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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:科学と合理的態度について)

科学と合理的態度について

このQ&Aのポイント
  • 科学の考え方とは、現象を説明するために使われる方法であり、合理性と密接に関連しています。
  • 科学はもともとは事実を発見したり、説明するだけの方法でしたが、人間の合理的態度や生活の知恵との相性が良く、重宝されるようになりました。
  • しかし、偶像化や過信によって科学の本来の目的を逸脱し、悪影響を及ぼすこともあると考えられます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.7

>もし、人間の側に合理的であろうとする態度や生活の知恵みたいなものがもともと存在しているのだとすると、そのうち、そうしたものが一種の観念となって、ものの考え方に大きな影響を及ぼし、ひいては科学に対しても悪影響を及ぼすのではないかと思うのですがいかがでしょうか? 科学は、ある事象や、想像に対して、仮説をたてて、それを検証をするという作業ですので、当然検証する側の人間の考え方が大きな影響を与えます。 そのため、立てられた仮設に対して、色々な人が、色々な考えで検証をして、もっとも「らしい」ものが定説となります。 そのため、科学で実際に証明されている事象は、実は少ないということを言う科学者(竹内薫『99・9%は仮説』など)もいます。 例えば、飛行機がなぜ飛んでいるのかは、ベルヌーイの定理では厳密には証明できないが、まあ、実際には飛んでいるからいいんじゃない?的なものがあります。 所詮、科学は後付けの理論で、再現性がありさえすれば、証明過程が間違っていても実社会には問題なく利用されるということです。 科学という中には人文科学という分野もあります。歴史が良い例ですが、これなども思い込みが影響を大きく与えられており、時代や場所によって教えられる内容が変わります。 科学は、実際の社会において、再現性のある便利な知識として利用されますが、中身が間違っていようが、とりあえずこれでいきましょう、という合意のもとで機能しているのは間違いありません。

feeders
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました。役に立つことがいろいろ書かれていました。

feeders
質問者

補足

--科学は、ある事象や、想像に対して、仮説をたてて、それを検証をするという作業ですので、当然検証する側の人間の考え方が大きな影響を与えます。 そのため、立てられた仮設に対して、色々な人が、色々な考えで検証をして、もっとも「らしい」ものが定説となります。--ということですが、なるほどそういうことですか。では、検証する側の人間の考え方が大きな影響を与えないようにするためには、立てた仮説が絶対に正しいと認められるようなものがあればいいわけですね。その場合は、仮説は言わないでしょうけど。  その場合、その仮説の正しさを保証する何かがなければなりませんが、そのようなもの(これ以上遡及できない前提)を措定することは困難なのでしょうか。例えば、科学の方法において、例えば検証作業などにおいて、常に言語を使用するわけですが、まず何よりもそうした作業において言語が正しく使われているかどうかが問題になると思います。自然科学はともかくとして、社会科学ではそうだと思います。 そこで取り上げたいのはヴィトゲンシュタインです。彼は言語が正しく使用されることが可能になる状況として「共在」ということを取り出しました。(もしかすると、私の理解の仕方が誤っているかも知れません。その場合はご容赦下さい。その場合は、この議論はこれ以上進ませないようにします)これは論理的に前提として求めたものではないように思いますが、少なくとも、科学において立てられた仮説に対する基盤の一つにはなると思うのです。もちろん、「共在」というものが一体どのようなものなのかはかなり難しい議論になると思うのですが。  いかがでしょうか。

その他の回答 (9)

