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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:科学と合理的態度について)
科学と合理的態度について
このQ&Aのポイント
- 科学の考え方とは、現象を説明するために使われる方法であり、合理性と密接に関連しています。
- 科学はもともとは事実を発見したり、説明するだけの方法でしたが、人間の合理的態度や生活の知恵との相性が良く、重宝されるようになりました。
- しかし、偶像化や過信によって科学の本来の目的を逸脱し、悪影響を及ぼすこともあると考えられます。
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noname#224207
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noname#224207
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お礼
早速の回答ありがとうございました。役に立つことがいろいろ書かれていました。
補足
--科学は、ある事象や、想像に対して、仮説をたてて、それを検証をするという作業ですので、当然検証する側の人間の考え方が大きな影響を与えます。 そのため、立てられた仮設に対して、色々な人が、色々な考えで検証をして、もっとも「らしい」ものが定説となります。--ということですが、なるほどそういうことですか。では、検証する側の人間の考え方が大きな影響を与えないようにするためには、立てた仮説が絶対に正しいと認められるようなものがあればいいわけですね。その場合は、仮説は言わないでしょうけど。 その場合、その仮説の正しさを保証する何かがなければなりませんが、そのようなもの(これ以上遡及できない前提)を措定することは困難なのでしょうか。例えば、科学の方法において、例えば検証作業などにおいて、常に言語を使用するわけですが、まず何よりもそうした作業において言語が正しく使われているかどうかが問題になると思います。自然科学はともかくとして、社会科学ではそうだと思います。 そこで取り上げたいのはヴィトゲンシュタインです。彼は言語が正しく使用されることが可能になる状況として「共在」ということを取り出しました。(もしかすると、私の理解の仕方が誤っているかも知れません。その場合はご容赦下さい。その場合は、この議論はこれ以上進ませないようにします)これは論理的に前提として求めたものではないように思いますが、少なくとも、科学において立てられた仮説に対する基盤の一つにはなると思うのです。もちろん、「共在」というものが一体どのようなものなのかはかなり難しい議論になると思うのですが。 いかがでしょうか。