冷静に無理をしないように心のよりどころとして、 心の中に仏が居る様な気がします。若いときには良 き友人が心の支えとして、お互いの道を踏み外さな い様に支え合ってきました。今のお寺の住職では支 えには成りません。