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英語を話せる人の感覚について
こんにちは。受験生の頃はセンターで160程度でごく平凡な点数であった20代です。 英語が堪能になって、ツアーとかではなくもっとラフな旅とかがいつかできたらいいなぁ、というようなありがちな動機なのですが、どうかどなたか私の疑問に答えていただけないでしょうか。 できれば「最初から英語できました、できる環境にいました」というような人よりも「血反吐吐いて英語習得しました」というような人の回答をお待ちしております。笑 自分が抱いた疑問は、会話ができるようになっていく過程というのはどういうものなのか、ということです。 似たような質問が溢れているのは承知なのですが、自分の持つニュアンスで質問したいという我儘がありました。すみません。 自分は英語の再勉強を始めたということもあり、例えば入試で出されるような長文がだいたい理解できたり、センターは30分で解けたり、というような状態ではあると思います。 しかし、「じゃあちょっと自己紹介してよ」と言われたら全くできません。 「そりゃ英会話の訓練してなければ当たり前じゃん」と言われるかもしれませんが、自分としては「そうだね、英会話の訓練すれば僕もペラペラさ」なんて全く言えません。それは英語をしゃべれない人が英語をしゃべれるようになっていく脳の構造の変化のイメージが全く湧かないからです。 もちろん英語をしゃべれるようにいなっていく過程なんて人によるでしょうし、そんなこと聞くよりもレアジョブでもしてたらと思われるかもしれません。 ただ自分としては別に絶対的な答えが欲しいのではなく、「私はこんな感じでした」とか「僕はこんな感じでした」というようなことを聞きたいのだと思います。大変自分に甘いのは承知しているのですが、それらのことを聞くことによって、これから勉強していくための参考にしたいですし、自分を安心させたいのです。 自分の勝手なイメージとしては例えば英会話に通う人なら最初は一問一答みたいな簡単な形式で答えられるように練習したり、簡単な表現を覚えたりを繰り返していくと、次第に相手の言ってることに対して一言くらいなら返せるようになっていった、みたいなイメージなのですがどうなんでしょうか。 また「お、俺結構しゃべれるようになってきたな」と実感するまで(これも個人の主観ですが、本当テキトウでいいです。)の期間はやはり指数関数(底は正です。念のため。)的なもので、最初は全然しゃべれなかったけど、急に結構しゃべれるようになってきた、と思うものでしょうか。 英語が堪能な人は頭の中で日本語を経ることなく、会話できるとよく聞きますが、できる側としてそれがなんで無意識にできるか教えていただきたいです。自分が使ってきた基礎的表現がスポーツ選手のフォームのように自然と努力によって表面化された、みたいな理由以外に何かありますでしょうか。 質問の幅が少し広がってしまいましたが、別にすべての質問の答えていただかなくて結構ですし、一つでも多くの体験談のお話をお聞かせ願えばと思います。 また御回答ではなく参考になりそうなブログやサイトのURLでも結構です。 どうかみなさんのお力をお借りできればと思います。よろしくお願いします。
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- tsuntoma
- ベストアンサー率55% (10/18)
高校の時は英語の評定2でした。helloくらいしかわからない状態から急に海外生活を始めて英語を習得しました。 > 自分が抱いた疑問は、会話ができるようになっていく過程というのはどういうものなのか、ということです。 会話というか英語を習得していく感覚としては、今まで日本語しか存在しなかった自分の頭に、新しく英語で物事を考える人格が生まれ、英語を勉強していくごとにそれが大きくなっていくイメージです。簡単に言えば二重人格です。別人格に切り替えると、言語だけではなく、文化や習慣に沿う形で普段の仕草や受け答え、性格も変わります。 英語を話す自分でいる方が長いと、いつの間にか英語の夢しか見なくなり、次第に日本語で考える人格も忘れていきました。自分の中で一番驚いた事です。今度はいざ日本語を話そうとすると、語順が違うため上手く話せなかったり、日本語の単語を忘れていたりします。 私の場合、海外に飛び込んでから最初に始めたのは日本語で考える自分を完全に忘れる事からでした。これができたのは、周りに日本人がいなかったため、生きる上で日本語が全く役に立たなかった事が大きいです。なので評定2の英語を使っていかに相手とコミュニケーションを取っていくかを考えました。 まずは語学の勉強より先に、ジェスチャーや絵を駆使して相手と話す方法から練習しました。そうでもしないと生きていけなかったからです。その土台の上に、言葉(英語)を使ったコミュニケーションを積み上げ、少しずつ大きくしていきました。 