• ベストアンサー

モンゴル軍は馬を5頭も乗り換えたそうですが

チンギズハーン率いるモンゴル軍は馬を5頭も乗り換えたそうですが、乗りかえる前の馬4頭は乗っていない間どこにどうしてあったのでしょうか? 馬は持久力に欠けるために(マラソンしたら人間に負ける)併走は無理でしょうし、経路のどこかに用意しておいたら敵軍に発見・警戒されそうなのですが・・・ 帰りは馬の帰巣本能で勝手に帰ってくるそうですが、行きはどうしているのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

手綱をひっぱって移動した。 距離感 1 モンゴル軍の遠征 数年かけて数千キロを移動した 2 最大進軍速度 一日70~80キロ http://en.wikipedia.org/wiki/Mongol_invasion_of_Europe Ögedei Khan ordered Batu Khan to conquer Russia in 1235. The main force, headed by Jochi's sons, and their cousins, Möngke Khan and Güyük Khan, arrived at Ryazan in December 1237. ウランバートルからリャザンまでが6000キロ 1235年に出発して1237年の12月に到着しているので丸2年はかかっています。 6000÷700日 ≒ 10キロ/日 露営地を移動しながら、基本的には馬を酷使しない距離をのんびり移動しています。 いざ戦闘となると、関東平野の真ん中大宮が戦場とすると、高崎=大宮間が新幹線で75キロになるので、その距離を一気に進行します。離れた馬は高崎の露営地に帰っているという寸法です。 あるいは、秦野と東京駅が70キロくらいなので、モンゴル軍にとって安全で距離の離れた秦野盆地を露営地にして、戦闘の時には、一気に東京駅まで攻めてくる。

i-c-i
質問者

お礼

>1235年に出発して1237年の12月に到着しているので丸2年はかかっています。 風林火山の如く一気に攻めたのかと思っていたのですが、かなり長い時間をかけて移動していたのですね。納得しました。 細かい数字まで書いてくれてありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

乗り換えていたって言っても別にいつも走っていたわけじゃないですよ。 だいたい歩いていた程度の行軍で、遊牧民が家畜に草食べさせながら移動してただけです。 馬だけじゃないです、羊などの他の家畜も連れて移動してました。 その過程で同じ馬にずっと乗ってたら疲れるから、馬を乗り換えたんです。

i-c-i
質問者

お礼

羊さんも一緒に移動していたんですか・・・ 結構移動が大変そうですね。

関連するQ&A