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大阪城の地下から何が発見されたのか?
- ギリシャなどで地下から古代遺跡が出てくる理由は火山活動によるものだが、大阪城の場合は火山帯ではないため驚きだ。
- 大阪城の地下から発掘された石垣の一部は、たかだか5、600年前のものである。
- 大阪城跡は海抜スレスレの位置にあるが、土が20メートルも覆い被さっていたことが判明した。
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今の大阪城は大阪夏の陣で豊臣家が滅びた跡に かつてあった大阪城を埋め立てて徳川家によって再建されたものです(昭和に入って改修などされてますが) ですから秀吉事時代の大阪城が地下から出てくるのは当たり前です 埋め立てた上に新しく建てたんだから
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- hideka0404
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今の大阪城は秀吉時代のものではありません。 冬の陣で外堀を埋められ、夏の陣で内堀まで埋められて裸にされて落城しました。 つまり火災で消失しました。 しかし城跡から、多額の秀吉の遺産が残されていたので、それを元に、現在の位置に建替えられたのです。 元の堀の石垣は、重いので再利用できませんので、地下に埋もれたままです。
お礼
ありがとうございます。人為的とは凄いですね。
- hachikuji_mayoi
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おはようございます。 大阪城に関しては、人為的に埋められています。 大阪冬の陣、夏の陣のあと、埋め立てられましたよね。当然高いところは壊され、低いところへ埋め立てたのでしょうね。 その後も、難波津地域は低い湿地的な土地ですので、どんどん埋め立てが進んだものと考えられます。 遺跡が出てくるとある程度地下に遺構があることがありますが、狭い日本、生活に適したところは限られているので、新しいものを作るときには、飛び出たものは壊し、低いところを埋め立てるということを繰り返しています。飛び出たものは後世には残りませんが、埋められたものがタイムカプセルとなって掘り出されるということですね。 当然他にも、急激な自然現象による災害や、緩やかな地形の変形などによっても同じことは起こります。 濃尾平野などは、治水が完成するのがほぼ現代にまで至りますので、結構なものが埋まっていることでしょう。それともちろんおっしゃっておられる火山も。 そう言えば、琵琶湖の湖底や、海岸近くの海底に遺構があったりもしますよね。これなんかは単なる地滑りかもしれませんが、地震などによる断層での地形の変形もあると思います。
お礼
ありがとうございます。人の手によるものでしたか。申し訳ありません。実は当方、滋賀県の雄琴でして、びわ湖は眼前に拡がっていますが、こちらでは、そう無いのですが、彦根市辺りですとあるようですね。推測ですが、東北沖大震災で見られたような、そのままの状態で横滑りし、水没したのではと思います。この点、ご指摘通りかと。しかし、あれだけのモノを人為的に埋めたというのも凄い事ですよね。地形を変えるのですから。おそらく土木の技術というものは、凄いものがあり、当方ら近辺ですと、琵琶湖疎水も凄いもので、パッと見、どっちが低いなどわかりませんが、見事に引き入れていますし、対岸の守山市など、浜街道と言う名前ですが、全然浜などありません。今では平気で自動車で通っている道すべて、浜街道までの数キロが、すべて埋め立てであった事も最近気付きました。
お礼
ありがとうございます。