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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:哲学で人間や社会に貢献できるでしょうか?)

哲学で社会に貢献する方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 哲学は人間や社会にどのような貢献ができるのか考えます。
  • 大学での哲学の勉強ができなくても、自分で考え抜くことで結論を導き出すことができます。
  • 哲学は現代社会においても重要な役割を果たしていると考えられます。しかし、情報量の増加や武力の依存など、課題も存在します。在来の哲学も含めて、哲学が果たす役割やできることを考える必要があります。

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  • Nakay702
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回答No.6

このご質問を、とても頼もしく思います! >僕は現代社会で哲学が果たす役割は大きいと見ているのですが 皆さんはどう思われますか? >情報量ばかり多くて それを使う方針がない すぐ武力に頼ってしまう。 >マザーテレサやガンジーのような人物もいないような気がします >在来の哲学も含めて哲学の果たす役割は何でしょう?何が出来るでしょうか? ⇒以下、「哲学とは」・「人間の未来は」・「なぜ哲学か」などの観点からお答えいたします。(長文です。) A.哲学とは  哲学(philosophy)の語源は「知を愛する」ことで、科学のそれは「区分して、分析的・実証的に研究する」こと、と言われています。  哲学は、ヨーロッパ中世のスコラ学のころは神学の侍女」と言われました。それが、近世に入ると、徐々に神学から独立していって、存在論や認識論など人間の心や精神、当為の問題などを探求するようになりました。それと同時に、学問の総元締めたる神学の後身として、「総合学的な性格」を帯びていきました。  一方、科学は、近代初期のデカルトやガリレイに代表されるルネサンス期に花開き、いわゆる「百貨全書派」によって大いに進展しました。また、語源の示すように、「分科の学」としてそのころから急速に「専門化」への拍車がかかって、多大な文明的恩恵をもたらしましたが、他方では、特に現代に至って核兵器や各種の公害など、負の要素をも生んでしまいました。  質問のご懸念は至極ごもっともだと思います。現代哲学には分化した諸科学を束ねて未来への指針を与える機能や使命があるはずだと考えますが、残念ながらそれは果たされていませんね。また、地球の全生命の生殺与奪の能力を持ってしまった現代科学は、「科学哲学」の視点が必要だと思いますが、そういうことは意に介さず暴走している観がなきにしも非ずですね。 B.人間の未来は  だいぶ以前ですが、ある新聞に「人間は99.7%の確率で自滅する」とありました。 進化は生命体の常ですが、それが頭脳に集中すると「自殺」の能力を持つに至る。そうすると、つまり、「中途半端に頭がよくなる」と、破壊する能力が創造の能力を上回って、364/365の割合(=99.7%)の割合で自殺・自滅する、というのです。  数値の信憑性は定かではありませんが、その内容、言わんとすることは、「さもありなん」ですね。つまり人間は、ほとんど「自殺に近い形で滅亡する」可能性が高いということであり、それも「中途半端に頭がよくなった」ことが原因である、ということでしょう。 とはいえ、一縷の望みはあります。「自滅の確率が100%ではない」ということです。我々は、残る0.3%にこそ頭を使うべきだと思います。そのために、みんなでこういう問題を考えるべきだと思います。(その意味で、このご質問に感謝します。)  これまで我々人間は、知識を増やすことに汲々として、肝心な「智恵」を育むことに意を用いない傾向があったと思います。アインシュタインは言ったそうです。「無限なものに2つある。宇宙の広がりと人類の愚かさだが、前者については確信がない」、と。これすなわち、「人類の愚かさについては確信がある」ということではないでしょうか。こういう愚かさや「自滅への道」から逃れようと願うならば、こういう問題を真剣に考え、真摯に哲学し、「本当の智恵・英知」を求めることにこそ腐心すべきではないでしょうか。 C.なぜ哲学か  2つの観点からまとめます。「個人」と「人間・人類」との観点です。 (1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。すでに見たように、哲学とは、文字通りには、「愛知」を表わす語です。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。  では、それは何のためか、あるいは、何の効用があるか。一言で言えば、「生きるための英知を獲得すること」でしょうか。ヨーロッパの図書館などには Discendo liberior. と書いてありました。「学ぶことによってより自由に」といったような意味らしいです。つまり、学ばない状態では、人は多かれ少なかれ無知蒙昧・迷信・妄念・偏見…などにとらわれているが、「学ぶことによって、その桎梏を解き、自由になれる」ということなのだと思います。「哲学は、我々を迷信や妄念から解放してくれる」のです。 (2)かつて哲学は諸学問を1つに束ねて統合し、これに指針を与えるという役を果たしていました。そして、それは今日でも変わらないはずです。すなわち、現代の哲学は、極度に細分化し専門化した諸科学を統合し、これに指針を与える機能を持つ、少なくともその使命がある、と言えるでしょう。この高度に文明化した現代にあっては、とりわけ尖端技術など「地球生命を左右するような科学を束ねて、今後に向けての当為を示す」という重大な使命を哲学は負っている、とそう思います。環境汚染の解決や異民族間の争いの収束を模索するとき、人間にとっての「本当の幸福」を考えるとき、そして、人類の未来を思うとき、哲学は最も重要で、最も頼りになる(べき)学問なのだ、と言い得るのではないでしょうか。  ついでながら、一般論的に科学と哲学の違い・特徴を対比的に示すとすれば、次のようになると思います。(配列順はアトランダムです) 科学:文明、実験、証明、自然学、分析、専門化、応用、利便の追及… 哲学:文化、思索、推論、人間学、総合、統合化、指針、当為の探求…  このように、哲学は「人間学」として学問を「統合」し、人類の「当為を探求」して、これに「指針」を与える機能と使命を負っている、と言えるでしょう。このことから私は、お尋ねの核心に対して、「哲学は人間や社会に貢献できる、いや、できるはずである」、とお答えする次第です。  以上、ご回答まで。

