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笑うことと年齢
No.76492 質問:人間合格 で、回答してたなかである疑問が生まれました。 『笑うことと年齢』 年を重ねていくと笑うことが減ってしまうのでしょうか? もし、減るとおもわれるなら・・・・なぜ?減るのでしょうか? 本当に笑えなくなっちゃうの?そんなものなのでしょうか? 笑うことができなくなるとは思いませんが、笑える機会がへっちゃうのは ちと、寂しいなぁ~と思います。改善策もしくは、対処法などおありでしたら お聞かせいただけると、とてもありがたいです。 笑っちゃうようなお話があればそれも一緒にきかせてもらいたいです。
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No.4の補足です: 「笑い」の出所は、仕事中ではありませんです。 でも、同じようなことなら仕事中でも、うっっと一瞬ツボを押されたかも知れません、むろん仕事中ならぐっと飲み込み胃の中で消化してしまいます。人生ヒキコモゴモ(?)です。 状況もわからないままで、降ってわいたようなエピソードに私の個人的な想像力が走っていって、余計おかしみがわいたのだと思います。 (でも仕事の中で生じた自分の私的な感情は、喜怒哀楽ともにそのまま 見るようにしています。人間ですものー。) 余計な話になってしまいました、littlekissさんのおっしゃる「若いものは~」の 決め付け、わたしも好きではありません。また、色々であっていい、という気持ちを自分も大事にしていきたいと思っています。それをさまざまな場面でどう発揮していくかは難しいことも多いですけれどね。 深い問いの投げかけ、いつも拝見してます。 時に深く、時に軽~く、自由泳法を見せてくださることを今後も期待してます★
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年令と笑いの関係を理解しやすくするために類型化して説明してきましたが、あなたのこだわりには先入観が見られます。したがって、類型化と例外の話へと発展しますので切りがありません。一種の文化比較の領域へ踏み込みそうです。A国民とB国民がお互いをどう見ているか調査し分析し比較することはできますのでC国民には大変参考になります。しかし、AB両国民が相手国民へ抱くイメージに変化が起こるわけではありません。よく異文化は比較するものではなく理解するものだといわれますね。異文化に出会うと、自分の文化と異なる点だけが目につき同じところは見逃されます。 類型化すれば、若者は笑いの種類と質を理解せずただ笑い(あざけり笑いも含む)、年配者は人生の経験から世の中には単純に笑えないことが多いことを知っています。しかし、これも世代差、個人差、地域差(文化の差)があり、あまり深追いするとだんだん分からなくなります。言葉を変えて説明すれば、外人から見た日本人は顔の表情が乏しく日本人から見た外人(類型化しすぎ)は時に大人気ない幼稚さを残した感情の表現をすると写ります。しかし、彼らから見たら能面の日本人でも、日本人間では表情豊かに笑い、怒り、泣いているわけです。あなたが自分の物差しで年配者を見る限り疑問は解けないでしょう。身近にいる大人と議論してみてはいかがですか。
補足
ただいまです!いま、帰宅したばかりです・…。 手のかかる私の質問におつきあいくださって感謝しております。 なかなか、質問者のこの私が納得できないことへいろんな面から 考えていただきありがとうございます。 甘えついでにもうすこし、いいですか? けしからんヤツだ!とは、どうぞお思いになられずにおつきあいいただければ ありがたく思う次第です。 >類型化すれば、若者は笑いの種類と質を理解せずただ笑い(あざけり笑いも含む)、年配者は人生の経験から世の中には単純に笑えないことが多いことを知っています。しかし、これも世代差、個人差、地域差(文化の差)があり、あまり深追いするとだんだん分からなくなります。 >あなたが自分の物差しで年配者を見る限り疑問は解けないでしょう。 なにか?ご気分を害させるようなことをお書きしましたでしょうか? もし、ご気分を害させたのでしたら…ごめんなさい。 ある方の書かれたものの抜粋になるのですが… >変化の少ない、安定した社会では、年老いている人の方が尊重されます。 根本的変化がありえない以上、蓄積した経験がいつまでも有効だからです。 現代の日本は、激しい近代の歴史の中でも、きわめて大きな変化に見舞われて います。