気が付いた時には、日本語で考える自分と英語で考える自分で、考え方や仕草、接し方も別人格のように違うと感じました。 > 最初は全然しゃべれなかったけど、急に結構しゃべれるようになってきた、と思うものでしょうか。 ある日突然です。それこそコミュニケーションが上手く取れなくて悔しい思いを沢山してきましたので、少しでも早く話せるようにと毎日必死に英語の勉強は続けていましたが、やはりある日突然それらの勉強が一本の線に繋がる感覚というのが訪れました。不思議です。 2年くらい経つとだいたいは受け答えできるようになっていて、もちろんそれ以降も上達はしているはずなのですが、改めて上達したなという感覚はなかったです。というか言語そのものを勉強するという感覚自体がだんだんと薄れていて、本を読んでもへーこんな言い回しがあるんだー覚えとこう、くらいの感覚にしか思わなくなりました。 > 英語が堪能な人は頭の中で日本語を経ることなく、会話できるとよく聞きますが、できる側としてそれがなんで無意識にできるか教えていただきたいです。 私の場合は生きていく上で日本語が全く役に立たなかったので、英語を使って生活する別人格を作った結果になります。英語を話す時は日本語で考える自分は出てきません。 そもそも日本語特有の感性、英語特有の感性というのがありますので、他文化間を翻訳していくのではなく、英語を勉強するなら日本語を捨てて何もかも英語で考える、といった感じで直接文化に染まっていかないと、いずれ壁に当たるんじゃないかなと思います。わからない単語を調べる時も、当然英英辞書の方が良いです。 単なる一個人の体験談ですが参考になれば幸いです。
- ape_wise
- ベストアンサー率34% (311/907)
私も英語学習歴は長いですよ。社会人になってから10年以上、もしかしたら15年近くは英語勉強し続けています。 TOEICは10年以上前から900超えてますが、話せるようになったのは数年前から。アメリカで暮らしているときが決定的でした。ある時、頭の中でごちゃごちゃだった回路が整然とつながったような感覚を持ちました。 簡単にいうと、次に言うべき英語の単語やフレーズをだんだん速く思い浮かぶようになる、という感じかな。 最初は日本語で考えて、それを英語にしていたんだけど、そのうち日本語を介さずに英語がいきなり思い浮かぶようになります。昔ルー大柴って芸人が日本語の一部を英単語で言ってましたよね。最初はあれに近かったです。 さらに英語の語順通りに物事を考えられるようになってきます。これはちょっとビッグステップだったかな。そうなるために、松本先生の「英語で考える本」とかも読んだし、他にも英語で考える系の本を何冊か読みました。 この状態を言葉で表現すると、とりあえず何でもいいから主語を言ってしまうのです。人の話だったら、とりあえずYouを主語にすれば恰好がつきます。不定人称代名詞のYouですから。 そしてその主語が行っていること/行ったことを動詞として話してしまう。ちゃんとした動詞が思いつかなかったらbe動詞でなんでもいいからつなげる。そして後から思いついた動詞をing形にして…、なんてのが最初でしたね。だんだん、動詞もストレートに出て来るようになります。最後に、行為の対象や現在の状態を目的語や補語で言えば英語の完成です。 これも練習すればするほど速くできるようになります。英語って何でもS+Vで表現すればいいから、ある意味簡単な言葉だな~なんて感じるようにもなります。 極めつけは何も考えのない状態から英語でいきなり考えを組み立てて、そのまま話す、という状態。これをリアルタイムで行えるようになって、「あ、俺って英語話せるじゃんp(^^)q」という自信がつきます。 これは本当に試行錯誤を繰り返さないとだめだと思いますよ~。 あとね、忘れちゃいけないのが音読練習。英語話そうと思っても口がついてこないことはたくさんありますから。噛みだすとだんだん自信がなくなって上手く話せなくなります。そうならないように日ごろから英語の発音をしっかり練習しておくことがとても大切です。 頑張ってください。
お礼
返信が遅くなり申し訳ありません。 御回答ありがとうございます。 とても具体的でわかりやすかったです。また、ご自身の感覚の変遷を書いていただき、自分にとってとてもためになる回答でした。感謝いたします。 一つ、なるほど、と思ったのはTOEICの点数と実際にしゃべれるかどうかというのはあまり重大な関係がないのですか?TOEIC900と聞くとなかなかすごい点数と思いがちですが、しゃべれるかどうかの観点からいくとまだまだ道は険しいのですね。 「いうべきフレーズが段々速くなる」なるほど。そのような感覚なのですね。参考になります。 「試行錯誤を繰り返さないといけない」はい、肝に銘じておきます。音読練習も大事なのですね。 わざわざ長文ありがとうございました。 はい、頑張ります!