yuniko99
質問者

お礼

実に分かり易く親切な説明ですねえ 如何せん私は病状から長文が苦手で、読むのが遅れましたが すみません なるほど確かにそうだ と言うのが感想です どうも大変ありがとうございます☆

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その他の回答 (16)

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.7

マザーテレサやガンジーは非常に武力的な人ですよ。 彼らが目に見える武力を使わなかったのは自分の目的を果たすためには彼らの置かれた状況において武力以上に有効な方法が他に合ったからというだけにすぎません。 伊達に海千山千の各国の首脳や金持ちと戦っていません。もし彼らを暴力を否定した聖人と思っているのなら夢を見すぎです。 現代において哲学が直接的に実利を出せることとすれば恐らくは思想、すなわちより優れた(あるいはより現状に適した)社会システムや人生設計方針等を社会や人々に提示することかと思います。 現代日本には明治時代やそれ以前に制定されておよそ現代には不適としか思えない法律や慣習も残っていますし、そういったところを単なる法律家という枠を超えてどう改善するかの答えを提示するとか、悪質な新興宗教への対策を対犯罪というレベルを超えて提示してみせるとか、あるいは科学研究のあり方だとか、システム面の大きな枠での改善だとか、そういった方向性かなと思います。 まあ現実的な話、それをやろうと思ったらどれだけ優れた思想の持ち主でも社会への大きな影響力が無ければ無理ですが。

yuniko99
質問者

お礼

現代日本における哲学思想を活かす方向性は成る程ですが 大きな影響力はないですねえ とほほ 出る幕はなさそうです どうもありがとうございます。

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回答No.5

>哲学で人間や社会に貢献できるでしょうか? 哲学ってのは、コンピューターのCPUのような位置づけで考えるべきです。 つまりCPUだけがこの世に存在していても人間や社会に貢献することはできません。 CPUにデータや電源を供給し、また処理結果をもって、外界へデータ連携する各種の装置が正しく動作して初めて、MRIで体内の状況を映し出すこともできれば、ジェット旅客機の計器飛行や無人航法も実現できるし、原子力発電所の地震P派対応非常停止システムも実現できます。 >在来の哲学も含めて哲学の果たす役割は何でしょう? 社会の部品です。 >何が出来るでしょうか? 社会の部品としての役割ができるでしょう。

yuniko99
質問者

お礼

成る程 そのまんまですねえ よくわかりました どうもありがとうございます。

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  • 0fool0
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回答No.4

政治に宗教を持ち込んでは駄目です。 理想や思想、精神性は政治に非常に大切ですが、政治の本質は生存権の重なり部分での、権利の取り合いです。 地球の環境によって、其の年のパイ(予算やら収入やら)の大きさは変化します。 そうすればそのパイの大きさによっては陰惨な結果を呼ぶ事も避け得ません。 災害から人間を守るのは「科学」であって「哲学」は良くて慰めにしかなりません。 餓えに必要な物は充足です。 理想郷を作る事を哲学だと考えるのは間違いです。 始めの一歩から躓いています。 哲学とは「理解」です。 現状をただ嘆くのは、宗教家の仕事です。 それと貴方はこの世の不幸を哲学でどうにか出来ると考えていますが、現実と乖離してしまっていれば、活用出来ません。 現実を変えたければ、実学を修めるのが先です。 哲学と二つとも修めてみれば良いではないですか。

yuniko99
質問者

お礼

私も年ですから 生涯学習の範囲になるかもしれませんが 哲学は倫理を生みます 倫理は世論を変えます 世論で選挙が変わり 政治も変わると思います。 問題はそれに実際に有効な哲学はどれかという事です 科学をどう活かすかも倫理の下で決まってくると思います どうもありがとうございます。

