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横井庄一さん小野田寛郎さん海外事例
横井庄一さんや小野田寛郎さんのように、戦後に他国で潜伏生活をしていたような事例は、外国人でもあるのでしょうか?
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中村輝夫さんです。 wikiを参照してから検索してください。 中村輝夫には日本名、民族名、漢名の3つの名前があり、民族名はスニヨン(繁体字: 史尼育唔 )、漢名は李光輝(繁体字: 李光輝 )といった・・・・。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%BC%9D%E5%A4%AB_(%E8%BB%8D%E4%BA%BA)
- amanojack27
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こんな事例は、幾らでもあるでしょう。たとえば、二つに分かれた国、国内内乱のある国、現在戦争状態にある国、こうした国には情報が全くないわけで、例え出てきても、日常茶飯事な事で、ニュースにもならないでしょう。 日本では、明治以前に「草」となって、他国に潜伏したままの人も多くあったはずです。ただ、自給自足の孤独な生活と言うことは、少ないでしょうけど。
ないと思います。ありえないと思われます。 それだけ旧日本軍が散々な負け方をしたということですが、その組織がきわめて無責任であり、命令系統がずさんだったということであり、そしてそれにもかかわらず兵士個人としてはヒジョウに優秀で責任感があり几帳面な人間たちが日本軍には存在したということだと思います。 いまだに旧日本軍の展開した地には多くの戦死者の遺骨が取り残され、そのままになっています。
お礼
回答ありがとうございます。個人的には海外事例はなさそうだなぁとは思いつつも、その根拠が見出せないでいます。
- satoru1975
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戦闘に負けて散り散りバラバラになって追い込まれないと、戦場に取り残されるという状況は起きないと思います。 連合国側は制空権を確保していたので、兵士が孤立しそうになると上空から戦闘機の援護がついて、安全に撤退できるようにしていました。 それに最終的に日本が進出した地域は、すべて連合国側の地域になりましたので、数ヶ月レベルでは取り残されたことはあったかもしれませんが、それ以上となるとまずないのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。
台湾人の日本兵で小野田さんの帰還以降に帰還されましたがなぜかあまり知られていません。
お礼
回答ありがとうございます。その台湾人日本兵に興味ありますが、なんという方でしょうか?
ないようです 「名誉の戦死」天皇陛下万歳 生きて帰国るのは「恥である」という教えは日本兵だけで他国では到底理解できないことです。
お礼
回答ありがとうございます。横井さんも小野田さんも北米ではクレイジーという意見が多いようですからそうかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。日常茶飯事というのはにわかには信じがたいですが、そのレベルであれば少しばかりの事例は探してい見たいですね。