他のところでも書いたのですが、本能寺の変において光秀と秀吉が共謀していた可能性はゼロです。
もっとも決定的な理由は「光秀が共謀者や黒幕の存在について一切言及していない」という点にあります。
本能寺の変における光秀は「自分を取り立ててくれた主君を討った謀反人」でしかありませんので、当然殆どの支持が得られませんでした。
このとき光秀は多くの書簡を近隣の勢力に送り、その一部は現存していますが、共謀者や黒幕の存在を匂わす事もしていません。
もし黒幕なり他の有力な共謀者がいるのであれば、光秀の立場ではそれを宣伝しないはずがありません。
そして何より秀吉が光秀を破った山崎の戦いにおいて秀吉軍の名目上の総大将は信長の三男信孝であり、更に丹羽長秀など当時の織田家の序列では秀吉より上位の武将も加わっていました。
無論、秀吉が最大の戦力を有していたので主導権を握っていたのは間違いありませんが、それでも光秀と秀吉が共謀していたのなら、光秀は敵軍の仲間割れを期待してその事実を明かすのが当然の手でしょう。
またこのときの総大将だった信孝は後に秀吉と敵対していますが、そのときにも本能寺の変における秀吉の行動について一切疑義を唱えていません。
つまり光秀と秀吉の共謀はフィクションの中の出来事でしかないのです。