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あえて判例(前例)を出したがらない事例も存在する?

当方は法律について素人で、正当防衛について複数質問しました。 その情報を総動員した上で、総決算として一つ疑問が残ります。 日本では法律上(建前)では正当防衛権は認めていても、 実際に一般市民に対して正当防衛が認められる事例が稀少です。 確かに法律上も他国より基準が厳しいとはいえ、 本当にそれだけが理由なのか疑問が湧いてきました。 本来正当防衛と認めて然りの事例でも、 あえて判例を出したがらない背景もあるのではないでしょうか? 万引き犯を取り押さた市民が相手を死亡させた事件に関して、 「業過致死の疑いで調べている」と報道があっただけなのです。 柔道技で15分も押さえ込んで犯人を死亡させていることから、 過失というのは不自然で、一旦傷害致死の疑いで審理が進んだ結果、 正当防衛判決が出るというのが世界標準的な考えだと思います。 日本の場合は犯罪増加にも関わらず、 時代に合わず正当防衛の条件が他国より厳しいままで、 傷害致死で起訴すると善意の市民が有罪になる確立が高い為、 過失扱いにしたのかと当初は想像しました。 しかし正当防衛の「判例」を論拠として、 民間人による犯人殺傷が横行するのを恐れているのではないか、 という疑念が湧いてきました。 一旦正当防衛判決が出ると、類似ケースでも正当防衛を認めざるを得なくなります。 場合によっては民間警備業者等によるビジネスにも利用されかねません。 社会的背景からあえて論点を曖昧にして判例を出したがらない、 という事は法律の世界では存在するのでしょうか? 法律や裁判に詳しい方、ぜひ教えてください。

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noname#61929
noname#61929
回答No.2

