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短歌の評価の観点
大学で小学生を対象と想定した模擬授業をします。クラス全員が作った短歌をみんなで鑑賞し、投票させるのですが、短歌の評価の観点がなかなか思いつきません。 「気に入ったもの」とすると、なんとなくという理由で通ってしまいますし、「共感したもの」とすると、ウケ狙いをした短歌に表が集まる可能性があります。 どういった点に注目して評価させるのか、自分ではなかなか思いつきません。皆様の知恵をお貸しください。
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少なくとも小中学生レベルですから観点も自動的に設定されるはずです。 (1)形式的要素を満たしているか(小中学生では自由律の理解は不可能です) (2)短歌と俳句の違いを理解しているか(短歌では季語・切れ字は必要要素ではないこと) (3)語誌脱字がないか (4)鑑賞との視点とそれのための観点要素は関係がありません。鑑賞は文学理解に属しますから、切り離して考える必要があります。これは「生徒がそう感じてしまったのだから、それ以上の踏み込みなど許されない」との基本部分です。 国語科の教員を志望されるなら、毎年に実施されている文科省全国学力調査の報告書をお読みになることをお勧めします。あの調査は点数を着けるのではなく、どこまでの理解ができているかとの観点別評価形式であると共に、説明の文章と物語の文章の二つの領域をそれぞれに大問として扱っていますので、材料としての的確性はあります。 更に「相手の意見を聞いて整理し、自分の意見を書く」との観点も提示されていますので参考になるはずです。 教職課程を選択されているならば、教科指導法は必修単位のはずですので、そのテキストやノートを読み直してみて下さい。
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- Postizos
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どう教えてもどうせ小学生にまともな短歌などほとんど期待できるわけはないでしょう。せいぜい短歌ごっこしかできなくて、それでもその中に発見やおもしろさがあるからやらせるわけです。 それでも小学生の短歌を鑑賞する事もできない事ではないでしょう。 もちろん小学生に名歌を教えたってすぐ本歌取りでまともな物ができるわけはありません。でも一端でも教えるべきでしょう。肥料になりますから。 「ごっこ」の物を短歌だと信じさせるのが正しいとは言えないと思います。 質問について言うならば評価する言葉は教師が研究し考えて持っておくべきだと思います。なんとかして思いつくべきでしょう。そういう事を専攻されているのではないでしょうか。指導してくれる方もいらっしゃるのでは。
- TANUHACHI
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高校生以上ならばいざ知らず、中学生に「本歌取り」が理解できているかとの問題が既にあります。古典の知識がない中学生相手に古典からの引用を求めることは現状を理解していない方の独断でしかありません。 そして現在の中学生がどの様な文字を書いているか、実際に見てみればお解りにもなります。それほどのレベルです。中には500人に1人くらいまともな生徒もおりますが、殆どは向学意欲のない集団ですので現場は苦労のし続けで、精神を病んで退職する優秀な教員が増えてもいます。 余り中学生を買い被らない方が安全ですね、しかも公立中学校ほどそうした現象が出てもいて、基礎的学力に不安のある生徒の数が毎回の問題にもなっています。それらを普通のレベルに引き上げるならば、中高一貫よりも小中一貫が先でしょう。 和歌から連歌そして俳諧の連歌そして、無駄な要素を全て削ぎ落としての完成型である俳句へと進化する文学史的要素から先ずは説明せねば、そうした手法を用いるのはタイムロスにしかならないとの危惧もいささかあります。 そして俳句と短歌がなぜ枝分かれしたのかを確実に理解させる必要もあります。これができていない状態ですから、自由律を教えても意味がないとの話になります。 型破りとの言葉があるのは、型を全て理解してからの話であることが先ずは前提になります。それほどヒドイ状態なのですよ、現場は。だからそれ以後の課程を扱う教員やら学習塾に負担もかかります。補修塾ではまず「キッチリと正確に文字を書く」このことから始めるほどですから、推して知るべしですね。そして文字をしっかり書ける子供は文章もしっかりと書くことができます。 「共感したもの」も「気に入ったもの」も感性の判断レベルですから、それを相手に具体的に論理的に伝えることができれば問題もありませんが、逆にその読み解きに対する負担もそれだけ増えることを覚悟する必要があります。全てが類型化できるとの保証はどこにもありません。 もしそれを行うのであれば、想定外を含めたかなり許容幅の広い回答が続出する可能性を視野に入れておく必要があります。全てが正解になるか、あるいは誤答になるか二つの一つの可能性もあります。その基準をどこに置きますか?
