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臓器移植についての意見と疑問
- 臓器移植についての意見を聞きたいです。医療の発達により、病気の人でも生存率が上がっていますが、臓器移植については神の領域とも言えるでしょうか。
- 自然の摂理として強いものが生き残り、弱者は死ぬという考えもありますが、医療の発達により生存率は上がっています。しかしそれ以上に進んだ臓器移植はどうなのか疑問です。
- 臓器移植は人の命を救う素晴らしい医療技術ですが、少し神の領域に触れているような気もします。皆さんの意見を聞かせてください!
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質問者が選んだベストアンサー
自分はもともと生物とは強いものが生き残り、弱者は死ぬ。 そうやって強いものが生き残って行く。 質問者様の考えに全く同意しますが、強いものとはなにかという定義が難しいところです。自然界では適者生存という言葉がよく言われます。それは、必ずしも肉体的に強いというわけではありません。 例えば、象とネズミを比べたら生物寿命も身体的能力も象が圧倒していますが、象は絶滅の危機に瀕していますが、ネズミが絶滅するなんてことは聞いたことがありませんよね。それは、ネズミという存在が、人間の暮らしに適応してしまったからです。一方で、象はほとんどの人間社会と共存することができません。人間が彼らの生態系に配慮しなければ彼らは追いやられていつか消えてしまいます。 そもそも、強い動物が生き残るのなら、今頃地球上の生物は羽が生えて牙があって不死身のドラゴンみたいな生き物だらけになっているはずです(^_^;)。現在の地球で最も成功した生物は、都会から熱帯からジャングルまで幅広く生息するアリと言われています。生物重量が最も大きいからです。 さて、この関係は人間も同じです。人間もまた、人間社会で適応する条件は病弱であるかどうかだけに限りません。 臓器移植という技術があり、これによってある人が生きながらえるのであれば、致命的な臓器疾患は、もはや適応の必要条件ではなくなります。むしろ、その臓器移植を受けられる経済力や生まれた国・地域の方が重大なパラメータになりますよね。 そして、臓器移植は最先端の技術の一つですが、これは過去において最先端の人を救う技術であった天然痘ワクチンや麻酔による外科手術と何が違うのでしょうか?さらに言えば、下等とされている生物が鞭毛で水中を這いまわり、アリが巣を堀り、ハチが毒針で敵や獲物を刺す能力と何が本質的に違うのでしょうか? 違うところといえば、人間が獲得した技術や能力は、人間がそれらについて本当に使って良いのかと自省するところにあると思います。核ミサイルで相手を滅ぼす能力を手に入れたのなら、敵は一人残らず殲滅すれば勝ち残れるかもしれませんが、そうはしてはいけないという自省・自制が働くところが大きく違うと考えます。 臓器移植も、質問者様のように、本当にこんなことをしていいのかと常に疑問をもち立ち止まって考える人がいるからこそなりたつ医療だと思います。 当然、諸手を挙げて賛成する立場の人もいるでしょうが、なにかおかしい、本当にやってよいのかと考える人もいます。だからこそ、臓器移植という技術が社会に組み込まれた我々の社会はどのようにあり得るのか、望ましい未来なのかという問が生まれ、それこそが合意形成のプロセスとなり、この過程は新たな技術を取捨選択する上で必要不可欠なものです。 いずれ、人間の寿命が500歳に伸長することを可能にする技術が生まれるでしょう。その未来においても、質問者様と同様に、本当にこんなことをして良いのかという全人類的な問が生まれ、そこで適切な選択をすることができれば、人間はまた新たな技術を獲得し、あるいは手に入れた技術は不要なものとして捨てさり、さらなる未来に向かっていけるものと確信します。 ちなみに、私は臓器移植を受けて健康な体を取り戻しました。生体移植可能な臓器なので、誰かの死と引き換えに手に入れたものではありませんが、健康な人の体を傷つけ、リスクを増大させたことは間違いありません。毎日のように、これで良かったのだろうかと思いながらも、良かったと思えるように生きようと考えるようにしています。
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- michael-m
