この「凡有」という字の組み合わせとしては万葉集の歌に現れています。
・凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞 娘子(巻第六965)
(おほならば かもかもせむと かしこみと ふりたきそでを しのびてあるかも)
「有」は「なり」また「あり」と読み、ここでの「凡有(おほなり)」とは「(身分が)平凡である/並み並みの」の意味合いとされます。
(もちろんここでの「者(ば)」は助詞の漢語形です。)
近世の仏典解釈の漢文においては「凡有心文」など「凡(およ)そ心文有(あ)り」など、「おおよそ/すべて/おおむね~あり」などの構文に当てられています。
やがて、江戸後期以降の候文では「凡(ありと)有(あ)る」と連語として用いられ、更に明治期には「あらゆる」の当て字の一つともなって、他の幾多の表記と混在するようにもなったものでしょう。
出典:
「凡有(あら)ゆる物の混沌の、凡有ゆる物の矛盾の」(坂口安吾「FARCEに就て」)
「凡有 ( あらゆ ) る 蟠 ( わだか ) まりを発散して」(坂口安吾「蝉」)
「世の中に存在する所の総(あら)ゆる職業」(夏目漱石「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」)
「縄で所有(あらゆる)樹を絆(つな)ぎ居る」(南方熊楠「十二支考」)
「人生の諸有(あらゆる)経緯の根底に於て」(石川啄木「渋民村より)
お礼
YOURS_EVERさん、untiku1942さん、kine-oreさん お教えありがとうございます。大いに助かります。 日本語は難しいと改めて感じています。70年近くも日本人をやっていますが・・・(^^;)