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
私は、日本生まれの日本そだちで、高校も公立でし たが、卒業後はじめてネィティブと話す機会があった とき、英語上手といわれました。 ラジオ英会話などを毎日きいていたためと、高校の ライティングの授業で英作文をきたえられていたた めとおもいますが、言いたいことを英語で表現する のに、こまることはありませんでした。 英作文の練習するといいですよ。 その後いくつもの言語を習得しましたが、自己紹介 できるようになるためには、数か月あれば十分。 やりかたは、自己紹介の内容を考える。英文にす る。自己紹介を丸暗記する、だけです。 自己紹介に含めるのは、名前、出身、兄弟の有無、 趣味、職業、出身地などです。
お礼
御回答ありがとうございます。 英語学習の過程と共に具体例をいただき大変わかりやすいです。 「英作文の練習をするとよい」基本的なことですが、大事なことですよね。再認識しました。 自己紹介について言及してくださり、ありがとうございます。英作文を鍛えつつ、文章を組み立て、覚えるようにする、この過程もまた実践していきたいと思います。 御回答ありがとうございました。
- MilanoSandA
- ベストアンサー率42% (139/329)
ハイ、僕も血ヘド吐いてきたクチです。血ヘド歴30年です(笑) まず、君が「どうすれば上達するんだろう?」と壁にぶつかっていることは、とりもなおさず君は今、レベルアップする段階にあるということです。誇りを持っていいと思いますよ^^ 英語の学習は、他の学問・研究と違い、どっちかといえばスポーツや楽器の練習に近いものです。つまり、訓練・練習が最も重要です。 そういう意味で、「英語学習には必勝のセオリーなし」というのが、僕の血ヘド歴30年で至った結論です。 (だから僕はこれからも練習を惜しまないつもりです) 地道な努力を積み重ねていくうちに、ある日突然、フーッとヒアリングもスピーキングもできるようになります。(あまりにフーッとそういうレベルになるので、自分の努力のどこが有効だったのか、覚えていないほどです) というわけで、君のこの質問については、はからずも君自身がもう答えを持っているんですよ。すなわち、 「とことん血ヘド吐いて努力する」 ということです。 君の努力は、必ず実を結びます。来年も一緒に勉強していきましょう。よいお年を!
