• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:希望の光となる命は、今どこに)

希望の光となる命は、今どこに

このQ&Aのポイント
  • 今年も、いろいろと考えさせられる出来事が多くありました。このまま風化させてはならない出来事を、残しておきたいと思いました。
  • コスト競争の激しい介護業界で働き、それでもなお愛を忘れることなく線路上に取り残された人を救うために自分の命をかえりみなかった女性、津波の中希望を捨てずに叫び続けた乙女、震災後の荒れ果てた地で被ばくを覚悟で立ち上がった人たち。これら数々の命が輝いては消え、消えては産まれる。そこに人の正義があり、それは善悪を超えたものだ。
  • 私たちは目を奪われる輝きばかりに注目しているが、目の前のまだ輝いていない命の気高さに気づくことが大切だ。神は死んだのではなく、我々が神を殺したのだ。それでもなお、我々は神の言葉を越えられずにいる。私たちが通り過ぎた後の姿だけを見るのではなく、私たちの目の前を通る姿を見るべきだ。どこにあるのか、まだ輝きを見せていない尊ぶべき命は。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

ひとが助けてくれると思っているうちは、誰も 救われません。 「拝金主義が世の中を荒廃させている」と言う と多くの人は「そうだ」と答えますが、会社に 行くと売り上げのためにクライアントをだます ような真似を平気でするのです。 その結果、良心的な商売をしている人は損を し、世の中は「悪貨は良貨を駆逐する」のです。 人は、助けてくれる人を求めながら、その実、 助けようとする人を抹殺しているのです。 誰しも自ら人を救おうとする時、もう誰しもが 救われているのです(英雄は不要)。

noname#187301
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。さすが先生 深く切り込んで下さいましたね。 “英雄を持ち出さなくてもすむ社会” 全くその通りだと思います。他にもそれを 教育としてあげられた回答者様がおられま すし、私もこれが実現すればすばらしい事 だと思います。 気高き命を死なせることなく、できるなら 気高き予防策が先行するようになればいい なと。 会社でもコスト部門として嫌われている 私の部署は、その重要さを無視しようと する経営陣と、ぶつかっている状態です。

その他の回答 (5)

noname#189751
noname#189751
回答No.6

鳥は敏感ですね 朝の天気の違いで、鳴き声も違います。 この頃寒くなってきたせいか 冬鳥の姿を見かけることが多くなりました。 今朝の庭の一つの木に、メジロとシジュウカラとヒヨドリが一緒に止まっていました。 中でも一番敏捷なのはメジロです。 せわしく動き回っている。 古いモミジの木に鳥達がいたのは、葉が落ちて小さい虫が見えるようになってきたからだと思います。 メジロも小さい虫、アブラムシでしょうかね、食べるのだと思います。 気がついたのは それらの鳥達がみな、「つがい」だったことです。 二羽ずついました。 春になれば、巣をつくり、卵を生み、雛を育てるのでしょう。 夏を過ぎてから、小さな丸い巣が空になったものを見つけることもよくあります。 そんな時、思うのは ここでかわいい雛が育ったんだ・・ といった感じです。 小鳥の巣は中々見つけずらいところにあります。 近くにあっても分からない 細い草や木の小枝でつくった巣は目立たないからです。 今 「つがい」となっている、たくさんの命から、たくさんの命が生まれてゆく 自然とはそういう事なんだろうな・・と思います。 見つけようとしなくても満ち溢れている それが自然の命かもしれませんし 気が付かないだけなのかもしれません。 雑感になりましたが、そんな事を思いました。 ご参考にしてください。

noname#187301
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私の森も、人に気付かれないところにあります。 それでも人々が主体となる、まつりごとが行わ れていた頃は、今よりは見えやすかったように 思います。 今また、人々の目にブラインドを掛け、人々を 分断せしめんとする、まつりごとが行われようと しています。人々を疑心暗鬼に追い込み、 意のままに操ろうという権力の現れでしょうか。 私は、森の梟に育てていただいた者ですから 鷹の力がどれほど危ういものか知っています。 カラスたちが海外へ行き、もしも死ぬような ことがあれば、次は小鳥たちに危機が訪れる ことでしょう。小鳥たちの巣は、なんとしても 守りたいものです。気高き命がいつでもどこに でも輝いていることを願っています。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

>「あなたがたは、あなたがたの目の前を 私が通るとき、私の姿を見ないだろう。」 「あなたがたが見るのは、私が通り過ぎた 後の姿だけであろう。」 ○まだ遅くはありません。東の都、東京で活動されている命が尊ぶべき命ですね。既存のすべての宗教が真実からかけ離れた時に、新しい法が説かれるのは当然ですね。目があって見えず、耳があって聞こえず、肉体生命に縛られ、間違った教育に縛られ、無知の知のままに津波にのまれて海岸にさまよう魂にならないようにしないとね。大多数の人にそのような時はまじかに迫ってますね。でも心の目で見ることができれば間に合うかもね。間に合わなければ、未来世で「あなたがたが見るのは、私が通り過ぎた後の姿だけであろう。」ですね。

noname#187301
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まだ間に合いますか。 なかなか東の都へ行く機会がないのですが、 私の森にすむ鳥たちに聞いてみます。

noname#187301
質問者

補足

森の鳥たちから聞いたことを思い出しました。 鷹と梟が競り合っているそうですが、未来世では、 どちらかが飲み込むでしょうか。 それとも、未来世においても競り合うのでしょうか。 よろしければ教えてほしいです。

回答No.3

>まだ輝きを見せていない我々の尊ぶべき命は、今どこにあるのでしょう。  今、ここに・・・  いつでも、どこにでも・・輝いています。

noname#187301
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 輝く前の輝きが、もう見えていらっしゃる。 私はまだ、すれ違う人の中に、ほんのりと 光を感じる程度です。

noname#187301
質問者

補足

具体的には、どのあたりで見かけていらっしゃるのか、 おおまかにでも、教えていただけないでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。

  • fuukakou
  • ベストアンサー率22% (200/870)
回答No.2

どこにでも 目を開けて、見てみればわかるよ。 すべての命は尊ぶべきものだと。 人も動物も植物も虫も。 何一つ欠けても人は生きていけない

noname#187301
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すでに見えているご様子。恐れ入ります。

noname#215306
noname#215306
回答No.1

詩的な趣きで軽々しく語る事じゃないと思うけど?、、 掴んでる感じでもないと思うし

noname#187301
質問者

お礼

ご参加くださり、ありがとうございました。

関連するQ&A