江戸時代には栄養などという発想はありませんでした。
漢方医が滋養のあるもの精がつくものなどと病人の療法に使っていた考え方があっただけです。
脚気ですら原因が分かりませんでした。
当時のヨーロッパの外航船も壊血病に悩まされました。
レモンやリンゴを齧っているとなり難い、ぐらいの知識しかありませんでした。
現代ふうに言えば、栄養を取るというよりもカロリーを取るという考えが主体です。
結果として炭水化物すなわち穀類が主体となります。
電車で通勤して座って仕事をしている時代ではありません。
移動はすべてテクテク歩きです。
カロリー不足ではすぐにへたばって到底勤まりません。
そもそもカロリーメイトなる代物も高度成長期の頂点の頃(1983年)に若手サラリーマン向けに某食品会社が売り出したものです。
一種のアイディア商品でした。
中高年のサラリーマンには見向きもされませんでした。
のんびりした江戸時代には、こんなものは必要がありませんでした。
寝ぼけ眼で慌てて飯も食わずに出かけていくなどということはありませんでした。
江戸の街では、風呂も朝風呂が常識で普通の習慣でした。
風呂へ入って飯を食って仕事へ出掛けるのがまっとうな町人の習慣でした
朝飯を食わないというのは、怠け者の代名詞でした。
せいぜい吉原の花魁がやることでした。
携行食というのであれば、ふるくからおにぎりがありました。
更には、保存を兼ねた餅がありました。
戦場などで用いられた糒(ほしいい)という炊いた米を乾燥させたものがありました。
生米は腹をこわします。
煎り豆もありました。
江戸や大坂などの都市には屋台が発達していました。
天麩羅や寿司などは屋台の食べ物でした。
仕事の合間に軽く何度も食べました。
現在の駅ソバやファーストフードの感覚です。
江戸っ子は「小屋ぁ軽くしておけ!」という言い方をします。
腹いっぱい食べるのは怠け者がやることでした。
ソバが好まれたの手軽だったためです。
このために、屋台のソバ屋はいくらでもいました。
ソバは食うとは言いませんでした。たぐると言いました。
旅人も茶店や旅籠が道中にいくらでもありました。
団子はどこででも売られていました。
旅人は飯を食ってから夜明け前に出発するのが常識の時代です。
全行程歩きです。朝飯抜きではどうにもなりません。
江戸時代には冷蔵庫というものがありませんから、干物にするか塩漬けにしました。
干したものは柿であれ栗であれ魚であれ、いざとなれば簡単に携行できます。
味噌も保存がきく食品でした。
名古屋の八丁味噌は、もともとは戦場に携行するために干した味噌を帯に巻き付けたのが始まりです。
戦のない江戸時代には、独特の味噌としてむしろ味が追及されるようになりました。
要は生活習慣がまったく違う時代だということです。
現代の生活習慣や価値観の延長線上で考えると的外れになります。
江戸時代に携帯電話に相当するもがあったのかな~と考えるのと同じことになってしまいます。