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Ludwig Wittegenstein の解釈

本人サイド/ 1/哲学教授という仕事に終始、消極的だった 2/ロシアに単純労働者で生きる道を模索した 3/多額の遺産財産の放棄 4/神には救済を求めた(戦場体験) 社会/ 哲学教授の道で、終生彼を受容した 私の解釈/ 食い潰せないだけの遺産があったのだから、この人物が実在なら 本人サイド3/ で寿命まで生きたと結論します。癌で死んだと歴史されてます。 人類を牛耳る社会の手で創作された神話を付託された操り人形に過ぎないと。 違いますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • miko-desi
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回答No.2

内的価値は量的なものより質にしかないっ。 洗練された行為や知識であっても 当然ってほどになると胸のワクワクがなくなってしまう。 更に哲学者として新たな場を持つことに成功してますよね。 哲学は生活や誰にも親しみやすくてこそ!必要があるのです。

fujisaway65
質問者

お礼

雀千羽 と 人千頭 確かに。

その他の回答 (1)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

fuzisaway65様、こんばんは。 「戦場で、神に救済を求めた」 それはそれは。 >「人類を牛耳る社会の手で創作された神話を付託された操り人形に過ぎないと。 違いますか?」 ? それが、アナタの解釈、なんですね。 全然よく判りませんけど、 「神話を付託された操り人形」が、どうしたんですかね。