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宅間守も いざ執行の時には足がガクガク震えていた
宅間も いざ執行の時には足がガクガク震えていたという刑務官の証言も有るそうです。 でも、私には 宅間が最後に自分の悪事を反省し命が惜しくなったとは 思えません。 私たちの普通の生活でも、面接やオーディションで緊張状態になると 往々にして似たようなことが起きますから。 私は 宅間のような異常人格者でも 土壇場では 私たちと同じような価値観を持つとは到底思えないんですが、みなさんは どう思いますか?
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- eroero4649
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彼の半生を描いたルポタージュを読んだことがあるのですが、彼の父親もエキセントリックなキャラクターで有名でした。ルポは彼の父親を通じて彼の人生を辿っていったので、そこに描かれている父親もいわゆる「ご近所にいてほしくないタイプのオヤジ」でしたね。そして、その父親によると彼の母親(つまり父親の妻)もエキセントリックなキャラクターだったようです。 だから、彼は先天的にそういう気質を持っていたのではないかと思います。人間の才能というのは、半分は本人の努力なんだそうですよ。半分は努力ってことは、あとの半分は持って生まれた部分だってことです。 確か彼には兄弟がいたと思いました。でもその人はまともな人だそうです。同じ環境で育って片や凶悪犯、こなた普通の人ですからね。彼自身も小中学生レベルからトラブルメーカーだったそうですから、生まれつきって部分があったんだろうなあって思います。 そして刑執行のときの様子ですが、私はその話は知らないのですが、彼が社会不適合者としていよいよ行き場がなくなったとき、もしその憎悪のエネルギーが自分の内面に向かったならば自殺したと思うのです。だけど、彼はそのエネルギーを思いっきり外部に放出したわけですよね。ということは、彼は口先では死刑は怖くないとか強がっていましたが、自分が死ぬのは毛頭嫌だと思っているタイプなんじゃないかと思います。 我思うゆえに我ありという言葉がありますが、彼に関しては「我怒る。ゆえに我あり」というものでなかったかなと思います。 たぶん彼は最後の最後まで「俺がこうなってしまったのも、あいつのせいだ。こいつのせいだ。社会のせいだ」と思ってたんじゃないかなって気がします。
- hekiyu
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”宅間が最後に自分の悪事を反省し命が惜しくなったとは ” ↑ 反省はしていないでしょう。 又、命が惜しくなった、というのは少し違うと 思います。 死への本能的な恐怖だと思います。 人間の脳は、本能などを司る大脳旧皮質という部分と、 理性などを司る大脳新皮質という部分から構成されて います。 殺したい、という本能を、そんなことをしてはいけない という理性で抑えるのです。 理性で死んでも構わない、と覚悟しても 本能は別だ、ということです。 もっとも、子供の頃から理性で本能を押さえ込む訓練を していれば、それが本能にも影響を与え、本能そのものを 抑制できるようになるのかもしれません。 武士のようにです。
お礼
回答ありがとうございます。 >反省はしていないでしょう。 私もそう思います。宅間とは正反対に 小林薫は反省していたようですが。しかし、宅間守と小林薫、どちらが模範的な死刑囚ですかね。 >殺したい、という本能を、そんなことをしてはいけない という理性で抑えるのです。 hekiyuさんは 厳罰主義と死刑が大好きなようですが、この「理性」というのは 厳罰で養われるものではないと思います。結局、悪人の悪事にブレーキをかけているのは 理性ではなく、警察に捕まりたくないという気持ちでしょう。極端な話ですが、南海トラフ大地震で とある男が少女と二人きりになり、建物に中に閉じ込められたとします。真っ当な人なら 少女と脱出しようとします。でも、理性のない人なら 少女を手籠にして殺めてから自分だけ逃げるでしょう。 >理性で死んでも構わない、と覚悟しても 本能は別だ、ということです。 宅間の場合は 理性が上回ったんだろうね。
- moritaroh
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個人的な考えです。 違う考えの方もいると思いますので、そうした方は不快に思うかもしれません。先にお詫びしておきます。 宅間が異常人格者だと、私は思えません。 宅間のことを擁護する気はありませんが、異常、というには少し違うような気がします。 異常を考える上では、対になる正常を考えなければならず、その正常が、意外と脆い、倫理観や道徳心からできあがっているのですから。 宅間は、不遇で愛されず、そして、ろくに努力もせず、身勝手な理由で人を殺した凶悪な犯罪者だと思います。 しかし、当たり前の倫理観や道徳観が、世間一般の人と違ったことが原因であり、宅間にしてみれば、宅間の倫理観や道徳観からは、あの凶行はごく自然な選択だったのだと思います。 