お礼
御回答ありがとうございます。 「君自身がもう答えを持っている」完璧に見抜かれていますね。笑 体験談、アドバイス等大変参考になりますが、こういったエールを受けるのも大変嬉しいですし、頑張ってやろう、という気になります。 わざわざ御回答ありがとうございました。良いお年をお過ごしください。
- sknuuu
- ベストアンサー率43% (408/934)
最初にお断りを いっぱい書きました、すいません まず、日本の英語学習者における意識的な問題点は「英語を話すこと=特別なこと」と考えていることだと感じています 別の言い方では、英語を話すことがその人の知能の尺度になったり、特別な能力に起因するものと言ってみたり、社会的地位を表すものとして受け止めてみたり・・・ でもそんなことは全くありません こういう話が出るのは、第二言語もしくは外国語習得がそもそも難しいことであり、ネイティヴと同等の能力を身につける人が極めて少ないことから「特別」と思われるのであって、それなりの環境が与えられれば、多くの人は英語はあたり前に話せると私は思っています(これはスポーツや音楽などの例と似ています) ただ、この『環境』というのはなんだ? については、多くの言語学、心理学などの学者らが頭を抱えながら多くの研究を進めているところであります 質問の中に「無意識」という言葉が出てきたので、その点について 2つの専門用語がありまして、一つは「習得(acquisition)」、もう一つは「学習(learning)」 これはKrashenという人が第二言語習得論において使用した言葉です 「習得(acquisition)」というのは無意識、「学習(learning)=知識」は意識的なものという主張です Toeicを満点とっていても会話ができない、というのは「学習」はできていても、「習得」されていない、というような類の使い方です (「学習」の大事な役目として、自ら作った英語を『監視(monitor)』するものというKrashenの主張があります 私は日本の英語学習者にとって非常に大事な点と思っていますが、ここでは割愛します) この「習得」に関しては大きく2つの考えがありまして 一つはKrashenの主張で「学習」と「習得」は全く別物、いくら「学習」してもそれ自体が「習得」にはならない、「習得」は多量の理解可能なインプットによって・・・(以下、かなり複雑な話になっていくのでここでは語りませんが、「習得」はもともと頭の中に内在する持って生まれた能力に起因するという考えです(ある意味、チョムスキー的)) これはあまり信じたくはないですよね だっていくら「学習」しても「習得」、つまり自由にその言語を操れるようにならないというんですから(注: これは「学習」と「習得」の関係についてのことであり、それなりの環境とインプットがあれば最終的には「習得」されるとKrashenは主張しています) もう一つは、多くの「学習」をすることによってそれが「自動化」し、「習得」へと変化する、というもの 後者は、いっぱい勉強している人にとってはそうであってほしい話ですね でも、前段のtoeicの例を考えると、「いっぱい勉強しているのになぜ話せないの?」という疑問が出てきて、Krashenの主張があながち間違いではないということになります ところで上記2つの主張において、あえていやらしく形容詞を入れています 「多量の」とか「多くの」です つまり、どんな勉強方法をしたとしても、いっぱい話を聞いて、いっぱい発話をして、いっぱい読んで、いっぱい書かないといけないんですよ だから、1年英会話学校に通ったけど思うように話せない、というのはあたり前の話しであって、英語の環境に5年いたとしてもネイティヴのように"ペラペラ"になるのはマレです よく、子供と同じように言葉を学んでいけばいい、という人がいます 間違いではありません ただ問題は、「大人が」子供と同じ言語環境を与えられるはずがない、んです 本人がそうしたくとも、周りがそれを許さないんです 子供も大人になるまでに、何年も「いっぱい」聞いて話します そしてあまり読まなかったり書かなかったりすると、大人になっても本一冊読めないし、原稿用紙一枚も書けません(こういう点については、大人も子供一緒です) そして、この主張をする人は第一言語の影響というのも考慮してませんし さて、回答に戻りますが、「私はこんな感じでした」に関して 「お、俺結構しゃべれるようになってきたな」というのは、何回か経験してます 「あれ、俺今英語で話してたんだよな。なんでこんなにスラスラ話せたんだろう」とか論文の20~30pを読んだあと、「あれ、これ英語だよな。