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奈良時代の貴族と地方の庶民の暮らしを教えてください
奈良時代の貴族と“地方”の庶民の暮らしを 詳しく教えてください。 衣食住についてです。 地方では奈良時代になっても 竪穴住居が使われていたと知りました。 貴族たちの明るい平城京と 庶民たちの苦しい暗い奈良時代、平城京のことも 比較したいです。 よろしくお願いします。
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>庶民たちの苦しい暗い奈良時代、 完全な誤解です。 庶民は快適に明るく暮らしていました。 億ションと郊外の2DKの木造アパート暮らしを比較して、平成時代の庶民は苦しい暗い世代を生きていたのだ、と考えるのと同じです。 もっとも1970年代のヨーロッパ人も同じような誤解をしていました。 1979年にECから出された「対日経済戦略報告書」に 「日本人はうさぎ小屋にのような家に住みながら狂ったように働いている」と書かれていました。 この報告書以来日本の国内でも「オレの家はうさぎ小屋」「ワーカホリック(英:Workaholic)=働き中毒」という言葉がしばらく流行りました。 竪穴式住居という構造の家屋は日本人が最も長くくらしていた家屋形式です。 遠く縄文時代に始まり鎌倉時代まで庶民の住居として使われていました。 戦国時代には、城内の簡易住居として使われていました。 島原の乱の際、多くの信徒が立てこもって暮らしていたのは竪穴式の建物でした。 現在のダンボールハウスとは根本的に違います。 竪穴式住居というのは、数々の特徴を持っています。 ○地熱により、夏は涼しく、冬は暖かい室内環境を維持できる。 ○暖房用の燃料代が地上形式の住居よりも遥かに安い。 ○貯蔵庫としていい機能を持っている。 冷蔵庫が普及する前までは各家庭の台所の下には野菜保管用の穴倉が設けられていました。 暖房効率が良好であるというのは決定的的な意味を持っています。 暖房用の燃料というのは、最近のように石油やガスストーブ、エアコンなどが普及するまでは木材すなわち薪や炭でした。 家の中で煮炊きや暖房に使うのに適した大きさの枯れた木材を入手するというのは簡単な話ではありません。 家の中で電信柱のような木を燃やすわけにはいきません。 大木を倒して割って薪にするには、それ相応の道具と労力が必要です。 のこぎりが庶民に普及するのは室町時代以降です。 のこぎり無しに丸太を随意の長さに切るというのは至難の業です。 のこぎりの有無は、地上式の住居を建てる際に不可欠な板の制作にも関係してきます。 大木から板を作るというのは簡単な話ではありません。 のこぎりというのは単に刃の欠けた刃物ではありません。 一つ一つの刃を正確にかつ鋭利に作り上げる必要があります。 (錆て刃がつぶれたのこぎりで板を切ってみて下さい。理屈よりも体験です) 強靭性の乏しい金属では使い物になりません。力をかけて曲がった途端に折れるようではどうにもなりません。 板といの物は長い間高級品でした。 のこぎり無しに板を作るのには、丸太を縦に割って、後はセッセト削っていく以外に方法はありません。 飛鳥時代に板蓋宮(いたぶきのみや)というものが建てられていますが、当時としては高価な板をふんだんにつかった超高級な建物でした。 大型の建物は正倉院の校倉のように丸太を縦に割ったものが使われていました。 現代風にいえばログハウスです。 板なしに住居を作るのであれば、耐水性に優れてある程度の強度がある萱を束ねて使うのが最も簡便です。 現在ホームセンターなどで売っているよしずをイメージしてください。 萱は日本中いたるところに生えていました。日本はとよあしはらみずほの国です。 束ねた萱を使って、現在のような壁と屋根を別構造で作るのは恐ろしく効率の悪い建て方となります。 構造的にも不安定です。地震や台風で簡単に倒壊してしまいます。 屋根と壁が一体の竪穴式住居というのは極めて合理的な構造の住居です。 ヨーロッパや中近東ではレンガや石積みの建造物が発達しましたが、地震王国の日本列島では簡単に崩れてしまいます。 現在でもトルコなどで地震が起きると個人住宅の被害が大きいのはこのためです。 竪穴式住居については下記のようなサイトがあります。 竪穴式住居は理想の住居形態? - 縄文と古代文明を探求しよう! - JP ... web.joumon.jp.net/blog/2010/12/1167.html 衣料は麻が主体でした。 木綿や絹は上流階級の衣料でした。 麻は荒地でも生育し成長の早い植物です。簡単に手に入りました。 布に織り上げるのが面倒なだけですが手間は木綿でも絹でもかわりません。 すなわち、衣料に困って莚を着ているなどということはありませんでした。 食は日本列島というのは食物が豊かな島です。 食生活というのはその時代その時代で異なります。 七草がゆの本物を召上がったことはありますか?現代でいえば雑草野草の類です。 このような植物を聖徳太子も食べていました。 現代のように白米を食べられなければ貧乏で不幸だなどと思い込むのは完全な誤解です。 現代でも山菜料理と言って地方の名物となっています。 具体的なイメージは当時の絵画などの映像がないので分かりにくいかと思いますが、少し時代を下った平安時代の庶民の様子は分かります。 時代の発展速度が遅い時代ですから、当たらずとも遠からずかと思います。 下記サイトに絵があります。 信貴山縁起 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/信貴山縁起 伴大納言絵詞 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/伴大納言絵詞 上記いずれのサイトも掲載されている絵の右下の小さなアイコンヲクリックしてください。拡大と同時に他の絵も出てきます。 庶民の服装などが良く分かります。 上流階級の家屋の様子も分かります。