世間一般の人と違うことは「異常」である、と思えるかもしれませんが、育った環境が世間一般の人と少し違えば「正常・当たり前」と思う倫理観や道徳心も変わってくるでしょう。 で、犯罪者か否かを決めるのは、倫理観や道徳心ではなく、最終的には、法律です。 倫理や道徳は立場が変われば違ってしまうし、法も100%、それすべてが「正しい」とは言い切れない。 少なくとも今の社会では、世間一般の価値観や法が、限りなく「正しい」に近いが、社会が変わってしまえば、そうではなくなる可能性がある。 宅間は、他者の死に対しての道徳観や倫理観が、世間の「当たり前」と違っていたが、自分の死に対しては「私たちと同じような価値観」だったのでしょう。つまり、命が惜しくなった。死にたくなかった。だから死に接近することで緊張ゆえに足が震えた。 他人の死を何とも思わないが、自分は死にたくない。 身勝手な理由で凶悪な事件を引き起こした宅間という人物像を考えると、ある意味で最後まで一貫していますね。 もちろん、この視点から考えれば、世間一般の倫理・道徳と違って法を犯したこと(自分の死の原因)に、反省などしていないのでしょうが。 ただ、宅間の死は、被害者遺族ではない私たちの多くにとって、どうでもいい他人、それも犯罪者の死です。 ですから、少なくとも、私は、犯罪者・宅間の死を、犯罪者ではない自分の死と同じレベルでは考えられない。 「(宅間が)私たちと同じような価値観を持つとは到底思えない」ことは、裏を返せば、私たちの中にも「私たちの価値観」という身勝手なもので物事を計ってしまう、宅間と同じような人格が潜んでいるんじゃないでしょうか。 「私たちの価値観」は、本当に、他人にとっても同じように「当たり前」の価値観なのか…。 …とは言え、「どう思いますか?」と質問をされている Erdbeerkegelsさんは、私たちと宅間との価値観に疑問符をつけておられるのですから、大丈夫ですよ。 宅間は、他者との価値観の違いに対して、疑問符がなかった。たったそれだけのことが、あの凶悪事件につながる。 価値観の違いに気づけない、「当たり前」を妄信してしまうというのは、非常に恐ろしいことですね。
お礼
回答ありがとうございます。 >他人の死を何とも思わないが、自分は死にたくない。 いや、少なくとも宅間は後悔はしてなかったと思います。それに、娑婆にいて死にたい人間が拘置所で命が惜しくなるとは思えないんですがね。もし、惜しいと感じたのなら控訴するはずです。 私は死にたいけど死ぬ度胸がなくて、背中を押してもらいたかったんではないかと思います。私は 歯医者の苦手な人が 自分の番が来て震えるのに似ているような気がします。 ついでに言えば、私は死刑執行人の証言さえ全面的には信用できません。なんとか「宅間だった土壇場で命が惜しくなったのか、ざまあみろ。」と世間に言わせる為の都市伝説でないかとさえ疑っています。
- gouzig
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おっしゃる通りでしょうね。 宅間守は異常人格者でしょうが精神異常者ではありませんからね。 社会への不満が自分でよく分かっているから攻撃したのですから。 ですから、多分執行時は大変だったでしょう。 死刑執行は直前まで本人には伝えませんね。前日の夕食が少し豪華なので気がつく死刑囚もいるらしいですが。ほとんどは直前まで知らせません。 直前に刑務官から執行を告げられると立ち上がれない死刑囚が多いらしいです。 時には暴れる死刑囚もいて、数人で抱きかかえて刑場に連れて行きます。 宅間守も静かだったとは思えませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 >直前に刑務官から執行を告げられると立ち上がれない死刑囚が多いらしいです。 宅間の場合は 他の死刑囚とは違うような気がします。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1175/3512)
命を奪われることがわかったらどんな動物でも恐怖で震えます。むしろ、そこに「反省」などという高等な思考が働く余地はないのではないでしょうか。「反省」があればむしろ死への恐怖は和らぐように思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >命を奪われることがわかったらどんな動物でも恐怖で震えます。 どんな動物にも生存本能がありますが、これよりも強い要因があると 人は自ら死ぬんではないでしょうか? 一つは 自分を楯にしてでも自分の子供を守る場合、もう一つは 生きているのが苦痛になり、 生からの逃避願望が生存本能を上回った場合。一番分かりやすいのは 病気で苦しんだ場合など。 まあ、宅間も心の病気だったでしょうからね。
お礼
回答ありがとうございます。 >ということは、彼は口先では死刑は怖くないとか強がっていましたが、自分が死ぬのは毛頭嫌だと思っているタイプなんじゃないかと思います。 これは一部頷けます。殆どの人は 憎悪のエネルギーが自分の内面に向かいますが、私は紙一重なんじゃないかと思います。私は 自分が死ぬのが毛頭嫌というより、自爆テロにずっと近いと思います。