かつて戦後日本の繁栄と安定を築いてきたさまざまなシステムが 、音を立てて崩れている。企業でも官公庁でも、あるいは教育機関でも 、これまでのやり方で経験を積んできた中高年の方たちが、茫然自失として 自信を喪失しています。そうした大人たちを尻目に若者たちは、新しい システムに適応していく自信をもっているように見える。こういう時勢において 、「若い」ということ自体がある種の価値に見えてしまうのは、仕方がない かもしれません。 >しかし、過度に若さを尊重し、年をとることを軽視する価値観は、生きていく ことをきわめて味気ないものにしてしまいます。若さを失うことが、 成熟の獲得でなく単なる衰退であるとしたら、生きていくことはなんと 空しいものでしょうか。私が危惧しているのは、このような味気なさが 、高年齢の方々だけでなく、まだ若い諸君にも蔓延しているかのように 見えることです。というより、若い諸君たちにおいて、もっとも顕著に 過度の若さと、それが失われたあとの諦念見られるように思われます。 ある方の書かれた文章の一部分です。これを載せたのは、ほぼ私が考えている 思いと同じだからです。 年配者と若者を別の人種とは思ってはおりません。 >あなたが自分の物差しで年配者を見る限り疑問は解けないでしょう。 喧嘩をうるわけではないので、そこのところお間違えのなきように… 上記のようにおっしゃられましたが、、、、、非常に興味深いです。 私の物差しをご存知なのでしょうか? できますれば、お教え願えませんでしょうか? 貴重なお時間を費やしていただきまことに申し訳なく思います。
若さ故は複雑な現象を一言で説明する便利な言葉ですが、それで納得できないとすれば面倒ですね。笑いはボディ・ランゲージのひとつとも言えるでしょう。人間は身振り、手振り、目の動きで相当複雑な感情を表現しています。あまり信用していない人の話を聞くときは、無意識のうちに相手の目を見ています。<目は口ほどに物を云い>。年老いた夫婦はあまり多くを語らなくてもコミュニケーションは十分取れています。ボディ・ランゲージのお陰です。 年相応の笑いがどんなものかここでは説明しきれきませんが、社交性の笑いが経験や言葉を補うボディー・ランゲージだとすれば、若い人ほど仲間との笑いが大切だということは理解できるでしょう。大人が大笑いや高笑いをすることそのものがおかしいのではなく、そういう笑いのニーズが少なくなると理解してはどうでしょう・・知識、知恵、肉体的優位性がある大人(年配者)には若い人ほど社交笑いは必用なくなります。だから本人から見れば別に寂しいことではありません。大人でもボスに対する追従笑いは見られますが、それを見た仲間はいやいや苦笑いをします。ボスに同調しないのは仲間はずれにされるリスクがあるからです。 笑いは人間だけのものと思われていましたが、学者はチンパンジーにも笑いがあることを認め、赤ちゃんから幼児、少年、青年期の観察を行い、人間とほぼ同じパターンを見出しています。動物園で是非観察してください。疑問が解けるかも知れません。 chu!に応えて少しバター臭いジョークをもうひとつ。 「女の子にジョークを云ったら何回笑うと思う?」 「3回! 聞いたときに一回、意味を説明してあげた時に一回、そしてジョークの意味が分かった時に一回」 (前の二回の笑いは社交性、最後が娯楽性の笑いでしょう)
補足
お手間取らしてごめんなさい。 なかなか思うように時間とれなくて・… 度々おつきあいいただきありがとうございます。 >大人が大笑いや高笑いをすることそのものがおかしいのではなく、 そういう笑いのニーズが少なくなると理解してはどうでしょう・・ ↑はい、このご説明で二-ズが少なくなる。は、理解できました。 『キャハッ!わかったぁ―☆ $(^-^)$V』 ここからもって、また、面倒なんです…もう少しお付き合い願えますか? なんでしょうね~?私の疑問がまだはれないのは・・・???? いえね、大人になると笑いを我慢してる節があるように思えるんですが… 素直じゃないっていうんでしょうか? ほんとうは、顔緩ませて笑っちゃうところを大人だってことでぐっと、堪えてる。 笑いたいときに笑えない・… 逆に、いつ笑うんだろうか~?もし、笑ったとしても心底から笑っているのか? なんて、疑問もっちゃうんですね。 コミニュケ-ションの手段としての笑いの部分とは、また別に年を重ねることで いろんな制約によって、笑いが笑いでなくなってしまっているのかなぁ~? となれば心底笑うことは、年を重ねるとやはりできにくくなるのかなぁ~?