回答No.10

科学とは、対象について科学的(明確に定義された要素のロジカルな 展開)な理解を行う事です。 いくら科学っぽく見えても、前提となる要素の定義が不完全で、日常の 感情的な概念を先入化させたものは、(ここのサイトでも見かける) 屁理屈に過ぎません。 大事なのは、最初の「要素の定義」であり、それによってその後に 得られた見識の無制限な適用は、否定されるのです。 「もしXXならば、○○である」という形で、“有効範囲”は限定されます。 たとえばメンデルは遺伝の発見者ですが、実際は遺伝における法則性 の発見者であって、その遺伝を実際に担っている遺伝子の構造を発見 したのはワトソンとクリックです。 つまり、メンデルは生物に表れる遺伝現象を分析して法則性を見出す という、生物学的方法における遺伝の発見者、ワトソンとクリックは遺伝 現象を化学物質(前提が一段階掘り下げられた)的に発見した、分子 生物学的方法における発見者、という訳です。 最近では、さらに一段階掘り下げられた物理学的なレベルで分析する 量子生物学まであります。 科学は、自己の限界を最初に定義する事から出発します(分野を限定 するから分科+学=科学)。 さらに、そうして前提となる要素の定義による“限定”だけでなく、その 「ロジカルな展開」=論理学においても、不完全性定理によって無制限 な適用は否定されているのだ(用いられる公理系が不完全(公理系 自身では証明できない公理の介入)であるか、さもなくば無矛盾では あり得ない(Aと非Aを同時に導いてしまう))。 科学が万能であるなどというのは、科学を知らない者の妄想です。 だって、その前提となる存在自体が、認識の不完全さによって二次的 に派生しているのだから(物事を原理的に把握せずに、経験的に階層 現象表面的に捉える事で、不確定性原理の相補的不確定性を有限化 し得る)。 科学とは、そうした妄想を無へと還元するプロセスに過ぎません。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。いろいろ勉強になります。

feeders
質問者

補足

私には、少し、難しい内容の回答でした。こちらのコメントが見当違いのものであるときはご容赦下さい。  なるほど、科学というものが分野を限定することから始まるわけですね。でも、分野を限定する際に、その分野に向かうための何らかの前提が必要なはずですが、それが「自己の限界を最初に定義する事」なのでしょうか。だとすると、その際の手続きがいわゆる基礎付けと呼ばれるものなのでしょうか?その後の展開においても無制限な適用は否定されているということですが、だとすると、非常にしっかりした論理的体系が作られるということですね。少なくとも可謬主義の発想と比べると随分安心感を与えてくれるもののように思えます。  ところで、自己の限界を最初に定義する行為と、その後の論理展開において当然のことながら言語が必要とされるはずです。言語が正しく使われるための基盤のようなものは必要ないのでしょうか。 例えば、ヴィトゲンシュタインの言う言語ゲームを介在させた言語共同体のようなものや、アーペルの言う解釈学的共同体といったようなものが存在しなければならないのでしょうか?

回答No.9

No5です >言語を正しく使っているのか実証しなければならないのではないかと思うのです。  言語をを発する人間が何を言語化し、受け取る方が何を受け取ったのか。  発した側がそのまま受け取られることはないのです。    もう少し説明すると、受け取る側にその言語の意味なり内容なりがあらかじめ存在していなければならないのは勿論ですが、言語を発する側の何かがそのまま移行するのではなくて、受け取る側のライブラリーからその何かに最も近いだろうものが引き出されるだけです。  したがって、「正しく」とは何がどうであれば正しいかを判断する基準がどうしても曖昧になります。つまり、言語にも限界があるのです。 >また、そうした人たちは、常に不安や情念を抱えて生きているわけだから、それによって自分の判断が影響されないことを実証しなければならないのではないかと思います。  人間は不完全でうつろいやすく、どんなに頑張っても、その言動、行動はもともと気まぐれなものです。科学と言えどもその範疇に入ります。したがって、それらに影響されないはずはなく、されないことを実証することはできません。  しかし、そのうつろい易いのだということや、人間は人間の視点でしか物事を理解することはできないという宿命は、それに気づく前後で科学に対する印象がだいぶ変わります。

feeders
質問者

お礼

結局、科学は不完全なものだということですね。そのことを前提にした上で科学とつきあってゆくしかないわけですね。ありがとうございました。

noname#224207
noname#224207
回答No.8

No.2です 補足を頂戴しましたので、追加の説明をさせて頂きます。 >現代の世の中において効率のよさに価値がおかれて、そのために科学が利用されているような面があるような気がするのです。いかが思われますか? 「効率」はどのようにして測られますか? どのような基準で「よさ」を判定されますか? 普遍性のある数値をもって測定し判定するのであれば、これこそ科学的思考そのものではありませんでしょうか。 そもそも「効率」という考え方は、科学的思考から生み出されて言葉ではないのでしょうか。 お使いになられる言葉を一つ一つ吟味して整理されれば、それによって、お考えになられておられることが自ずから鮮明になり新たな段階に移っていくかと思います。 思考の流れのままに、一言一言詰めていくと、当初お考えになられておられた主旨からドンドン離れていってしまうことがあります。 どうどう巡りが始ります。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

