思想訓練がてらメリットデメリット双方3つ出してみます。参考にしていただけると幸いです。
【メリット】
一つは情報の共有があると思います。ポケモンを一緒に遊べる友人たちと共有できる楽しさ、そしてその時代に乗った過去の共有も出来ますよね。同世代が持つ示準化石的な共有の楽しさは流行が過ぎ去ってからも財産だと思います。ポケモンのような大きなものだけでなく、小さな流行が共有出来ればより濃度をまして、ただそれだけなのに嬉しかったりしますよね。懐メロで時代を切り取るような哀愁や、一個人としての過去の記録にもなると思います。
流行に流される事は流行の内実を見る事です。そして一つ一つの流行はただ計画的に作られるものもありますが多くは自然発生的で、その意味で時代のニーズを切り取ったものですよね。時代の大きな縦の流れを、内側から当事者として体感できるのは一つのメリットだと思います。横の広がりも同様です。流行から見える消費者の潜在的なニーズが別ジャンルの成長を促す事もあります。LINEやツイッターという流行が、それを受け入れる世代の闇を可視化する事もできたり、新しいビジネスプランを生み出す事もできたり、また犯罪の温床になることもあります。縦に流れる時代の、広がり行く横の世界をリアルタイムに見るには流行に乗る事が一番簡単な事だと思います。
流行とは決して浅はかなものばかりではなく、例えば昨年だと『あまちゃん』や『半沢直樹』が流行しました。海女や銀行員と言った多くの人が関心を持たない事に対して、積極的にアプローチできると言うのはメリットだと思います。知らない事や見た事のないジャンルへのきっかけに流行を用いるのはよいのではないでしょうか。『あまちゃん』をみて水泳をはじめるでも、『半沢直樹』をみて読書週間が付くでも、それに対する教養が深まるでもメリットはあると思います。
【デメリット】
現在流行している芸能人を上げてみると有吉弘行がいますね。時折ドキリとする角度から物事を見たり、上手な切り替えし、上下関係に関わらず論破される事は殆どないですよね。例えば彼を絶対普遍のオピニオンリーダーに据えてしまっている方もいるでしょう。時代に流されるという事は時代の肯定、流行の肯定でもあって、それを反駁するのには大きなエネルギーが必要になってしまいます。一個人に対する過度な期待、一つの流行に対する過度な信頼は、そうでない他の多くから目を反らしてしまう危険性があるのではないでしょうか。反論する人がいたり、いちゃもんをつけたりされたとしても、Aと言う流行に対するカウンターアプローチになってしまい、多くは二元論的な思考の広がりの少ないものとなってしままうのではないでしょうか。
流行に乗ると言う事は乗らない人を知らず知らずに排除します。ポケモンの話をしたいのに何も知らない人が入ってきたら困りますよね。極論を言うと、携帯電話を持たない老人の前で孫がメールやラインをチェックしていたら、老人からすると愉快な感情は持たないですよね。大なり小なりそういった危険性はあると思います。同様に流行から外れている悔しさは、自分自身ではなく流行を追う他者に向けられてしまう危険性もあるでしょう。
流行に乗るか否か、と言う対立は妙な感じもします。『流行・時代』、の中にはポケモンも、遊戯王のカードゲームも、たまごっちも入りますが、一方で松本サリン事件も携帯電話そのものも、3.11も、3.11以降謎に取り上げられる福島のアーティスト達も、含みますよね。後半は違う、と言う人もいると思いますが、その境界線は自己判断で決められます。 流行が世間に受け入れられて常識になるまでの期間、『わが道を行く』と自称してしまった人間は流行を受け入れない覚悟を決めてしまっているので、流行の利便性や魅力の全てを否定的な頭で、なかなか手を出しづらい状況になってしまいます。それが後手後手に回ってしまいその不利益はあるでしょう。流行を追わないと決めてしまう事は、境界線を酷く小さな空間で閉じてしまうことで思考の幅も少なくなり、楽しみの幅も少なくなってしまうと思います。
【自分の道を行く良さ】
自分の確固たる価値観が出来ますよね。行き過ぎると頑固と呼ばれてしまいますが、流行に乗って半ば浮き足立っている人間をシラフで見る事も出来ますし、多くの事に冷静な判断能力、自分を信頼した判断基準が出来ると思います。
やりたい事が明確にあるのであれば流行を追っている必要もないと思います。会社の事業計画を考えているのにポケモンのブームに乗る必要はありませんよね。
価値基準が自分に置かれるので、本当に良いものの審美眼が養われると思います。
以上です。
お礼
ありがとうございます。