経験的に年と共に笑いが少なくなるのは事実です。しかし、すべての笑いが平均して減るのではなく、年相応の笑いは残るので問題ないと考えています。年とともに減る笑いは、大笑い、バカ笑い、高笑い、じゃれ笑い、思い出し笑い、などです。 増えてくるのは、苦笑い、うす笑い、せせり笑い、あいそ笑いなどでしょう。 対人関係を気にしない娯楽性の笑いには大きな年令差はないと思います。(テレビを見て笑うなど) 人間の笑いは誕生と共に始まるといわれます。生後間もない赤ちゃんが笑う現象がそれです。やがてイナイイナイバーなどに反応するような意識した笑い、社交性の笑いへと進んで行くと思われます。この種の笑いが最高潮に達するのは思春期ではないでしょうか。昔から箸が転んでも笑う年頃といわれます。 りっぱな社会人や年功をつんだ老人が、思春期の若者と同じような笑いを維持することは出来ないし、その必要もないわけです。社交には笑い以外に様々な要素があり、年と共に学んで行くので対人関係の笑いは減っても問題ないのだと考えます。 あなたの名前に因んでジョークをひとつ: 「ねー、キスをしたのは本当に私が初めて?」 「本当だってば。どうして女の子は皆同じことを聞くのかなー」
補足
早々のお返事ありがとうございます~♪ 年相応の笑いなんかとっても興味深いです。もう少し、ここらあたりをきいてみたくおもいます。 年をとると大笑い、高笑い、じゃれ笑い、思い出し笑い、などが減るとすれば 若い頃は、なぜ?屈託なくできるのでしょうか?思春期ということもわかるのですが・…その原動のもとはなんなのでしょうか?(若さゆえという一言で片付けないでね)、、、、疑問のひとつが、年をとると大笑いしちゃおかしい、じゃれちゃおかしい、と、よく耳にします「大人」をなにかで型にはめてるんじゃないのかなぁ~って。大人ってなんなんでしょうか? 朝早くからおつきあいくださってありがとうございます。 お時間が許せば、また、いろいろお話、ご意見おきかせいただけるとうれしいです。 いまからでかけます、夜にまたここをのぞかしてもらいます。 出かける前にお返事書いたので、ほんとうはもっといっぱい聞きたいことあったんですが…また、お礼にかかせてもらいます。ありがとう~♪chu―☆
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お礼
kaleenさん、おつきあいいただきありがとうございます。 『人生ヒキコモゴモ(?)です。』 ↑なんかとってもホッ-とするフレ―ズいいですね。 『個の笑い』で、「?」と考え込んでいます。 年を重ねるごとに『笑いのツボ』が増える、その一方で・… 常識?のノウハウも比例するかのように培われる。 なんか笑う機会をたくさん感じ取れてもかたわらで制約がギュッギュッギュ-っと 絞込みかけてくるみたい。 笑うってことは、ある面リラックスできるじゃないですか、なんだかなぁ~ 逆にストレス感じちゃいそうですね。 『個の笑い』…明るく陽気に笑っている人を傍目から見ていると その人は、幸せなんだと思っちゃいそうですが内面までははかりしれませんね。 年配者から、若者を見た場合「バカ笑い」と若者の笑いを捉えてしまうのは ストレスがないor何も考えていないふうに見えてしまうからでしょうか? 『わしらは、常識?をしりすぎておるから笑いたくても笑えんのじゃわい』 『ホン、若い者はええのぉ-なにも考えずに笑えおって』 That…以下の省略のもとには、↑のような少しうらやんだ気持ちの裏返しが こめられているのでしょうか? 何かと何かを比較してそのものの価値をみいだそうとしているのでしょうか? 何かと何かを比較してもそのものの価値はみいだせるとはおもえません。 それよりも、個として笑うことを忘れないで笑いつづけられるようにしたいものです。 これ、全然関係ないんですがよければ覗いてみてください。 ↓ http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/index.html