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宅間守や加藤智大について
死んでもいいなら、犯行後に自殺すればいい。 死んだ者を罰する事はできない。 それを、犯行後ものうのうと生きながらえて 裁判を受けようとするあたりに、じつは口ほど には覚悟のできていない腹が見透かせる。 要するに「死んでもいい」のではなく、目先の 一時の感情が遠くの恐怖を見えなくさせただけ。 つまり、死刑が好きな訳じゃないので、彼にも 死刑は有効だ。 (興奮すると先が見えなくなるバカなだけで) そこで質問ですが、分析が甘いでしょうか?
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お礼
再度ありがとうございます。 >質問がすり替わっています。死刑によって再発防止できるとは思っていませんし、そのような書き方をしていません。 でも、原因を追究しなければ、また同じような事件が再発するでそう。これから、宅間や加藤のような人間は増えると思いますよ。 >繰り返しますが、この意見に異論はありません。…これが質問の趣旨ですね? 趣旨というか、・・・ princelilacさんは英語が得意でしたよね。 英語で言う suppositionですね。 >ある程度の抑止と、被害者感情を晴らすために死刑制度が必要であると思うだけです。 宅間守は死刑制度を愚弄して実にふざけた奴でしたね。 宅間守は 法廷で遺族に向かって “おい、くそガキの親! おまえらのガキの8人分の命は ワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ! エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや! ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや! せいぜい一生反省せいよ! あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな! あははははは!あははは!こらおもろい!” と言ったそうです。普通は 殺人事件が起きると 被害者遺族としては「加害者の思い通りにさせないぞ。」という気持ちと「加害者には死んでほしい。」という二つの気持ちが起こります。そして、普通は ベクトル的には同じ方向を向きます。ところが、宅間の事件では ベクトルが正反対になってしまいました。でも、そういう場合でも後者の方が強いというのが はっきりしました。ただ、遺族の中には 宅間から反省の言葉を聞きたいという人もいたようです。 それにしても、こういうのは 宅間と遺族の思惑が一致して めだたしなのか。そうだとすれば、非常に癪な話だし、亡くなった児童たちを貶めるようだし、宅間がある意味 痛快にさえ見え、遺族感情の惨めさを浮き立たせた ショッキングな事件でした。