- ベストアンサー
小野田少尉帰国の際に・・・
以前両親から「戦争が終わったと知らずにずっと1人で戦ってて 戦後何十年もして帰国した小野田さんという人がいる」と聞き、 その後テレビでやってたドラマなどを見て驚きました。 それで、ウィキペディアで小野田少尉のことを検索してみました。 すると、帰国の際に「天皇陛下万歳」を叫んだり、現地住民との 銃撃戦で多数の死傷者が出たこと、また本当に敗戦を知らなかったのか という疑問が沸き起こり、マスコミから「軍人精神の権化」 「軍国主義の亡霊」と『批判』されたと書いてありました。 『批判』とは一体どういうことなんでしょうか?自分には彼を批判するなど信じられません。 また、政府からの100万円や義援金の全てを靖国に寄付したとのことで、 更にすごい人だと感じましたが、よく考えてみれば100万円なんて・・・ ちょっと馬鹿にしている感じがしました。 私は当時生まれていなくてこのニュースが流れた時日本でどういう反応が あったのか全く知らないのですが、彼の帰国、そして上記のような批判、たった100万円を 渡すことなどについて、どういった世論が起きたのでしょうか? 当時を知っている方がいれば教えて頂きたいです。 よろしくおねがいします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
小野田少尉が帰国したころは、日本では左翼が大きな力を持っていたのです。 社会党が118議席で第二党、しかも公明党を抑えて共産党が38議席で第三党 だったころですからね。また、ベトナム戦争は末期で、日本では反米主義とともに 戦争反対派( といっても西側諸国の戦争だけを否定 )が力を持っていました。 ですので、当時のマスコミが小野田さんを批判したのは、時代に流されていた だけだったのです。とはいえ、当時から保守的な考えを持った人たちは、小野田 さんを好意的に見ていたと思います。ただ、声の大きな左翼の発言がどうしても 目立ってしまうため、後から時代を振り返るとそう感じてしまうのです。 なお、小野田さんには好意的な視点を持った人も、小野田さんが現代社会に なかなか馴染めなかった姿を捉え、それを社会批判につなげるような雰囲気は ありました。そういう意味で、小野田さんはどちらの勢力からも利用されたと 言えるかも知れません。ある意味、時代に翻弄されてしまったのです。
その他の回答 (4)
- jun119
- ベストアンサー率37% (309/814)
敗戦は知っていたけど、彼の任務はたとえ一人になっても敵地での錯乱を命じられていたからたとえ敗戦でも忠実に命令を守っていたと言ってました。 将校でありますし、陸軍中野学校卒業の情報仕官ですから命令には忠実に従ったのだと思います。 また最後まで投降にはこだわった、上官からの命令(命令書)が無い限りは従えられないと言う言葉は当たり前でしょう。 米軍の投降ビラは軍隊の兵には通じても将校には理解しがたい内容だったのでしょう。 戦前はそれなりの教育は、近代民主主義の教育を受けたものにとっては理解しがたいことですが個人のことより天皇・日本国のためという時代でしたからね。。 当時の世論は驚きはもちろん、同情半分、批判半分といったとこですかね。
お礼
回答ありがとうございます。 戦後民主主義の教育では国家というものを軽視する傾向があるように思います。 天皇・日本国の為っていうのは、戦前回帰なんて言われるってことでしょうか。 >当時の世論は驚きはもちろん、同情半分、批判半分といったとこですかね。 ・・・そうなんですか。同情半分、批判半分・・・ 正直信じられません。同情と批判なんて。 参考になりました。ありがとうございました。
持ち上げといて落とすのはメディアの常套手段だからね。超能力しかり、小泉しかり。 持ち上げて、持ち上げて、視聴者(読者)から飽きられてきたなと感じたら、今度は批判にまわります。倍、稼げます。
お礼
回答ありがとうございます。 これも、マスコミの汚いやり口のひとつということですね。 参考になりました。ありがとうございました。
- rin00003
- ベストアンサー率13% (55/394)
小野田少尉の投降後のインタビューに[本土がアメリカに占領されたのは知っている。でも、そこにあるのは傀儡政権で、アメリカに負けた国は僕には関係ない。] 日本は満州国に政府を移し、まだ戦っていると思っていたようです。 それで30年間も根を上げず戦い続けた信念は、すごい人だと私は思います。 別冊宝島 日本[軍人]列伝より
お礼
回答ありがとうございます。
- mat983
- ベストアンサー率39% (10265/25670)
批判などごくごく一部です。 30年間もジャングルで戦いを続けた彼に、日本人は誰も批判することなどできません。軍人の鑑と驚きが寄せられました。 恐らく下記の天皇との会見拒否、慰労金を受け取らない姿勢を報道は理解できなかったのでしょう。 背筋に1本シンが通り、ブラジルでの活動は尊敬に値します。 http://www.ffortune.net/social/people/nihon-today/onoda-hiroo.htm 帰国後政府はせめてもの慰労金として100万円を渡そうとしますが、誇り高き小野田は拒否。どうしてもというので、彼はこれを靖国神社に寄付してしまいます。そして天皇や首相との会見を断り、真っ先に戦闘で亡くなった部下、島田と小塚の墓参りに行きました。彼は義理を通す人でした。
お礼
回答ありがとうございます。 そのHPは見た記憶がありました。 やはり批判は一部だったのですね。そりゃそうですよね^^; ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 >小野田少尉が帰国したころは、日本では左翼が大きな力を持っていたのです。 私もひょっとしたら・・・?と思いましたが、やはりそうでしたか。 左翼ならそりゃ彼に批判的だろうなと思います。納得がいきました。 小野田さんが現代社会に馴染めなかったというのは具体的にはどういった感じだったのでしょうか。 でも、現代社会に失望したのだとしたら、それはよくわかります。 とても参考になりました。ありがとうございました。