なんでこんなにいっぱい読めるようになったんだっけ(だって日本語のは今日10pしか読めてないのに)」とか まあ、ここに至るまでは、とにかく「いっぱい」話す努力もしましたし、本や論文で何千ページと読んでますからね、あたり前といえばあたり前なんです(それでもネイティヴの量にはほど遠い) そして、振り返ってみると、英語を使えるというのは特別なことではなく、だれでもできることなんだな、と思います だから外国の人と話しする時も、英語で話していたのがいきなり日本語にスイッチしたり、英語で聞いて日本語で返したり お互いどちらの言語も使えるとそんなことはしょっちゅうです でもその相手が誰かとフランス語で会話しているのを聞くと、当然全く理解できません 「おーい、俺を置いていかないで~」って感じです ところで「あれ? なんで英語話せるようになったんだ?」とふと思う時、答えは言えませんね 言えるとすれば「だって『いっぱい』勉強したし、『いっぱい』聞いて話して読んで書いたから」という感じでしょうか リスニングを一日1時間行って、会話を友達と2時間して、本を20p読んで、レポートを5枚書いたから英語ができるようになったなんて誰も言えません ただ、音読はこういう点においては有効だと思いますよ、ディクテーションというのはこういうことに気が付けるのでとても有用ですよ、というのは話せますが あと、よく「英語脳」とか「英語で考える」とかいうのは私はちょっと疑問なんです 頭の中、つまり神経回路がどうなっていて、どの脳の部分を使っているかというのはいまだに定かではないし、言語に関する部分はある程度特定できているにしても、「第一言語」と「第二言語」が別になっているのはわかっていないはずですし、たぶん日本語で考えても英語で考えても使う神経や脳の部分はある程度同じのようですし(ただ、イメージの仕方や文字などの記号をいかにencodeもしくはdecodeするかは言語ごとに違う可能性があるので、それぞれ違う部分を使う可能性は大です) 英語で考えるというのがどういうことかわからない人(私も100%はわかりません)は日本語で考えてもいいと思いますし、それが理由でspeakingやwritingに支障になったという感じはないです むしろ、困ったときの助けになったことの方が多いです だって、ネイティヴの使う表現を全て覚えているはずはないですし、ネイティヴと同じ英語の量を経験しているはずもないわけで 結果してある程度の速さである程度の的確さで応答できればいいわけで もともとネイティヴを基準としているのが間違っているわけで 「いっぱい」やりとりしてある程度のフレーズとかやりとりの決まりごととかを覚えるうちに、日本語を介さず英語を使っている自分に気が付きます 私はこれが「無意識」の「習得」だと思っています(別の言葉では「自動化」) そして、意識的に「英語で考える」というのは(そもそも無理なような気がします)「学習」の域を出ないのでは、というのか私の考えです 結論としては、「いっぱい」英語でやりとりする、という方法に勝るものはありません 色々な学習方法は「助け」なのであって、それがために英語が「習得」されるというのははっきり言って間違いです(「学習」には有効かもしれません) ですから、今現在はまだ「あ、俺、英語を使えてる」という実感はないのかもしれませんが、これからもずっと「いっぱい」話して聞いて、読んで書いてください そのうちに少しずつ私の言ってることがわかる時がくると思います 途中でイヤになることがたくさんあると思います だから最初の目標設定や、モチベーションというのは非常に大事です そして、英語学習をやめさせない学習方法も大事です 英語(外国語)は習得できないのではなくて、途中でヤメてしまうから習得できないんです 当たり前です (注: この「いっぱい」をどうするか、については自分に合った学習方法を模索するしかありません。そして「これがベスト」というのも人によって違います)
お礼
