本当に事業としてそういうことをしたいのであれば、ハローワークに相談しましょう。
求人票に直接かかないでコメントとして受け入れてくれます。
そして係員が、相談にくる求職者を見ながら紹介してくれる可能性があります。
ただし、うまくいった場合いかなかった場合の事業計画を質問する担当者はいるはずですが。
通常、障害者枠での求人でしょうか、と訊かれます。
その枠は補助がつきますので。
ある程度の規模の会社であれば障害者枠はありますが、小さいとないかもしれません。
そのとき、事業は大丈夫か、です。
単純に、考えていることを人に知ってほしいというならブログにでも書いておけばいいでしょう。
誰かが見に来るかもしれません。
でも、スポットを当てたいひとたちはまず見にこないでしょう。その話をします。
劇作家宇野信夫というひとに「小判一両」というものがあります。
原作者が物故してしまうと、知っている人すくないでしょうね。
簡単にストーリーを言います。おそらく江戸時代の末期です。
凧売りの行商が風で凧を飛ばしてしまった。それを小さい男の子が拾った。
返せといっても落ちてたのだから自分のだと言い張る。そこで大声で泥棒とどなったところに笊屋がいた。
おめえ子供あいてに何やってるんだ、凧ぐらいくれてやれいといったことで大げんか。
じゃお前が買え。おお腐れ凧のひとつぐらい買ってやる。
笊屋は商売に出たばかりで小銭をもっていなかった。
でも亡き父親がいざというときには使えと言った形見の一両が胴巻に縫い付けてありずっと大事に持っていた。
江戸っ子なのでかっとしてこの一両を出して釣りをよこせ、でまた大ゲンカ。
ここに来たのが凧を欲しがっている子供の父親。長屋に住んでいる痩せ浪人。
丁寧にあやまるが、凧売りは罵倒する。
町役人が寄って来たので凧売りはすてぜりふを言って逃げる。
笊屋は、出したばかりの一両をもって考えていたが、「おいこれでうまいもんでも食いな」と子供に渡してしまう。
父親がとんでもないというのをまあまあともたせて返した。
そこを離れた笊屋に、路地の外で立っていた立派な侍がちょっとこいと言う。
酒と食事をおごり、笊屋が凧屋と喧嘩した行動を称賛した。
実際はあの浪人は、この侍の旧知の友人であった。
笊屋は少々酔って「おもしろくねえね」と言い出す。
そう思うならなぜあんたが出てこない。あの浪人ものは本当になさけなかったろう。
あんたが出てきて、凧を買ってやったらどうだったのだ?
いやいや、俺が出ていけん理由がある、といっても笊屋は了解しない。
あっしにおごる金があるならなぜあの浪人にごちそうしないのだ。
あの人はあわれなんだ。人から陥れられて浪人になったらしいし。
そこで人生に悩むものがどれだけ人の助けを欲しいものかと理屈だって話します。
武士はわかった、といい、そなたの言うことが正しいかもしれんな、とため息をつく。
笊屋が、子供に親の形見の一両を渡した話をしたところ武士が顔色を変え、その浪人のところにつれていけ。
行ってみると戸が閉まっっており、こじあけて開いてみると浪人は自害して息がなかった。
武士曰く、
このものはこのような境遇にあっても、それほどみじめなものではないと自分を励まし自分でもそう思いながらやっておったのだ。
それが、わが子が人のものを自分のだと言い張り、気の毒がられた上笊屋に一両めぐまれた。
乞食にも等しい。
そのときに、いかに自分が情けない存在であったか、笊屋にすら恵まれるような存在であったかが身にしみたのであろう。
生きているかいがないと思ったのであろう。
わしがじかに顔を合わせることを控えたのもその慮りがあったからである。
残念なことをいたした。
笊屋、茫然としている子供に向かい「お前の仇はおれだ、おれを殺してくれ」という。
そういう話です。
困っている人の助けになりたいと考えることは非常にすばらしいことです。
でも、かわいそうだから助けよう、という見方でないところで考えてみてください。
もしDV被害にあって名前も変えひっそりとしている人がお金が欲しいと思ったときオフィスに通いたいと思いますか。
仮に行けるとしても、同僚にDV被害者がいたら救いになりますか。
そもそも自分がDV被害者だと同僚に言えますか。上司に言えますか。
DV被害にあっている人を優先して募集している会社があるとして、応募したいと思いますか。
この人、どうしたら救われますか。
そういう風に考えてみたほうがいいと思います。
一般の、アルバイトをちょいかじりしてやめていくような人間たちを雇うのとは違うことがあります。
情報があっても応募してきません。
実は私も、身内でどう考えたらいいだろうという者がいます。
あなたの言う、犯罪や何かに巻き込まれた社会的弱者ではないのですが、精神科的な問題がある。
一般的なサラリーマン稼業はむつかしい。
そのため、いろいろ事業を考えています。
世話をするもの、運用をしてくれるものがいれば大体大丈夫なのですが、それでは困る。
なぜかというと当人が自立していないまま行ってしまうからです。
農業的なこと、コンサルタント補佐的なことがいま頭の中でぐるぐる回っています。
質問者様の方向性には拍手を送らせていただきます。
お礼
とても親身になって回答頂いて感謝します。 有難う御座いました。