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中大兄皇子
中大兄皇子は何故すぐ天皇に即位しなかったのでしょうか? 結構節目節目で即位できる機会はあったと思うのです しかし実際即位したのは母の斉明天皇が死んで更に7年後です
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一つには年齢の問題があったと思われます。 当時皇位に就く条件として、ほとんどが30歳代以上でした。 中大兄は乙巳の変当時は、まだ20歳でした。 また、蘇我入鹿を斬殺した本人が直ちに即位したとなれば、その行為は皇位の簒奪のためだと言われ兼ねないので、その時点はパスでしょう。 斉明天皇が崩御した際も、百済に対して援軍を派遣しようとしていたように、内外の情勢が不安定だった状況であり、あえて即位せず、天皇の職務を代行する称制として政務を執りました。 称制3年次の白村江の戦いに大敗し、以後は唐の侵攻に備えるなどに忙しく、ようやく落ち着いてきた称制7年になって、即位したというのが実情ではないでしょうか。
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回答No.2
ご無沙汰です。 No.1さんのご回答になるほどと思いました。 僕は少し違う視点で考えを述べます。 まず、「天皇」の呼称は中大兄の弟大海人 が即位した天武天皇が最初だそうですが、彼が 初めて「天皇中心の中央集権国家」作りに着手 したのだと思っています。 つまり中大兄は「大王」を絶対者とする発想は まだなかったのではないかと。だからそれよりも 自由に動ける皇子の立場で蘇我宗家を滅ぼしたり 朝鮮半島に出兵したりに専念したのではないかと 思います。この時代、中大兄皇子が政権第一の実 力者になったのは事実だと思います。
質問者
お礼
ありがとうございます
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