御回答ありがとうございます。またわざわざこのような質問に長文をありがとうございました。 英語を学習することに関して、専門的な角度からアドバイスくださり、とても参考になりました。なるほど。学習と習得について考えたことはなかったのですが、これだけ英語教育を受けているのにしゃべれるようにはならないな、という疑問の答えはここにあるのかしれません。あくまで私たちは学習をしているのであって、習得はしていない、ということでしょうか。または学習の程度が足りないために習得に至っていないということもいえるのでしょうか。むむむ、奥が深いですね。 「英語を英語として考える~」たしかに曖昧な概念ですね。英語ができない人たちや私が抱きそうな英語をしゃべれる人たちの勝手なイメージなのかもしれません。ここでいろいな方からの回答をいただきそこは注意ないといけないな、と思いました。確かに物事を英語ですべて考えるというのは不可能ですし、意義もあまりないのかもしれません。 「英語は習得できないのではなく、途中でやめるから習得できない」まさにおっしゃる通りだと思います。この部分は本当に自分の胸に刻みこむようにいたします。 その「いっぱい」とはどのようなものなのか自分で模索しつつ、努力してまいりたいと思います。 御回答ありがとうございました。
一応一人で英語を使いつつ海外旅行できますが、そんなに高い英語力ではありません。 日本人の平均レベルよりは高いですが。普段使っていないのでスピーキングは下手です。発音は悪くないようですが(発音の良し悪しと発話力は違うんです~)、使い慣れていないので「通じやすくするポイント(コツ)」がイマイチ分かりません。 全然堪能ではありませんが、中途半端なレベルの人の例としてご参考に。 私はこんな感じでした。このサイトに共感いたします。 ↓ http://www.sasolution.net/tatujin/skill-toeic-correlation.htm http://www.sasolution.net/tatujin/toeic%20cover12.htm 上記ページで言われている「3級後半」から「2級」の入り口ぐらいの感じで、まさに苦痛で中断中です。 リスニングに関しては、ある日突然にパッと理解できるようになるわけでなく、ジグソーパズルのピースがだんだんはまっていくというか、穴開きの穴が減っていく感じで理解できる部分が増えて行く、という気がします。これはどこかに書いてあって、ああそうだなと思った受け売りでもありますが。 私は英語で聞いて簡単なことならそのまま理解できますが(不慣れなので2,3秒理解が遅れることもよくあります)、それを英語のまま覚えていないので、英語で表現し直すことが下手です。 「日本語を聞いて理解できるけど、日本語で喋ることはできない日系人」の逆みたいだなと思っています。 一週間程度の旅行でも最後の方になると少し慣れてきます。私の英語スピーキングレベルではまだ考えながら喋っていますが、単純なやり取りなら無意識にしているかもしれません。 簡単なフレーズ、よく使う言い方は覚えているので、そのへんはある程度無意識です。 考えながら喋ってはいますが、日本語で全部考えてからあらためて英語にする、という感じではないです。頭の中では日本語も混じりますが(これは英語で何と言うんだっけとか)、なるべく英語で組み立てようとは考えている。 日本語で文を考えてそれを直訳しようとすると、英語的にならず、かえってややこしい言い方になってしまうからです。 自分で英語がたいして喋れないくせに、他人が日本語で考えながら英語を一生懸命しゃべっていると、「あ、この人は頭の中で日本語で考えているな」というのは分かります。これは自分がやっぱり日本語話者だからですが・・・・。日本語だったらそう考えるよなーというのが理解できるので。 普段使わないので、昔より喋れるようになってきたとか、以前よりも聞き取れるようになってきた、ということに自分で気づいていないようなところはあります。あれ、そういえば自分はこれを理解できているんだな、とか、そうか、喋れない人と比べたら喋れているのか、とか・・・・。
お礼
御回答ありがとうございます。 わざわざURLまでつけていただき、ありがとうございます。 大変失礼な言い方なのですが、今現在そのように英語を勉強しており、その途上にある方の意見を聞くというのは大変参考になり、また、ためになっております。 「考えながらしゃべっているが、無意識化しているところもある」なるほど。そういう過程があるのだ、というのを再認識できたのは大きいです。 「リスニングに関してはジグソーパズルがはまっていく感じ」そのようなニュアンスで答えていただき、わかりやすいです。自分が英語勉強する上でそのような回答は一つの指針になります。 中途半端なんてことはないです。十分な回答をくださりありがとうございました。
- love_pet2
- ベストアンサー率21% (176/826)
英語が堪能な人は頭の中で日本語を経ることなく、会話できる・・・・それが真実なのかウソなのか確かめようがありません。たいていはおっしゃる人の果たせぬ願望を言っているだけです。真に受けるとバカをみます。