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回答No.3

 こんにちは。  哲学のしごとは 世界認識とその認識内容の実践方式を示すことです。  世界観として初めから全体をあつかうこともあれば たとえば人間という主題を決めて その存在あるいは人生について問い求めることもあります。  あるいは さらには社会が主題となります。  むろん 触れておられるように国家論であるとか 戦争論をふくむ国際関係論があれば エネルギーや環境問題等々 等々の具体的な政策にかかわる問い求めもあります。  何が言いたいかと言えば ひとつには  ★ 現代社会で哲学が果たす役割は大きいと見ている  ☆ といったことをいちいち言わなくても すでに個々の主題を決めて その成果を出すようにすすめていくことが 肝心ではないかということです。  ★ 存在性思想  ☆ は すでに以前ちらっと見ましたが 存在論であるのかなと思いつつも その方向性などがまだ読み取れませんでした。  ただ 読んでくれというのではなく これこれの主題ないし問題について 具体的にこう考えるのだがどうか? というかたちでおしすすめて行かれるとよいのではないでしょうか?    いま実際にわたしがここで扱っているのは 《孤独》論です。  その問い求めをとおしてみなさんが 少しでも生きやすくなるような方向をみづからが見出して行かれるなら 哲学のつとめにかなっていると思います。  具体的な議論を問うていかれればよいのではないでしょうか。

yuniko99
質問者

お礼

孤独論ですか 僕も孤独ですねえ。17年間一人暮らしです 孤独な人も多いでしょうねえ。 僕の考えを具体的に「こう考える こう在ると良い」と書いていくといいですね 成る程ガッテンです。宣伝はいけないので、それにかからないようにしたいとおもます ご助言どうもありがとうございます。

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回答No.2

人間の意識は、肉体に付属した感覚器官に依存して 発生する以上、放っておくと(あるいは低認識だと) 自己チューになる。 認識を深めたからといって、必ずしも「人間や社会に 貢献」できるとは限らないが、少なくとも低認識では 貢献できない。 環境を深く知るとは、そこに社会生命として拡張した 自己の生命性を自覚化し、自律的に社会行動をとる (助け合いとしての社会)事でもある。 それは、自己チューなまま(お金や出世といった“馬車 馬の目の前のニンジン”により)他律的に社会行動を とらせる=お金をもらうためにイヤイヤ働くより、質の 高い労働を可能にする。 そして何より、生きる目的は社会貢献自体ではなく、 人生を通算した充足量の最大化であり、社会生命的 自覚により社会貢献は二次的に導かれるものだ。 そこにおいて、お金などのアメや法規などのムチに よる他律的な生の“苦痛から逃げる事による結果的な 生存(辛うじて±0)”に比べて、自己存在の本質に根 差した深い認識に基づく自律的な生=生きる事自体に よる充足の方が、「果たす役割」は圧倒的に大きい。 哲学が実学より重要でないとお考えの御父上は、 社会によって他律的に生かされ、たとえば「出世する 事が偉い」「お金をたくさん持つ事が幸せ」と考える、 素朴唯物論な方だったのでしょう。

yuniko99
質問者

お礼

仰る通りだと思います。 先生の文章は読むので精一杯で 結局哲学はどんな役割を持つのだろうと 記憶に残らないのです 環境を深く知ればいいのですね  >自己存在の本質に根差した深い認識に基づく自律的な生=生きる事自体による充足の方が、「果たす役割」は圧倒的に大きい。 と言う事でしょうか 成る程どうもありがとうございます。

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noname#202067
noname#202067
回答No.1

>情報量ばかり多くて それを使う方針がない すぐ武力に頼ってしまう。 これを、 「知識ばかり多くて、それを使う方針がない、すぐに短絡的な結論に走ってしまう」と言い換えると、 まさに質問者さんが絡め捕られている現在の状況のような気がします。 哲学を学ぶために哲学を学ぶのか、哲学を生かして社会で生きるのか。 難しいですけれどもね。 現代社会で哲学の果たす役割は大きいですよ。 ただし、己の学んだ哲学をうまく伝え、上手く使いこなさなければ、机上の空論で終わってしまうでしょう。 哲学は哲学だけで存在するには時に無意味ですが、バックボーンとしての哲学は非常に重要ですよ。 うまく組み合わせればものすごく広がる余地はあります。 しかし、理学は哲学と最高に相性がいいと思うのですが。 理学を学びながら哲学を勉強するという選択肢も大いにあったのに。 海外での「博士」の称号が「ph.D(「Doctor of Philosophy」であるのも、科学が哲学の領域であるからでしょう。 理論物理学なんかはもう完全に哲学ですよ。 いずれにしても、哲学を学んで得た「問いを発する方法」は他のあらゆる分野で役立ちますから、 上手く使える方針を探し、巡り合えると良いですね。

yuniko99
質問者

お礼

大学は中退したので 理学が哲学に密接してるとは思わなかったのですが 自分で考える上で エネルギーとかエントロピーとか生物学とかが役に立ちました 本当にもっと勉強しておけばよかったです。 机上の空論に終わるか 何かの役に立つか自信はないです。 どうも大変ありがとうございます。

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