”科学は何かの現象を説明するために使われることが多いようですが、  説明の際にうまく(効果的に)説明しようとする傾向を持っているように思います”     ↑ 傾向というか、それが現実の科学であるように思います。 ある事象が発生する。 それを説明する為の仮説を立てる。 その仮説で、総て説明が出来れば、それは定説となります。 例えば、光です。 粒子だと仮定すれば直進性は説明できますが 干渉効果などは説明が難しくなります。 波だと仮定すれば干渉は説明できますが、直進性が 難しくなります。 それで量子だと仮定すれば、双方ともうまく説明がつきます。 かくて量子説が定説となるわけです。 ”科学がもともとそのようなものとして作られたのでしょうか?”     ↑ 科学はそのようなもの、というのではなく、 方法論として、仮説を立てる、ということでしょう。 ”科学を発展させたと考えた方がよいのでしょうか”     ↑ 科学を発展させたのは西洋哲学だと思います。 ところん理詰めで考えて、真理を探究していく、という あの西洋哲学の態度は、科学に通じるモノがあります。 だから、近代科学は西洋で発達したのです。 中国は、火薬や印刷、羅針盤、紙など個々の発明はありましたが 近代科学として発達することはありませんでした。 ”合理的であろうとする態度や生活の知恵みたいなものがもともと存在していて”     ↑ 人間の脳は理論など理性を司る大脳新皮質という部分と 感情など本能を司る大脳旧皮質という部分からなっており、 人間を特徴づけるのは、新皮質の方です。 この部分が発達していることが人間の特徴です。 つまり、合理的であろうとするモノが、人間には もとから存在するのだと思われます。 ”そうしたものが一種の観念となって、ものの考え方に大きな影響を及ぼし、  ひいては科学に対しても悪影響を及ぼすのではないかと思うのですがいかがでしょうか? ”      ↑ その懸念は的を射ていると思いますが 悪影響というよりは、限界を示すモノのように思われます。 そういう合理的な見方考え方で、人間が何処までやって いけるのか、という限界です。 神のごとき合理性でも、尚、及ばないモノがあるのでは、 という気がしています。

feeders
質問者

お礼

--合理的であろうとするモノが、人間にはもとから存在するのだと思われます。--とのことですが、やはりそう考えるしかないわけですね。 --その懸念は的を射ていると思いますが悪影響というよりは、限界を示すモノのように思われます。--なるほど、そのように考えればいいわけですね。 ありがとうございました。

回答No.5

>もし、人間の側に合理的であろうとする態度や生活の知恵みたいなものがもともと 人間は、合理的であろうとしても、それには限界があります。  科学は、その限界の中にある人間くさい代物です。如何に人間の観念、思想、情念などを排除しようと試みてもその限界の外を知ることはできません。自然、宇宙、物質、空間、時間・・どれをとっても人間に突き当たります。なぜなら、それを見て、聞いて、触れて、観察し、思考し、結論を導いているのはすべて人間だからであって、それ以外にはなりようもないからです。

feeders
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました。いろいろ勉強になりました

feeders
質問者

補足

--非常に興味深いお答えを頂きました。 私は現代科学の考え方(実証主義や可謬主義や反証主義も含めて)に全面的に依拠してよいのか少し疑問点を感じます。科学的な考えを検討したり作ったりする人は、すべて、必ず言語を使っています。だったら、そうした人たちが言語を正しく使っているのか実証しなければならないのではないかと思うのです。また、そうした人たちは、常に不安や情念を抱えて生きているわけだから、それによって自分の判断が影響されないことを実証しなければならないのではないかと思います。この点について、どのようにお考えになられますか?

