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宅間守や加藤智大について
死んでもいいなら、犯行後に自殺すればいい。 死んだ者を罰する事はできない。 それを、犯行後ものうのうと生きながらえて 裁判を受けようとするあたりに、じつは口ほど には覚悟のできていない腹が見透かせる。 要するに「死んでもいい」のではなく、目先の 一時の感情が遠くの恐怖を見えなくさせただけ。 つまり、死刑が好きな訳じゃないので、彼にも 死刑は有効だ。 (興奮すると先が見えなくなるバカなだけで) そこで質問ですが、分析が甘いでしょうか?
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- princelilac
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>でも、それでは再発防止にはならないのでは? 質問がすり替わっています。死刑によって再発防止できるとは思っていませんし、そのような書き方をしていません。 >死刑が好きな訳じゃないので、彼にも死刑は有効だ 繰り返しますが、この意見に異論はありません。…これが質問の趣旨ですね? 犯罪の防止は不可能だと思っています。 死刑には凶悪犯罪をある程度は抑止する力があると思います。しかし、質問文にあるようなケダモノには無力です。ある程度の抑止と、被害者感情を晴らすために死刑制度が必要であると思うだけです。
- hikokurow
- ベストアンサー率21% (75/341)
現行法では、死刑が確定しても、その執行は絞首刑で、即死です。 つまり、全く苦痛なく死ねてしまいます。 もし、死刑執行方法が、行った犯罪の度合によって、例えば、斬首・火炙り・釜湯で・蒸焼き・股裂き・足切り・腕落し、目潰し…等々、苦痛に苛まれて、踠き苦しみ抜いて、死に至るという死刑執行方法であったとしたら…、また加えて、この執行が公開処刑であったとすれば…。 宅間守も加藤智大も、実行を思い止まり、人を殺さずに済み、犯罪者になることなく、鬱屈した精神を抱えながらも、どこかで普通っぽく、今も生きて、生活しているんだろう、と想像されますし、多分そうなんだろう、と思います。 そして、結果的に、コイツらに命を絶たれた被害者達も、今も元気に、普通に生活を営んでいる、ことでしょう、こんなこと容易に想像できますでしょう、と確信する次第です。
お礼
回答ありがとうございます。 >宅間守も加藤智大も、実行を思い止まり、人を殺さずに済み、犯罪者になることなく、鬱屈した精神を抱えながらも、どこかで普通っぽく、今も生きて、生活しているんだろう、と想像されますし、多分そうなんだろう、と思います。 さあ、どうでしょうか? 捕まる前に自害していたかもしれませんね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”死んでもいいなら、犯行後に自殺すればいい。” ↑ 自殺できないから、て理由じゃなかった? ”犯行後ものうのうと生きながらえて 裁判を受けようとするあたりに、じつは口ほど には覚悟のできていない腹が見透かせる。” ↑ 自殺した人だって、実は生きたかったんですよね。 ”「死んでもいい」のではなく、目先の 一時の感情が遠くの恐怖を見えなくさせただけ。” ↑ これはその通りだと思います。 ”死刑が好きな訳じゃないので、彼にも 死刑は有効だ。 (興奮すると先が見えなくなるバカなだけで)” ↑ なるほど。一理ありますね。 ”分析が甘いでしょうか? ” ↑ 良いんじゃないですか。 今までで最も説得力があると思います。 特にこの部分、気に入りました。 ↓ 『要するに「死んでもいい」のではなく、目先の 一時の感情が遠くの恐怖を見えなくさせただけ』
お礼
回答ありがとうございます。 >自殺した人だって、実は生きたかったんですよね。 自殺する人の多くはこの世に無念と未練と悔いを残して あの世に行きますが、宅間や加藤の場合は それらを残さずあの世に行っただろうね。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
殺人も怨恨や強盗であれば、供述を理解する(「許す」というのではなく、「意味が通じる」という意味です)ことができます。しかし通り魔による無差別殺人犯人の言い分に、まともに受け答えすることは不可能です。そのような犯人は「死刑になりたくて…」という自分の言葉をカッコいいと思っている節があります。自分の言葉に陶酔しているのではないでしょうか? 裁判の過程では専門家による分析は不可欠ですが、一般人からの目では、分析不要で、即刻死刑判決を下すべきだと思います。現行犯で冤罪の可能性がないので、躊躇することはありません。 ※質問者さんの分析に対して、意見を言えるほどのまとまった考えはありません。
お礼
回答ありがとうございます。 >裁判の過程では専門家による分析は不可欠ですが、一般人からの目では、分析不要で、即刻死刑判決を下すべきだと思います。 でも、それでは再発防止にはならないのでは?
- poyo3
- ベストアンサー率30% (260/857)
死んでもいいとは思っていても死にたいわけではない。 なので犯行後も自殺などするわけがない。 彼らにとっては死ぬことも生きることもともに現実感のない世界ではないでしょうか。 腹の底にあるのは自分を認めない、優遇しない社会への復讐と同時に愛情飢餓感ではないかと思いますが。 極端に言えば子供が駄々をこねて癇癪を起すのと同じでしょう。子供ならたたいたりおもちゃを投げつけたりで済みますが、なまじ体力と多少の知恵が働くのでこのような結果になるのでは。 なので実際のところは死ぬとかなんか考えてもいないのではないかと思いますけど。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
再度ありがとうございます。 >質問がすり替わっています。死刑によって再発防止できるとは思っていませんし、そのような書き方をしていません。 でも、原因を追究しなければ、また同じような事件が再発するでそう。これから、宅間や加藤のような人間は増えると思いますよ。 >繰り返しますが、この意見に異論はありません。…これが質問の趣旨ですね? 趣旨というか、・・・ princelilacさんは英語が得意でしたよね。 英語で言う suppositionですね。 >ある程度の抑止と、被害者感情を晴らすために死刑制度が必要であると思うだけです。 宅間守は死刑制度を愚弄して実にふざけた奴でしたね。 宅間守は 法廷で遺族に向かって “おい、くそガキの親! おまえらのガキの8人分の命は ワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ! エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや! ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや! せいぜい一生反省せいよ! あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな! あははははは!あははは!こらおもろい!” と言ったそうです。普通は 殺人事件が起きると 被害者遺族としては「加害者の思い通りにさせないぞ。」という気持ちと「加害者には死んでほしい。」という二つの気持ちが起こります。そして、普通は ベクトル的には同じ方向を向きます。ところが、宅間の事件では ベクトルが正反対になってしまいました。でも、そういう場合でも後者の方が強いというのが はっきりしました。ただ、遺族の中には 宅間から反省の言葉を聞きたいという人もいたようです。 それにしても、こういうのは 宅間と遺族の思惑が一致して めだたしなのか。そうだとすれば、非常に癪な話だし、亡くなった児童たちを貶めるようだし、宅間がある意味 痛快にさえ見え、遺族感情の惨めさを浮き立たせた ショッキングな事件でした。