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明智光秀と明智の手の者とは別のことであり、明智光秀

明智光秀と明智の手の者とは別のことであり、明智光秀が本能寺で織田信長を打ったのではなくて明智の手の者が打ったと言う説は本当でしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • marukajiri
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回答No.2

明智光秀が織田信長を刀で切り捨てていれば、織田信長の首を天下にさらしたはずです。また、明智光秀の手の者すなわち、明智光秀の家臣の誰かが織田信長を討ち取ったのであれば、この場合も織田信長の首を天下にさらし、その功績が歴史に残っているはずです。しかし、実際にはそのようなことはありません。信長の首どころか遺体さえもみつからなかったのです。もしかすると、さらし首にされることをおそれた信長が、信頼できる家臣にあらかじめ、自分の遺体を明智の手に落ちないよう、自害した後の遺体処理を命じていたのかもしれません。 質問の説は、根拠となるものが一切無いので、ただの戯れ言でしかないと思います。

その他の回答 (1)

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.1

「打つ」とは「打撃」を意味する表現ですが、 質問は「討ち倒した」の「討った」だろうとの理解で回答します。 誰が「信長を討った」という説の如何なる事実も確認できてません。 まだ「自害」説が主流ですが、それも確認されてません。 事実として伝わっているのは、 光秀の無謀によって本能寺を最後に信長の存在が「消滅した」という事だけです。 それが「光秀の手により信長が討ち倒された」と表現されている。 …そういう事です。 「打った」という表現について、日本語の理解が足りないようです。 今少し日本語と漢字の勉強を進めてみて下さい。

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