気をつけて欲しいのは、「報道は正しいとは限らない」ということ。また、初期の捜査段階の嫌疑が最後までそのままであるわけでもないということ。そして、最終的な判断は裁判所がするということ。 とりあえず業務上過失致死罪で捜査したというのは、詳細な状況はまだ分らないから厳密に何罪かは不明なので差当たって刑法の該当「しそうな」条文を犯罪の嫌疑の根拠とした、というだけの話です。そもそも犯罪の嫌疑がなければ警察は捜査すらできません。その犯罪の嫌疑が具体的な罰条に沿ったものでなければ、司法警察活動ではなくて単なる公安警察活動でしかありません。その上で、起訴するに至る場合、「傷害致死罪」に罪状は変わっているかもしれません。最初の嫌疑はあくまで捜査の端緒として「とりあえず必要」という限度で存在するだけでそのまま最後までいくわけではありません。途中で容疑を切り替えるのはよくある話です。 そして、仮に検察が「業務上過失致死罪」で起訴しても、裁判所は「傷害致死罪」を適用することができます。なぜなら、法令の適用は裁判所の権限であり、起訴状記載の罰条はあくまでも参考でしかないからです。もちろん、罰条の変更が被告人の防御に実質的な不利益をもたらす場合には、裁判所は起訴状の罰条を変更する命令を出さなければなりませんが、そうでない限り、起訴状の罰条と異なる罰条を適用することは少なくとも判例ではまったく問題がないのです。 また、過去の判例における事実の法的評価基準は確かに先例として参考になりますが、個別具体的事例における諸事情をどのように評価するかは、最終的には裁判官の判断です。それが現行の訴訟法の採用する自由心証主義というものです。ですから判例は、「一般論として判断の基準を示した準則」としては意味がありますが、実際の事実をどう評価するかは別問題で、個別の事実の法的な評価は個別事例においてしか意味がありません。これは「正当防衛に限った話ではなく法律適用のすべてに通じる話」です。であるが故に、「一見同じ事例」でまったく正反対の結論が出ることもあるのです。これをよく「日本の裁判所は場当たり的でいい加減だ」と批判する人がいますが、それは「どこの国でも似たようなもの」なのです。単に批判している人がものを分っていないだけ、道理をわきまえていないだけです(むろん、人間ですから中には多少変な人もいます。それは、裁判官に限らずすべての職種に言えることです)。しょせんは、人が人を裁く限界の話でしかないのです。 さらに、#1の回答で非常に適切な指摘があるとおり「明らかに違法性を阻却する」のであれば、そもそも起訴しないということがあります。そもそも起訴しなければ判例など生れません。この辺が、「明らかに不当な主張でもとりあえず裁判はできる」民事訴訟との違いです。 なお、日本において正当防衛等があまり認められないひとつの理由は、「自分の身は自分で守る」という気質が社会一般的には強くないというか弱いということがあります。日本人はかなり「他人任せ」な民族なのです。自分の不始末の責任もロクに取れない、取らない、取る気もない人が少なからず存在するのは、ここの質問も含めてネット上の数多の主張を見ればうなずける話でしょう? また、裁判における事実の評価は、どうしても事後的、客観的なものにならざるを得ないので、すべての諸事情を総合評価するとどうしても後出しじゃんけんと同じで、評価が厳しくなる傾向があるということもあります。 いずれにしても、時代とともに法的な評価というものも変遷していくもので、凶悪犯の増加は違法性阻却の認定を広げることになるかもしれません。 少なくとも、日本の刑法の見本となった欧米諸外国は、日本よりも相当治安が悪い、少なくとも今までは悪かったということは忘れてはいけません。その意味で、正当防衛の事例が増えるということは治安に対する社会不安の増大を反映しているということになります。ですから、「残念ですが」今後は正当防衛の成立する事例は増えるかもしれません。 なお、裁判員制度の導入がまた、影響を与えるという可能性も否定はできません。裁判官を世間知らずと批判する人の方が大概において世間知らずであることが多いのですが、そうは言っても、やはり素人の判断というものが反映されれば、相応の評価の変遷にはつながるでしょう。ただ、模擬裁判などをやると確かに司法修習を受けた人間は強気の事実認定をするという傾向があるにはありますが法的評価においては最終的には「一般人代表と比べて意外とそんなに差が出ない、時に裁判官以上に有罪の結論を出すこともある」という報告も聞いたことがあります。一般人と言われる人たちが、「警察が逮捕した=真犯人」と思いがちなのは、今更言う必要もないかもしれません。推定無罪などどこ吹く風の報道が巷にあふれていることを考えれば、そしてそれをいさめる話がほとんどない事を考えれば、「警察、報道に対する過度の信頼を通り越した妄信」というものが庶民の間に少なからず存在するのは間違いありません。 裁判というのは社会の縮図です。裁判批判をするということはすなわち、社会批判をしているということなのです。そこで裁判批判を通じて社会批判をしているという自覚がない場合というのは、ほとんどの場合「単なる思い込みの妄言」でしかないのです。

fuss_min
質問者

お礼

返事が遅れてしまいました。いつもどうもありがとうございます。 素人には法律はなかなか難しいですね。 専門レベル(そもそもどこからが専門家なのか線引きが難しいですが)の人でも、 「~の場合はこうなる」とか、 一般的にはこうなるとかいうことを 言っていた人がいたら怪しいと思ったほうが いいということでしょうか。 専門家レベルの人でもたまにヘンな事を言う人がいると どこかで聞いたことがあるような気がします。 ただ、私は法律は専門ではなく学生時代も少しかじっただけなので、 詳細なことは何もわかりません。 法律や裁判についての解説が詳細で助かります。

その他の回答 (1)

  • hiro0164
  • ベストアンサー率18% (38/205)
回答No.1

正当防衛は、お互いの年齢であるとか、性別であるとか、その場の状況であるとか、色々な要素を総合して判断するものだと思います。 事件により、その都度判断するわけです。ですので、判例をもって正当防衛を一般化するのは無理だと思います。 「こういう判例がある」それだけの話です。 ちなみに、正当防衛が認められる可能性があるものは、検察の段階で不起訴により裁判にならない場合もある、というのも忘れてはなりません。

fuss_min
質問者

お礼

返事が遅れましたがご回答ありがとうございます。 >ちなみに、正当防衛が認められる可能性があるものは、検察の段階で不起訴により裁判にならない場合もある、というのも忘れてはなりません。 これは確かにニュースで目だった報道がされる事は少ないので、 見逃しがちですね。 判例が後の裁判にも影響する事があると学校で聞きましたが、 あくまで参考、、ということでしょうか。