- ベストアンサー
雲水の修行としての禅問答。
落語の「蒟蒻問答」では、旅の僧がある寺を訪れて、その寺の住職に問答を挑みますが、 実際に修行のために諸国を旅して、禅問答をしていた僧も居たのでしょうか。 具体的な事例があれば教えて下さい。できれば禅問答の内容も。 何十年か前までは、単独行の雲水を偶に見ましたが、最近はとんと見かけません。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
若い頃の「盤珪(1622-1693)」などは条件に当てはまると思いますが、 具体的な問答となりますと…調査が捗りません(><) ・『日本仏家人名辞書/鷲尾順敬編/光融館/明治44再版』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627882/266 <266/904>(65頁下段) エータク 永琢 (※皇紀)2282-2353(※西暦1622-1693) 〔臨濟宗〕播磨龍門寺の開山なり、永琢字は盤珪、… ・『正眼国師盤珪大和尚/長井音次郎/政教社/大正15』 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983460/29 「第四 猛修行/ (一)行脚(二)疑團打解(三)崇福禪叢に詣る(四)陽明の徒と商量(五)再び道者元を訪ふ」 <29~43/182>(36~64頁) あと、条件を別にしての具体的な問答でしたら、真偽を問われても困りますが(><) 某有名人が言い負かされた珍奇な下記問答など如何でしょう^^ (1)『日本仏家人名辞書/鷲尾順敬編/光融館/明治44再版』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627882/643 <643/904>(814頁下段) チューギ 忠義 (※皇紀)2086-2158(※西暦1426-1498) 〔眞言宗〕紀伊高野山明王院の學僧なり、忠義字は長泉房と云ふ、鄕貫詳ならす、 高野山に登り勝義阿闍梨に師事し、敏才を以て知らる、 一休宗純禪師の山に登るにあたりて問答す、 師山中の神社に詣し、印言黙祈す、傍に一客僧あり、大般若經函に踞す、 師拜して後告けて曰ふ、客僧の踞するものは大般若經の函なり、と、 客僧平然として曰ふ、大般若經の上に大般若經を置く何の妨かあらん、と、 師即ち客僧の膝の上に踞す、客僧痛に堪へずして師を排せんとす、 師曰ふ、大般若經の上に大般若經を置き、尚ほ其上に大般若經を置く、何の妨かあらん、と、 敏才常に此類なり、客僧は即ち一休宗純禪師なり、…(中略)…(高野春秋) 肝心の『高野春秋』(※『高野春秋編年輯録/春潮房懐英』)はWEB上では見つかりませんが、 (2)『紀伊続風土記』にも関連記述があります。 ・『紀伊続風土記. 第4輯 高野山部 上/仁井田好古等編/帝国地方行政会出版部/ 明治44.12.25増訂再版』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765520/396 <396/472>(778頁上・下段) 巻三十六 高僧行状之部巻之三 浄慧 明王院忠義伝附重義 …一休禪師問答數回… (※以降の記述は前記(1)と同じ流れも別問答ですが漢文ゆえ珍粉漢粉(><) でも、幸い下記(3)では(1)(2)の問答が一つに纏められています^^ (3)『宗教大観/伊賀駒吉郎/樟蔭女子専門学校出版部/昭和10』 第四章 各宗槪論/第十一節 禪問答 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224278/126 <126/359>(230頁9行目~231頁12行目) 以上 疑問解消には程遠いかもしれませんが、御参考まで^^
その他の回答 (1)
>実際に修行のために諸国を旅して、禅問答をしていた僧も居たのでしょうか。 いました。 禅宗では入門時の手続きというか儀式は修行の始まりとして大切されていました。 現在でも、正式な僧侶(雲水)が入門する為には行われています。 細かい点は曹洞、臨済、黄檗など宗派によって異なりますが、基本は同じです。 詳しくは下記サイトを御覧下さい。 禅の用語 : 臨済・黄檗 禅の公式サイト - 臨黄ネット www.rinnou.net/cont_01/words/words_ka.html ホームページの項目欄から 座禅と修行→修行→庭詰の順に御覧下さい。 「ごちそうさま」の心 パートIII =禅宗の食事作法から - -さわやか説法 ... www.johgenji.com/swy/swy243.php 実体験が面白く書かれています。 you tubeに具体的な動画が投稿されています 法戦、若き雲水たちの永平寺 saiun2010 とは言え、昔ほど厳格ではいないようです 尚、一般の人にはこのような作法は求めませんので気楽に座禅を組んできて下さい。。 >できれば禅問答の内容も。 その場その場で相手のレベルによって任意に変わりますので、個々の具体例は文書では残りません。 但し、過去の有名な禅問答を集めたものは多数あります。 下記書籍を購読されることをお薦めします。 公案 実践的禅入門 秋月龍珉著 ちくま文庫 >最近はとんと見かけません。 いない訳ではありません。 あまり遠方には出かけなくなっているだけです。 托鉢をするのには、道路交通法やらなにやら喧しくなっているせいもあるようです。 又、新興宗教の勧誘員と間違えて苦情をいう人もいるようで、理解のない都市では難しいようです。 禅宗の本山や修行道場のある寺院の近くの都市では、現在でも托鉢僧がいます。 最近は、新幹線で移動している雲水もいる時代ですので、余り喧しいことは仰らないで下さい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 “禅”と言えばとっつきにくい感じがしますが、紹介された二つのサイトは読みやすいので、内容はよく理解できました。 「今の時代にも、こんな浮き世離れした、禅僧を育てる実地教育が行なわれていることは、多くの人の知らないところである。」 と「禅の公式サイト - 臨黄ネット」にありますが、確かにそう思って読みました。 また「禅宗の食事作法から - -さわやか説法」では、新米の僧の実体験を進行形のような形で読めるので、具体的な内容を知ることができました。 私の質問文が拙かったのですが、「実際に修行のために諸国を旅して、禅問答をしていた僧も居たのでしょうか」という疑問です。 武芸者の武者修行のような姿を想像しています。 僧堂での修業が終わって“辞去下山”してから、さらに修行を積むために諸国の名僧を訪ねて旅をし、問答を挑むようなことがあったのでしょうか、という疑問です。 こんな疑問はさておき、禅問答の様子を動画で見ることができました。 ご教示に感謝申し上げます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今回もあっと驚くような資料を教えて下さって誠にありがとうございます。 龍門寺と聞いて、懐かしいです。若い頃、姫路市網干(あぼし)区にある電機メーカーに何度か出張しましたが、龍門寺の前を通ることがありました。ただそれだけですが…。 盤珪和尚は、師匠の雲甫和尚から「尚諸方の尊宿を叩いて、いやが上にも鍛錬を重ぬることが大切である」と言われて、雲水修行に出掛けたのですね。そして天下の尊宿と商量した、と書いてあります。問答のことを“商量”と言うのですね。長崎・崇福寺に支那僧・南院山道者超元和尚を訪ねている他、将に修行のために各地の名僧を訪ねています。私が思っていた修行の姿です。 お陰さまで疑問は解消しました。 『日本仏家人名辞書/鷲尾順敬編/光融館/明治44再版』をじっくり読めば、盤珪和尚の他にも修行に出た雲水を見つけることができると思いますが、それは後日の楽しみに取っておきます。 問答については、かって何冊かの本を読みました。将に雲を掴むような話ばかりでした。