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洗練したいが、自分の気質(性格)を失いたくない場合

洗練とは、 人格における意地汚い部分などを 洗い清めていけば、 自ずと立派になっていくを指すと 思うが、 しかし洗練され過ぎると 自分本来の気質(性格)を失うことに なるのではないか ? 洗練至上主義に陥れば 世間一般的な 洗練されたレベルまでは、 到達することが出来ても その代わりに 自分の気質(性格)を失い 悩み苦しむことに 至るのではないか? 洗練とは 自分の本来の自己を 削り取る行為に近いのではないか? 洗練したいが、 自分本来の自己を失いたくない場合 どう折り合いをつければ 良いのか? ご回答のほど、 お待ち申しております。

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回答No.11

洗練とは、『自分の本来の自己を削り取る行為に近いのではないか?』という事は誤りと思います。その理由は『三つ子の魂百までも』が示すように、その人の個性は洗練される事が無いと思うからです。 むしろ洗練されると言う言葉の意味は『世の中を達観する。』と言う意味と考えたほうが良いと思います。喜びも悲しみも『自分自身の全て』として、『全肯定して生きる。』と言う意味です。 この意味は、人間の苦しみが『自己否定する事』から生じているからです。自己否定する事は『執着する事から、離れる事が出来ない苦しみ』を意味するからです。 死ぬ事を肯定出来ない事が、死に対する不安や恐怖の元になっている事です。死を肯定出来た時『死も生も』同列になっていて、どちらにも執着が無くなっているからです。死んでも良いし、生きていても良いしと言う意味です。 死を納得して肯定して初めて、”生”を全うする事が出来るという意味です。全てを肯定して生きる事『価値観の変革=人間革命』を、”禅”や仏教や宗教は教えています。下記の動画の中に『自分の性を徹見』する様子が示されています。つまり自性=仏性や紳性を『自我意識たる自分』が、体感する体験です。 注目する点は、『自分の人生の全てを諦める瞬間』という事です。『自我が全ての可能性を、一回は捨て去る時』です。この体験を禅では『百尺の竿頭に上って、更にもう一歩踏み出す』と表現しています。この時の心境が『大死一番』ということになります。 全てを捨て去った時『逆に全てが手に入る』と言う意味ですが、良く動画を観察して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

hinsin6588
質問者

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ご回答のほど、 頂いたのでbaを差し上げます! では、 「洗練」についての 新しい問題提起がありますので お答え頂けると幸いです! http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13120776813 洗練されると 自分のその段階の気質を失う、 しかし 正しい努力で訓練を積めば 時間はかかるが 以前よりは洗練されていく それによって 社会的に見栄え 良く写るかもしれないが、 以前 の持っていた気質は 影を潜めるか、消滅してしまう、 社会的な成功、栄誉を 獲得したい人間にとっては それは取るに足らない存在で その行為を嘆きはしないが、 美術家(芸術家)に取っては その行為は非常に嘆かわしく 胸を痛める行為であるからだ、 何故ならば 自分の気質を喪うことは 自分の感情を喪うことと イコールであるからだ! そもそも、 美術家(芸術家) 形は出来ない感情や魂を 何らの表現手段 絵画、彫刻、工芸、写真 音楽、絵本、漫画、アニメ によって形に出来る様に 励む方々だからである! 美術家(芸術家)に取って重要なのは 感情であり、 喪失する事は 美術家(芸術家)生命を無くす事と 同等なのではないか? では美術家(芸術家)は この段階を どのようして解決するのか? ご回答のほど、 お待ち申しております!

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  • jr-kyoto
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回答No.13

洗練したい。今文章を読んで、自分の人生を振り返っていて、洗練の意味を読み間違っていなければいいのですが、先生、親、祖父母、友達から、間違いやらを指摘される。そして、自分は、上塗りして、アップデートする。それは、senseや常識を持つという意味なんちゃうかなと思います。自分の確固たる個性や独自性も持ってるけど、社会の一角を占める資格である常識を持ち、自分を高めていくのが洗練とちがうんかなと思います。また今の時代は個性が価値を持つ時代になりました。個性を磨くのも洗練であるとも思います。