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神の領域を冒す・・・そんな事言ってる連中は神を引きずり落している輩ですよ。神を信じるのなら人間が立ち入っているところは人間の到達できる領域でしかないという事を知るべきです。 少なくとも私達日本人は西遊記を知っているはずです。地の果てまで飛んでいったと自負する孫悟空、ところがそこは仏の掌の中だった。要するにそういうことです。地平線の先まで行ったからと行って神の領域を冒したなんて身の程を知らないものの言葉です。 早期移植をするかしないかは自由です。 しかし現状ではどうでしょう。まるで異色に同意しない者は非情であるか罪人であるかのように言われ始めています。 こういう風潮が正統だと考えるのなら、臓器移植は悪だとしかいえませんね。 我々には生きる権利がある、だから臓器をよこせ・・・幽霊や悪魔より恐怖の主張ですよ。
お礼
「早期移植をするかしないかは自由です。 しかし現状ではどうでしょう。まるで異色に同意しない者は非情であるか罪人であるかのように言われ始めています。 こういう風潮が正統だと考えるのなら、臓器移植は悪だとしかいえませんね」 とありますが、このような話は初めて聞きました。 もしこのような風潮があるのならいけませんね(・_・;
- customar
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どういう風にそこに線を引かれて神の領域と形容されるのでしょうか。 人間によって大量の実験動物が作られ遊ばれ殺されているのは事実です。 つまり神の領域にする理由です。主張者が説明できない時に神を使うのは科学的ではありません。心理操作ですよね。 神とか言い出さなければ禁止も奨励も好きなようにというのが私の結論です。同意のある者同士という事であり人体実験みたいな者でしょう。実験動物しかりですが個人の名声や娯楽ではなく医学に寄与するためになされたかです。
お礼
神とは簡単に使ってはいけませんね(汗 確かに神という言葉はあいまいでしたm(_ _)m 後半の内容がいまいち理解できませんでした(汗 回答ありがとうございます(^^)
- 0fool0
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個人的には反対です。 仮に私にその必要性が生じても、私は移植をしたいとは、『今は』思いません。 しかしその時が来た時に、本当に移植を拒否するかどうかは、実は自信がありません。 そして我が子に対しても、その時に思うままに選択できるかは判りません。 悪魔の所業か神の御業か(唯の技術なんですが)答え等は出しようが無いと思います。 ただ、臓器ビジネスを生み出してしまっている事を考える限りは、悪魔の所業でしょうね。
お礼
確かにビジネスになってるのはおかしいですよね(汗 助け合いだけどお金はいるんですよね~
- バグース(@bagus3)
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臓器移植を待っている患者は、提供してくれる ドナーが死ぬのを待っていることになるので、倫理的に 疑問がないこともないです。 でも、自分が臓器移植しないと助からないとなると そんなことは言ってられないでしょう。 私たちは、何の罪もない動物や植物を殺して、その死体を食べることで 命を保っています。それに比べれば、臓器移植など微々たることです。 近い将来、人工臓器だけでまかなえるようになるのを待ちましょう。
お礼
もし人口で臓器を作れるようになったら人は死なないようになるんですかね(・_・; 人間は何かを失ってその大切を実感すると思うんですが、これではいつかは人工臓器の人間になり、親から貰った命には見えなくなってしまいそう...
- jusimatsu
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大丈夫です。 神の領域には踏み込めないように神様は人間をつくっています。 ですから、人が出来る事はすなわち神の御技ではありません。ま、悪魔の所業という可能性はありますがね(笑)。
お礼
医療の進歩ってホントすごすぎます... 将来はどんな風になっているか心配です(笑
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
言い換えると、「移植手術を受けられる金を用意できる人」だけが生き残り、そうでない人は死んでいくことになり、結局同じことです。 なお、広い意味で言えば輸血だって血液製剤投与だって臓器移植の一種です。
お礼
確かに輸血だってそうですね(汗 ただ心臓移植などの場合は提供者は亡くなられますよね、 亡くなったからといってその人が親から授かった臓器を他の人に入れてもいいのかな?っと思ってしまいます。 また、臓器移植希望者と提供者、命の重さはどちらか重いのでしょうか?
お礼
すごく良い意見をありがとうございます!! まずは健康になられてよかったです(^^) ついでに自分がもし臓器移植する必要があるとすると思います。 臓器移植をした場合は移植をするという行為よりも助かった命をどう使うかが大切なのですねo(・ω・。)
補足
実体験の意見が心に残りました。 ありがとうございます!