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
投票させる狙いがもうひとつはっきりしないですね。 私が思うには投票させるのは投票した人にその歌のどこが良いのかを述べさせるためだと思うのですが。人気投票で一位二位なんていう遊びをしてもしょうがないと思います。 ここが良いという話が出たならそれに対するあなたの意見も当然出てくると思います。最高学府で専攻されているのですからその程度の見識はお持ちではないでしょうか。 短歌の詩としての形式はもちろん大事ですが、詩であるためには他にもいろいろ評価ポイントがあると思います。それを放棄する事はできないでしょう。教師の倫理に反しない限り芸術系の作品鑑賞に於いて自分の考えかたを伝えるのは正しいと思います。 こどもには「自由に」と言うより例えばこうするとおもしろいよと教えた方がかえって応用力や世界が拡がって役に立つでしょう。(というかそういう知識や見識を伝えるべきだと思います) 本歌取りとかもあるぐらいですから生徒の作品に関連付けて過去の有名作を引いて見せる事も大事だと思います。自由律などの作であってもそういう見せかたをすれば理解できるように思います。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
失礼、誤字訂正を行わせていただきます。 >(3)語誌脱字がないか は>(3)誤字脱字がないか、です。言っておきながら恥ずかしい。
- TooManyBugs
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いったい何を目的とした授業なのですか? 短歌を作ることなのか、短歌を評価することなのか? 客観的な評価は無理ですね。 出来るとすれば誤字くらいですね。 季語なんて回答がありますが短歌ですからね。 >「気に入ったもの」とすると、なんとなくという理由で通ってしまいますし、 それ以外の理由を述べさせることの方が為になりますね。
- trytobe
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最近のバラエティ番組で、俳句の秀逸さを、出演者の中で順位付けする、というものがあります。 そこで着目されている項目としては、「季語があること」「季語の季節が正しいこと」「季語が複数入っていないこと」という形式的なものがまずあります。これは形式的なものですね。 次に、57577の31音からの字余りは比較的許容されます。とはいえ、それは5音=4拍子での1小節+1拍+3休符、7音=4拍子での2小節(でも最後は休符)、というリズムに収まることが基本ですので、5音が6音、7音が8音になってもリズムが崩れない、というのが許される「字余り」です。 ここからが、限られた文字数での表現としてのもので、「あえて、575の17音を、2句に使う」という荒業もあります。全然うまい例ではありませんが、「風鈴の鳴る音 おやじの肩越え 幼き頃の 我が額に来ゆ」みたいな、文法的な切れ目にこだわらない音数の使い方です。 そして、最後には、限られた文字数の中に、いくつの情景や感情が描かれているか、の評価です。一つの表現に、季節・強弱・音程・触感などが混在しており、それがあるから、上の句では「夏」「川の字に寝る親子」「窓を開けての睡眠」という状況が、相互作用で導かれ、映像として描けるヒントがいくつも織り込まれるのです。 それが、畳で寝ている部屋の存在と、軒先の存在と、風通しのよい外の存在を、31字の中から「間接的に」でも「具体的位置関係」として言及されている、という捉え方と、その描いている範囲の広さ・空気感・温度感・存在するものの数・形の具体性、という数的な大きさとしての比較評点に換算しうるのです。