hinsin6588
質問者

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ご回答のほど有難うございます! では、 「洗練」についての 新しい問題提起がありますので お答え頂けると幸いです! http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13120776813 洗練されると 自分のその段階の気質を失う、 しかし 正しい努力で訓練を積めば 時間はかかるが 以前よりは洗練されていく それによって 社会的に見栄え 良く写るかもしれないが、 以前 の持っていた気質は 影を潜めるか、消滅してしまう、 社会的な成功、栄誉を 獲得したい人間にとっては それは取るに足らない存在で その行為を嘆きはしないが、 美術家(芸術家)に取っては その行為は非常に嘆かわしく 胸を痛める行為であるからだ、 何故ならば 自分の気質を喪うことは 自分の感情を喪うことと イコールであるからだ! そもそも、 美術家(芸術家) 形は出来ない感情や魂を 何らの表現手段 絵画、彫刻、工芸、写真 音楽、絵本、漫画、アニメ によって形に出来る様に 励む方々だからである! 美術家(芸術家)に取って重要なのは 感情であり、 喪失する事は 美術家(芸術家)生命を無くす事と 同等なのではないか? では美術家(芸術家)は この段階を どのようして解決するのか? ご回答のほど、 お待ち申しております!

回答No.12

こんにちは。  私は「生まれたばかりのという意味での」本来の自分から成長して社会的動物になれた段階が大人の人間、つまり成熟した人間と言えるのではないかと考えます。遺伝的な枠組みがあるだけの段階から、未熟な時期を取り巻く社会環境の中で人対人の感覚をつかみながら洗練されて成長していくことで、《人間》になることができるのだと思います。その大人になった《人間》というものは人対人で見えないゴムで結びついているように動的に影響を及ぼしあっているもので、それが成熟した人間の自然状態なのではないでしょうか。そうした自然状態を円滑に維持するために「本来の自分として」こだわりを持っていることを捨て去ることが必要なこともあると思います。基本的に、考え方が違う人とは内剛外柔的に互いを尊重しあいながら内側ではこだわりをキープする形で深入りしないで共存できたらそれが一番いいのかもしれません。誰とでもとことん詰めて雌雄を決しなければならないなんてことはないですから。

hinsin6588
質問者

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ご回答のほど有難うございます! では、 「洗練」についての 新しい問題提起がありますので お答え頂けると幸いです! http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13120776813 洗練されると 自分のその段階の気質を失う、 しかし 正しい努力で訓練を積めば 時間はかかるが 以前よりは洗練されていく それによって 社会的に見栄え 良く写るかもしれないが、 以前 の持っていた気質は 影を潜めるか、消滅してしまう、 社会的な成功、栄誉を 獲得したい人間にとっては それは取るに足らない存在で その行為を嘆きはしないが、 美術家(芸術家)に取っては その行為は非常に嘆かわしく 胸を痛める行為であるからだ、 何故ならば 自分の気質を喪うことは 自分の感情を喪うことと イコールであるからだ! そもそも、 美術家(芸術家) 形は出来ない感情や魂を 何らの表現手段 絵画、彫刻、工芸、写真 音楽、絵本、漫画、アニメ によって形に出来る様に 励む方々だからである! 美術家(芸術家)に取って重要なのは 感情であり、 喪失する事は 美術家(芸術家)生命を無くす事と 同等なのではないか? では美術家(芸術家)は この段階を どのようして解決するのか? ご回答のほど、 お待ち申しております!

