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音楽っていう漢字
音楽という漢字が、 音学ではないのはなぜですか? こっちであってもおかしくないですよね。
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「音楽」という言葉(漢語)は別に「music」の訳語として近世や近代に新たに作られた言葉ではなく、2000年以上昔の中国の古典「呂氏春秋」が初見だとされている極めて歴史のある言葉です。明治以降西洋のものにも中国や日本のものと同じく「音楽」の語が広く使われるようになったということになります。 もともと「楽」には「楽器を演奏する」「音曲を奏でる」という意味があり、「楽曲」「楽譜」などの熟語の「楽」はこの意味です。つまり「楽」だけで「音楽」(特に雅楽)の意味があったわけで、「音楽」=「音を楽しむ」ではないことは明らかです。 古語辞典を引くと「続日本紀」や「源氏物語」などの「楽」の用例が載せられています。 なお「音学」を漢和辞典で調べると、「漢字の発音を研究する学問」とあります。
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- D-Gabacho
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「音」は歌声、「楽」は楽器の音を表します。声楽+器楽=音楽というわけです。 「音学」という用語は存在しますが、これは漢字の発音・音韻を扱う学問を意味し、音楽とは全く関係ありません。
- dsdna
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>音楽という漢字が、音学ではないのはなぜですか? 分かりません。 インプットするものではなく、アウトプットするものだからだと思うけど、明確な理由はないとも思う。
- hunaskin
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学校の授業や専門家にとっては音学である場合もあるでしょうが ほとんどの場面・人間とっては音楽の字がふさわしいでしょうね。
- TANUHACHI
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これは僕の個人的な見解ですので、お気に召さなければ削除をお求めになって下さい。 確かに「音楽」にも「理論的部分」はあり、それは「楽典」と呼ばれています。この楽典で「勉強すること」が文字どおりの「音学」といえると僕は理解しています。 けれどもその音楽理論だけで「作品としての音楽」を創造することができるかといえば、これはまた別問題といえるでしょう。 理論どおりに作ったとしても退屈でつまらない作品が生まれるかも知れず、逆にただただ闇雲に勝手な思い込みで作った作品が評価されることもないでしょう。 型破りとの言葉がありますが、この「型」はそれまでの知恵の集積ともいえ、それらを理解した上でなければ型を破るともできないはずです。 ストラディバリウスの奏でる音色が小川のささやきやビアノの旋律が夏の夜の月光のダンスを想起されるのは、理論的構築よりも人間の感性やインスピレーションといった美意識的要素に多くが委ねられもします。 詩や文学を理論的に説明されてもちっとも面白くもないように、感じるものを刺激する何かがなければすぐに飽きられもするでしょう。 アダム・スミスやカール・マルクスは「行為としての人間の経済活動」から「人間」を理解しようと試みましたが、現在の経済学者は経済分析能力には長けていても、それを裏付けそして土台とするはずの「人間の姿」を何処かに置き忘れているかの様な議論もしています。 それだけ専門特化することで、逆に全体像が見えなくなってもしまうとの皮肉な現象です。もし「音楽」を「音学」としたならば、同じ轍を踏むと僕は感じています。これでは何の説明にもなっていませんね、お役に立てなくて申し訳ありません。
お礼
ありがとうございます。 どうやら勘違いしていたようです。 『楽』の漢字にそこまでの意味があったんですね。