お礼
御回答ありがとうございます。 確かにとても曖昧なイメージだったと思います。そのような思考回路がきるようにしよう、というようなところに目標はおかず、努力してまいりたいと思います。 体験談の他このような忠告はとてもためになっております。 回答ありがとうございました。
- Him-hymn
- ベストアンサー率66% (3489/5257)
★「血反吐吐いて英語習得しました」というような人の回答をお待ちしております。笑 →高校2年生の時は、クラスで最下位の成績もとり、担任から通知表にわざわざ「英語の成績が悪いので努力するように」ということを書かれてしまいました。高3の夏目覚めて、それから日本で猛勉強。しかも、松本亨という大先生のやり方で勉強しました。 ★自分の勝手なイメージとしては例えば英会話に通う人なら最初は一問一答みたいな簡単な形式で答えられるように練習したり、簡単な表現を覚えたりを繰り返し ていくと、次第に相手の言ってることに対して一言くらいなら返せるようになっていった、みたいなイメージなのですがどうなんでしょうか。 →徐々に、右肩上がりのグラフのように、英語ができるようにはなりませんでしたし、私の周囲の人たち、同士の人たちも同じで、やっていると、まず、ある日、突然(というのは若干オーバーですが、でも嘘ではありません)英語で考えている自分を見つけるーーI found myself thinking in English. ということが起ります。そこに至るのは、きっと2週間から3ヶ月です(人によって違います)。 何をするかというと、(極力)1日24時間(睡眠中も英語で夢を見られるようになりますので、そこも英語の時間です)日本語なしに、訳さずに、英語で考え、英語を読み、英語で会話しーーというのを続けると、ある日目覚めます。 →ちなみに、脳科学、洗脳等で有名な苫米地英人氏の著書では、英語を英語で勉強することの必要性が説かれていて、いろいろ書いてありますが、私が見た感じ、少なくても半分以上は松本亨先生の受け売りです。というのも、彼は言ってはいないようですが、あの松本先生の学校でしばらく勉強していたのです。 また「お、俺結構しゃべれるようになってきたな」と実感するまで(これも個人の主観ですが、本当テキトウでいいです。)の期間はやはり指数関数(底は正で す。念のため。)的なもので、最初は全然しゃべれなかったけど、急に結構しゃべれるようになってきた、と思うものでしょうか。 ★英語が堪能な人は頭の中で日本語を経ることなく、会話できるとよく聞きますが、できる側としてそれがなんで無意識にできるか教えていただきたいです。 →まず、努力すべきは、英語で考えるということもさることながら、日本語で考えない努力をするーーということです。どうしても頭の中で、日本語にしてしまう悪しき癖がついていればいるほど、ややこしことになります。それをunlearnするーーというのが大事です。私の場合、頭の中に日本語チャンネルと英語チャンネルの2チャンネルがあるーーという感覚です。無意識というより、今は英語チャンネルを、つぎは日本語チャンネルをという、テレビのチャンネルを切り換える感覚です。 ★少なくてもあなたは、日本語を、日本語のままで理解しています。いちいち、中国語に訳したり、ロシア語に訳したりしていません。そういう世界を英語で作るということです。 以上、ご参考になればと思います。
お礼
長文ありがとうございます。 語学に努力は絶対必要なもの、と自分も思っております。楽な道はないのだ、と自分に言い聞かせていますが、ついつい質問してしまいました。 しかし、回答者様の回答を見て、より一層必要な覚悟を再認識できた気がします。 松本亨先生という方についても少々調べました。日本の英語教育界に大変貢献なさった方なのだと認識しました。「英語を英語として理解する」というのは自分も聞きかじったことがあり、この先生が最初に提唱なさった概念なのかもしれません。 「日本語で考えない努力をする」この表現は自分にとって新しかったです。そのような努力の角度もあるのですね。 「チャンネルを切り替える」なるほど。そのような感覚なのですね。 具体例を交え、個人的な感覚についても言及していただき大変参考になりました。 ありがとうございました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。 僕が今いるのは聞いたものが殆ど分かり、言いたいことがまず言える、と言うところです。 2。 確かにおっしゃる通り、英語をしゃべれるようにいなっていく過程なんて人によって違うと思います。 