noname#210533
noname#210533
回答No.10

自分の中から妥協を削ぎ落としていくこと。 洗練とは、錬磨であるので、削って形を 整えていくこと。 商業的・社会的なプロパガンダに振り回されると 洗練が「足し算」だという錯覚に陥りがち。 錬磨は、いらないものを引いていく「引き算」だ。 「本来の自己」というものは虚像である。 何故なら、その遺伝的な形質も後天的な知識や 思考形態、それに由来する価値観や世界観も 本来の意味で「オリジナル」なものなど何一つ ないからである。 誰もが足し算を繰り返し、捨てられない。 誰もが持っていると理解している、つまり 「オリジナル」ではないものをたくさん抱えて 捨てられずに生きている中で、それら不要の ものを捨てて行き、錬磨したものだからこそ、 簡単に手に入らない、まねのできない 「オリジナル」が得られる。 つまり、自分本来の自己を失いたくないと 考え続ける限り、唯一無二の「本来の自己」は 得られない、というパラドックスがご質問の趣旨で あるとたわしは考える。 自分を捨て去るほどにのめり込み、錬磨して 収斂した感性や技量は、おのずとそれ自体が 命を持つように振舞い始める。 自分の修行が生み出した、職業的な「技」に 魂が宿ると言われるのは、あながち詩的な 表現とは限らない。 それは作品に命さえ、吹き込むのだ。 ご質問の中で、既に答えが出ている。 本来の自分を削り取る行為は、一見すると 師匠や会社や、つまり自分の上位の存在に 支配されることのように見え、自分を失って いく過程のようにも思える。 が、元々、他人や社会と排他的な対立構図に 自らを置いてまで、守るべき「自己」など存在して いない。 それは感情的な幻想に過ぎない。 力のない自分は、まだ生まれていない胎児にも 等しい。 生まれるために、前世を忘却していくのだ。 自分を支配する力に身を委ね、マリオネットの ように支配者の操りを受け入れる裡に、いつしか 恋人同士や親友同士よりも、親兄弟さえよりも、 深い、深い、価値観・世界観の共有に至る。 何のことはない、人間は生まれた時から、いや 遺伝子まで考慮すれば悠久の昔から、そうやって 支配され、コピーし、操られる系譜の中を生きて 来たのだ。 ただひとつだけ、自分、と呼べるものがあるならば。 それは、自分の意志で他者の世界観の支配を 受け入れ、自らを変えていこうとする、変革の意思だ。 それさえ失わなければ、「自己」という形にしがみつく 必要など、どこにもない。 守るべきものは、自らを変貌させようとする、進化の意思。 今ある形など、進化の前の形態に過ぎないのだから。 揺るぎなく、自己を削り取る行為に邁進して下さい。

hinsin6588
質問者

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回答No.9

この「本来の自己」という概念が間違ってますね。 もともとそんなものはないのに、「本当の○○」「真の○○」を措定して むやみに探し回ったり、固執するのは愚かです。 これには、「本当の自己」以外にも「本当の愛情」「友情」「家族」など、いろいろなバリエーションがあります。 どんどん洗練していって、最後に残ったもの、どうしても外せないものを 「本来の自己」と呼べば良いのではないでしょうか。

hinsin6588
質問者

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回答No.8

洗練とは主観的・内面的なものなので、 自分で洗練されていると感じたら洗練されているのでしょうか。

hinsin6588
質問者

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noname#188665
noname#188665
回答No.7

洗練された物理学者が、「存在に意味は無い」と言った。 しかし私はそんな人間にはなりたくない。 昨年、行政に生活保護を申し込んだ女性がいました。 しかし行政は、女性を追い帰しました。 女性は行政に失望し、自ら餓死を選びました。 かの女性は、地上の神だったに違いない。 我々が神を死に追いやったのだ。そうだ、この社会で 洗練されることは、神々を殺すことを意味するのだ。 合理性の名のもとに、無関心を装うことなのだ。 このつまらない 洗練 と、どう向き合っていくか。 その答えは初詣にもみられる。自分に自分を決意し、 自分存在を、自ら存在させることである。 たとえば、無洗練という洗練された形があり、それは まるで愚者の振る舞いにも似ている。 たとえば、ホームレスで生活する者たちを見よ。 あれほど無駄なく洗練された者がほかにあるだろうか。 私の会社内改革はまだ終わらない。 社員全員が技術を共有する会社。戦士を望まない会社。 特別な人などいない会社を目指す。 言い換えれば、特別な人などいない社会である。 すなわちそれが、心あるあたりまえのことを、 あたりまえにするという洗練のされ方である。 これでまた結婚が遠ざかりそうな気がしないでもないが これが哲学OLの、洗練された考えなのである。

hinsin6588
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回答No.6

「洗練」「鍛錬」というものは、一つの形を意味するものではない。 生物の進化が、多様な環境への適応による生態系の多様化を意味するように、社会の発展が多様化による分業化であり得るように、それぞれの“自分らしさ”に応じた「洗練」がある。

hinsin6588
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  • a_hona
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回答No.5

料理では素材を活かすことが大切です。自己を整え修養することも同じかと思います。けして自分を捨て去ることなく、余計なものだけを削ぎ落として、人格を完成に導くものなのではないでしょうか。 その余計なものが何かがわかった時、自ずと道も見えてくると思います。

hinsin6588
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回答No.4

現状維持で行けば良いかと思います。 自己を見失うほど洗練してはいけないと思います。

hinsin6588
質問者

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回答No.3

顔や身体が汚れていれば、洗顔や入浴などできれいにします。 その人本来の個性が、際立つことはあれ、なくなることはありません。 洗練も同じようなものではないでしょうか?

hinsin6588
質問者

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