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

合理的というか、現象を理解・解釈しようと言うのは古代から行われていたと言えるのではないでしょうか? 違いは扱う(扱える)データ量が桁外れに違うだけだと思います。 医学を例に取れば、産業革命の頃の医学でさえも今からすれば迷信どころか何の儀式?とも言える治療ならぬ傷害が行われていました。(例えば発熱時の瀉血や的外れな投薬、包帯の使い回し等々・・・) 病の原因が判らなければ治療法も決められないのですが、しかし「治療出来ません」とは医者は中々言えないのでしょう。 おかげでトンデモ治療法が、過去(現在も?)行われています。 説明を求められれば、例え判らなくても安心させる為にもそれが必要な時があるのかもしれません。 勿論それを悪意で行うペテン師も存在しますから、一概に認めてはいけないかもしれませんが・・・。 結局、質問の答えとしては、私は元々人間の中の『知りたい』『理解したい』『安心したい』等の感情が合理的な説明を求めているのではないかと思います。 欲しいのは正解では無く、納得出来る「今日の占い」なのではないでしょうか?

feeders
質問者

お礼

欲しいのは正解では無く、納得出来る「今日の占い」なのではないでしょうか?--確かにその通りだと思います。ありがとうございました。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.3

>科学は何かの現象を説明するために使われることが多いようですが 現象を明確にするためと、明確にした現象を利用するために科学が生まれたのだと思います。 知らないことを知りたい(知的欲求) 伝えたい・知らせたい(誰かと分かち合う欲求) 誰かの役に立ちたい(社会的欲求) そんな人が持つ欲求と相まって、必要性として科学は発展して行ってると思います。 合理性は、それも必要だったと思いますよ。 人が必要としないものは、長くは続かないようになっていますから。 合理性が悪影響を及ぼすかどうかは、取り扱い次第。 非合理性が科学に悪影響を及ぼすのは、自明の理ですが。

feeders
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました。いろいろ勉強になりました

noname#224207
noname#224207
回答No.2

>科学はもともとは事実を発見したり、説明するのに使われる単なる方法に過ぎないのに、科学を使うと物事がうまく説明できるので、 逆です。 物事を人間に理解し易く説明するための一つの思考法です。 神の摂理をよりよく知るための考え方から始りました。 コペルニクスが地動説を唱えたときの論争の際に「神はそんな複雑なことはお考えにならない」と言ったとされています。 アインシュタインが確率論者と議論して窮地に立ったときに「神はサイコロをふらない」と友人に書き送っています。 日本の科学者はこれを自然の摂理と表現しています >科学を使った人の合理的態度や生活の知恵に合致して、科学が重宝されたということでしょうか? 機械器具を作る為には非常に役に立ちました。 機械器具が発達した結果生活が豊かになりました。 これを科学がもたらした恩寵としました。 >もし、人間の側に合理的であろうとする態度や生活の知恵みたいなものがもともと存在しているのだとすると、そのうち、そうしたものが一種の観念となって、ものの考え方に大きな影響を及ぼし、ひいては科学に対しても悪影響を及ぼすのではないかと思うのですがいかがでしょうか 文脈が多少理解し難いです。 固定化された観念が科学というものに悪影響を及ぼすとお考えでしょうか 何等かの影響を受けた瞬間に科学的思考が停止したことになります。 それ以降は科学の世界から外れます。 >科学的なものの考え方にも弱点はあります。 科学の対象になる現象は常に再現性を要求されます。 再現性が無い現象は科学では取扱いません。 だれもが同じ手法で再現できるもののみを対象とします。 人間の日々の営みは科学的思考方法では説明ができません。 もし科学的思考方法で説明ができるのであれば未来を予測することができます。 明日の株価はだれにも判りません。 脳科学の分野でしきりにチャレンジが始っています。 科学的思考方法で頭蓋骨の中を調べても意識というものを説明できません。 宗教へのチャレンジも死生学として緒についたばかりです。 蛇足 合理的という言葉も科学的思考の世界と宗教の世界とでは意味するところが違います。 宗教の世界では神や仏のの摂理に合致するという意味です。 現代の一般的の考えかたからすれば、科学は合理の世界を扱い、宗教は非合理の世界を扱うと言い換えて宜しいかと思います。

feeders
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました。いろいろ勉強になりました。

feeders
質問者

補足

<補足> --固定化された観念が科学というものに悪影響を及ぼすとお考えでしょうか--ということですが、現代の世の中において効率のよさに価値がおかれて、そのために科学が利用されているような面があるような気がするのです。いかが思われますか?

回答No.1

科学的態度の中には、解らないものを解らないと認める態度が含まれます。 解らないものを、直ちに解決したい人々が宗教を創設します。

feeders
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました。

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