僕は、日本語が分からなくて困っている外国人と、英語が出ないのをもどかしく思っている日本人との間で、何か言ってあげたら、通じた。という、可成り原始的な形で始めました。 3。 しかし、英会話に通ったことはありません。その代わり洋画をよく見ました。やがて、古本屋で対訳のシナリオが安く手に入るのを知り、英語の方を丸暗記して、映画館に通いました。 4。 こうして、単語を耳から入れたり簡単な表現を覚えたりを繰り返して、次第に聞いたことの理解ができるようになっていきました。 5。 しかし、「お、俺結構しゃべれるようになってきたな」と実感したことはありません。でも、喋る前の聴解の力(これが自分の口を開いて何か言う前に必要な気がします)はついてきました。 6。 僕の場合、日本語を経ることなく、会話をしています。それがなんで無意識にできるかは、「時間の節約」という一語につきます。日>英>日、英>日>英、では手間がかかります。 7。 英語圏では何億というネイティブがやってることですし、英語圏以外でも喋る人が結構いますから、別に特技でも何でも無いと思っています。
お礼
御回答ありがとうございます。 具体的な勉強法が書かれていて、大変参考になりました。 いやいや、努力の賜物ですし、すごいことだと思います。ただ、そう言えるほど向上心のある方だと思います(えらそうにすみません。)。自分もぜひ見習うべき姿勢であると思います。 わざわざ御回答ありがとうございました。
現在イギリスの大学院に留学中のものです。 留学は基本的にはほぼ独学のみでいきました。スピーキングは瞬間英作文(ぐぐってください)で訓練して最低限意思疎通ができる程度ではあります。 >自分の勝手なイメージとしては例えば英会話に通う人なら最初は一問一答みたいな簡単な形式で答えられるように練習したり、簡単な表現を覚えたりを繰り返していくと、次第に相手の言ってることに対して一言くらいなら返せるようになっていった、みたいなイメージなのですがどうなんでしょうか。 完全にこんな感じです。少しずつ表現を覚え、瞬時に使えるようにしていきました(なっていきました)。 >また「お、俺結構しゃべれるようになってきたな」と実感するまで(これも個人の主観ですが、本当テキトウでいいです。)の期間はやはり指数関数(底は正です。念のため。)的なもので、最初は全然しゃべれなかったけど、急に結構しゃべれるようになってきた、と思うものでしょうか。 実感は、その人次第だと思います。比較する時点にもよりますし。例えば、毎日上達を比較している人は、徐々にしか伸びてないでしょうから、毎日1ずつ伸びていても、1しか気づけません。1カ月単位で上達を比較する人は比較の幅が長いので30伸びていることに気付けます。まあ実際は乱高下ありますのでもっと複雑でしょうが。 私は今ぜんぜん喋れると思いません、というのも日本語レベルの思考を英語で表現できないからです。 しかし、他の日本人で英語がほとんどできない人から見たら、私はしゃべっているようには見えると思います(まあ大学院に入れるくらいですし)。 >英語が堪能な人は頭の中で日本語を経ることなく、会話できる これはインプットによります。英語で読んだもの、英語で聞いたものについては、日本語を経ることなく英語でアウトプットできます(英語で読んだ本の内容を日本語で話すとき、いちいち英語から日本語に翻訳しないと会話できないですし)。しかし、日本語でインプットしたものについては必ず日本語を経てしかアウトプットできません。 写真や映像のみのインプットは、その人の脳が日本語と英語どちらのレベルが高いかによると思いますが、外国人といると英語で考えていると思いますし、日本人といると日本語で考えている気がします。
お礼
早速の御回答ありがとうございます。 具体的な例をはじめ、わかりやすく説明していただき感謝しております。 「少しづつ表現を覚え、瞬時に使えるようにしていきました」やはりそういう過程を経て行くものなのですね。 なるほど。「日本語を経ることなく、会話できる」というのは私の認識不足というか厳密な定義ができない表現を使ってしまったのかもしれません。ただ、この曖昧な質問に「インプットによるもの」と答えていただきありがとうございました。参考になります。 イギリスの大学院に通う方から御回答いただき光栄でした。生の意見をありがとうございました。
お礼
お礼がおそくなってしまい大変申し訳ありませんでした。 「日本語を捨てて何もかも英語で考える」なるほど。そのような姿勢は大事ですね。 ご回答ありがとうございました!